04 偽装
「ふぅ……」
ひとしきりイーズをぼこぼこにしてから、夢は持参の扇子で温まった体を冷やした。
いっぽうのイーズは痛む腹と顔と両足をどうやって二本の腕で押さえればいいか考えながら、ブロック塀にもたれかかってたばこを吸っている。しかも三本。
「お前……また手加減したな?」
「まあね」
「……わかったぜ、お前の能力。人には使えないんだろ?」
びくっと夢の肩がはね、「なんでわかったの?」と訝しむ視線を向ける。
「玉術には制約や妙な効果がつきものだ。そしてそのほとんどは、自分の心が無意識で制限をかけているだけ」
煙を吐いてから、わかりやすいやつと言えば、マクラを例に説明しよう、と人差し指を立てる。
先ほど戦って結局懐柔したかわいい白猫は、まだ鮮明に姿を思い出せる。
「マクラの玉術は、一定時間で即死させる領域を張るものだ。あれは上位者ほど短時間で殺せるんだが……なんでか分かるか?」
はてな、と首をかしげるのを見て、イーズも頷く。
「そりゃすぐには分からねえわな」少しは痛みが引いてきたのか、首と肩を回すイーズ。「昔の飼い主がな、恐ろしいまでに上昇志向と嫉妬が強かったんだ」
「それで?」
「飼い主の愚痴やらなんやらをずっと聞いてりゃ猫でも――まあマクラは玉術を得て知能も上がってるわけだが――それに染まるわけだ。そして、自分より上の階級によく効く玉術が発現した」
納得がいく夢。
「お前の能力に関してはただの予想と勘でしかないけど。お前、人を殺すことに、なにかトラウマがあるんじゃねえの?」
あいまいに首を振る。イーズはその反応を見て夢があまり触れたくない話題なのだろうと察し、話を変えることにした。
「戎線家の中で、俺の強さはそこそこだ。アリアはまあ下の中だな。だからもっと強いやつもいるし、特に注意しとけよ、兄貴には。あいつははっきり言ってバケモンだ」
「……具体的にはどんなふうに?」
イーズはその問いには答えず、夢と同じように小さく首を振るだけだった。
「いやー。マイホーム……疲れた……」
靴を脱いで洗面所へ向かい、手洗いうがいをする。今日の分をまだ飲んでいなかったので冷蔵庫から乳酸菌飲料を取り出して飲んだ。疲れているからか、少し味が薄かった。
「だる……」
一度ベッドに触ってしまえば一瞬で意識を刈り取られそうであったが、十秒の苦戦の後、結局ベッドにダイブした。軽い音が鳴って柔らかく沈む。
――しゅん。
「はひゃっ!?」
白いベッドに、銀色の刃が垂直に突き立った。もう少し右にダイブしていれば死んでいただろう。
さっと起き上がって周囲を警戒する。
「不法侵入して罠まで仕掛けるとは……戎線家のやつらめ、やり過ぎじゃないの……?」
「不法侵入ではありませんよ」
寝室にそういってゆっくりと入ってきたのは、眼鏡をかけたいかにも優等生風な男だった。二十代前半と言ったところか。
ブランド物のレザージャケットを羽織っている。両目は閉じているのか細いだけか分からない。首には赤色の金属光沢のあるチェーンの首輪を巻いていた。
「この家は私の知人が管理する特殊な次元……あなたはそこに迷い込んだだけです。そしてここは自在に変化できる」
言い終わった瞬間にぐにゃりと世界が歪み、床に罫線だけが引かれた、果てしなく続く真っ白な空間になる。新たに現れたのは中年の女だ。
「初めまして、夢ちゃん。私は戎線ケイコ、この玉術『尭風舜雨』の管理者よ。戦闘は苦手だから後ろにいるわ」
「私はカイトです」
二人が礼儀正しく自己紹介をしてきたので、夢も一応自己紹介をした。
「私は夢。ロリポップキャンディが大好きだよ」
提示された、今言う必要が全くない情報にカイトはやや戸惑ったが、すぐに気を取り直して武器となる短剣を懐から取り出す。
「では戦闘と行きましょうか――すぐに終わるでしょうがね」
「『コーラル・ディザイア』!」
時を巻き戻し、短剣をただの石くれ――いちおう鉄の鉱石だ――に変えてしまう。
カイトもそれに素早く対応して指で弾き飛ばし、無駄をなくす。
「ふうん」鉱石を回避した夢は、にやりと笑ってみせる。「機転もきくわけだ」
「見くびってもらっては困ります」
武器を持つことが意味を為さないと理解したカイトはすぐに己の拳のみで夢へ迫る。
ありえない速度の攻撃を何とかかわし、その背に蹴りをぶち込む。
が。
「ぐっ――!?」
吹っ飛ばされたのはカイトではなく夢だった。
混乱したまま起き上がり、カイトを睨む。
「攻撃反射……」
「私の玉術は『甲論乙駁』。敵へダメージを八割移し替えます」余裕そうな笑みを浮かべた。「しかしあなたの蹴りは相当強いようだ。二割だけでもかなりきました」
となればたいていの攻撃は通用しないとみていいだろう。夢はたいしてタフでもないので、カイトを倒す前にこちらがやられてしまう。
突破口を探している間も、カイトはすぐに迫ってきた。
「うわあ」
一瞬で思考の海から引き戻され、必死に躱す。
そこで、先ほど聞いた言葉が蘇ってきた。
――玉術には制約や妙な効果がつきものだ。そしてそのほとんどは、自分の心が無意識で制限をかけているだけ。
――お前、人を殺すことに、なにかトラウマがあるんじゃねえの?
(カイトの玉術にも何か穴があるはず……! 彼のトラウマが分かれば!)
しかし本人に「トラウマ、ありますか?」と聞くわけにもいかないので、どうすればいいのかさっぱりである。
「せやぁ!」
肩をぶん殴る。夢の肩に痛みが走った。
「無駄だと言ったでしょう?」
再び迫ってくるカイト。
(やばっ)
肩の痛みを気にしていたら回避行動が間に合わない。
夢は一瞬目をそらさせるためにシャープペンシルを真上に投げた。
ちらりとカイトが上を向いて、一瞬だけ固まる。ケイコが「あっ」と小さな声を上げた。
「なるほどね」
「ふん……何が分かったと言うんです」
明らかにまばたきが多くなっている。少し動揺しているようだ。
「君」夢が地を蹴って飛び上がる。「上からの攻撃が怖いんだ?」
「がはっ――」
予想通り、と夢は小さくガッツポーズする。真上からの跳び蹴りは、ダメージを一切反射せずにカイトへ通用した。
地面に倒れたカイトへ、その勢いのまま着地。
「ぐぁっ!?」
みぞおちに人が降ってきたという途轍もない痛みで悶絶するカイト。夢はその首のチェーンを奪うと、カイトの手を縛ってケイコへ向き直る。
「あ……えっとぉ……ごめんね? 許して?」
「許すわけないでしょっ! うおりゃああああー!」
ケイコもまたみぞおちに全力のパンチをぶち込まれ、意識を手放す。
次の瞬間に三人がいたのは、夢のぼろ家の目の前だった。
戎線カイト
広告代理店に勤めるエリート系男子。
もともとパソコンなどの電子機器が好き。小学生のころから電子部品を組み合わせて様々な装置を作っていたが、その才能を嫉まれ工業高校生数人にいじめを受けていた。そのトラウマのせいで高い位置や高身長の相手からの攻撃を防げない。
戎線ケイコ
ドレスを主に担当しているデザイナー。
いつもはおっとりやさしい雰囲気だが、仕事に集中している時には口調・性格が恐ろしいことになる。社からは彼女のために特別室を設けられ、「ケイコが仕事中の時は絶対にあの部屋に入るな、入ったら死ぬぞ」とまで言われている。経験者多数。