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テルセ家の回想  作者: 中根小藤
4/11

 ようこそおいでなすった。何もない家ですが、ゆっくりしていってください。聖家の方とこうしてお会いするのは、テルセ騎士団長の逝去以来です。シニョール・テルセがポルタ・ジュールの反乱で命を落とされてから、ひい、ふう、……三年ですか。すでに大聖堂内も落ち着いて、シニョール・テルセのことは忘れ去られているとばかり。だからこうしてあの方についてお話しできることを嬉しく思っております。

それで、シニョール・トゥーランから話は聞いていますが、テルセ家のご子息について知りたいそうですね。はあ、そうだな……シニョーラもシニョールもたいへん可愛がっておられたのですが、ご子息が成人した矢先に亡くなられてしまったのは残念で仕方ありませんね。私も娘を失って数年しか経っていないのに、十二年ともに過ごしたはずのあの子の顔や声を徐々に忘れてきました。今となっては、あの子の髪が赤色だったことが鮮明に思い起こされるくらいだ。寂しい限りですが、どうしようもないことです。トゥーラン副官……今は団長ですが……もそう言っていたのを思い出します。人間の記憶なんぞは、いくら大切にしていても、隙間から取りこぼしてしまうものなのでしょう。


さて、何を話せばよいのやら……テルセ家について記録を取られるのですよね……ううん、それでは、シニョールのもとにご子息が来られた日についてお話ししましょうか。他の騎士団員からは、あまり聞けないでしょうから。その日はたまたま、私がシニョールの護衛を担当していたので、ご養子との初めての対面に立ち会ったのです。

まずお話しすべきは、シニョールとそのシニョーラの関係についてでしょうね。お二人の間には、実子がおられませんでした。その理由として噂されていたのは、お二人には男女の関係がない、というものです。

あなたも学士とはいえ大聖堂に近いところで過ごされている。そういった下卑た噂はよく耳にされることでしょう。当時もそういった話は大聖堂のあちこちで聞かれたものでした。とりわけシニョーラは王妃と並んで当代きっての美女でしたから、噂は絶えませんでした。シニョーラの御意思でほとんど社交界には出てこられませんでしたが、それでも大聖堂の公式行事には顔を出されていましたから。聖家の人々は、その輝く銀髪に陶磁器のような肌、明るい微笑みをたたえた口元に、否が応でも目がひきつけられていたものです。シニョーラはそんな熱い視線には目もくれず、いつもシニョールの傍をぴったりとついて離れようとされませんでした。シニョーラに色目を出す男ももちろんいたのですが、シニョーラは歯牙にもかけず、ただただシニョールにのみ心を向けられておられた。

ところが屋敷においてはお二方の寝室は分けられており、シニョーラは一向に身籠る様子がなかった。さらにシニョールがプリア家により深手を負わされ一年もの間臥せっていた際、シニョーラは寝所に付き添うこともできず、トゥーラン副官にその役を取って代わられてしまいました。トゥーラン副官は非常に優秀な方で、その任務のために傍に置きたい団長の気持ちも分かりますが、その……トゥーラン副官にはいろいろな噂があったこともあり、奥方を差し置いて副官を寝所に置いたことが大聖堂に様々な憶測を呼び込んでしまいました。


団長の体調も回復し、そろそろ登庁できるかと思われた矢先のことでした。私はその日、団長の護衛を担当していたため、朝早くテルセ家に向かいました。

ちなみに、その護衛は陛下直々の命です。聖騎士団は基本的には陛下の私兵団ですから、国王の身辺警護が本来の任務です。陛下護衛の人員を割いて団長を護衛するのもおかしな話ですが、そこは団長の身の上も関係していました。

国王が憂慮されていたのは、シニョールが大聖堂内で孤立しており、その後ろ盾にご自身しかおられなかったことでした。ご存じの通り、シニョールは北方の異教徒ツィースの出身です。シニョールが一族の怨嗟を断ち切り大聖堂に忠誠を誓ったとはいえ、聖家に根付く異教徒蔑視の風潮が無くなるには時間が必要でした。一方、〈聖戦〉で何とか玉座を手中に収めた陛下ですが、当時は大聖堂内の対抗勢力を抑えるのにも苦労する有様だったのです。プリア家はその対抗勢力の筆頭で、先王の時代にあっては枢機卿を務めた大家でした。さらにプリア家の公子が先々代の騎士団長だったのですが、〈聖戦〉で反乱軍側についており、戦禍の中で陛下によって首をはねられています。シニョーラ・プリアは息子を殺され、さらにその後継者として「卑しき」ツィースが迎えられたことが我慢ならず、シニョール・テルセの暗殺を目論見たのです。

そのようなかたくなな態度をとっていたのは、なにもプリア家だけではありません。あなたは、歴代の騎士団構成員の名簿をご覧になったことはありますか。実はテルセ団長在任時の騎士団は、歴代でも抜きんでて、トゥーラン姓の者が多いのです。ご存じの通り、大聖堂でトゥーランを名乗るのは、官僚育成機関アスクエラから輩出された平民の官僚です。つまりテルセ団長のもとでは、平民が国王の最も近くに仕えていたわけです。

騎士団は陛下直属の武官であり、かつては聖家の子息で構成されていました。陛下の身辺で働き、その覚えがめでたければ、出世も近いですから。ところが――私は先々代のプリア団長在任時から騎士団に属していましたが、テルセ団長の就任が決まってから、多くの聖家出身者は王国軍に移ってしまいました。おかげさまで、一生馬の轡を持つだけだと思っていた私が参謀にまで上り詰めたのですが……いえ、私のことは置いておきましょう。移籍の理由の一つには、当時、陛下のお立場が弱かったことがあるでしょう。ただ、それだけではなかったはず。私は、ツィースへの偏見が主な理由に違いないと踏んでいます。今となっては王国内でツィースを見ることがほとんどなくなったので、あなたにはいまいち理解しがたいかと思います。ところが当時は、特にこの王都の平民、そして聖家にとってツィースは卑しき異教徒だったのです。あの悪名高い教化以前でも、あちこちで彼らは唾棄され、殺されることも少なくありませんでした。とりわけ先王はツィースを深く憎んでおり、シニョーラ・プリアを先頭に据えて教化と銘打ち虐殺を行ったほどです。テルセ団長はその虐殺から辛うじて助け出された一人でした。そして幸運なことに現王はツィースに対して偏見を持っていなかったのです。御父上や側近が異教徒を憎み虐殺している大聖堂で育ったにも関わらず。

――トゥーランの中には、そういった偏見がなかったのか? はて、それは随分と気の抜けた質問ですね。偏見を持たぬ人間などありませんから。

ですが少なくとも、私や副官は、そういった気持ちが薄かったはずです。私は元々、王国の北にある貧しい村の出身です。この国を統治する神は私達に手を差し伸べてくれなかった一方、隣人のツィースとは協力して厳しい冬を乗り越えることも多くありました。私の中で頼れるのは、神ではなく異教徒の隣人だったのは確かです。だからテルセ団長の就任に関しても、特に嫌悪を感じることもなく受け入れたのでしょう。

副官に関しては、さて。私には彼の心うちは推し量るのが難しいですが、警戒心の強いあのテルセ団長が信頼を寄せていたのを見る限りでは、そういった感情が薄かったに違いありません。それに、もしトゥーラン副官をご覧になったことがあれば、なんとなくおわかりでしょう。トゥーラン副官は、純粋な王国民ではないのです。もしかしたら、ツィースの血を引いているのやも。

騎士団に残ったトゥーランが心中何を考えていたのか、私には分かりません。金のためか、立身出世のためか、はたまた義憤に駆られたのか。ただ、ツィースに対する嫌悪よりも大切なものがあったことは確かでしょう。


話を戻しましょうか。陛下は盟友でもあるテルセ団長の安全を図り、騎士団員に団長の身辺警護を命じました。そして私はその日、団長の警護のためにテルセ家を訪れたのです。門番を担当していた団員が、私を出迎えた時にこっそり耳打ちしました。シニョーラが今、瀕死の赤ん坊を看病している、と。

 私は飛び上がらんばかりに驚きました。団長の命が狙われているというに、そんな正体の分からない赤ん坊を屋敷内に入れてしまうとは!

「フロウの考えることはよく分からんよ」

 目を丸くしている私を見ながら、彼はそう言って呆れたように首を振りました。彼によると、明朝、ぼろぼろの身なりで外から帰ってきたシニョーラが大切そうに持ち帰ってきたのが、ガリガリにやせ細っていたその赤ん坊だったそうです。

 実は当時、シニョーラは時折ひとり夜の街を彷徨う癖があったのです。夜通し護衛をしていた我々の目をもかいくぐり、朝方になると気まずげに帰ってくるのでした。私達はそのたび彼女を諫めたものの、シニョールにそのことを報告することはありませんでしたが……そりゃ、彼女だって、寂しい夜を埋める相手も必要でしょう。お二人には男女の関係がなかったのですから。

 しかし、どこかの男のもとに通うのと、赤ん坊を拾ってくるのは別です。慌てて屋敷に入り、居間に飛び込むと赤ん坊を風呂に入れたばかりのシニョーラと出くわしました。交代した団員の話によれば、その赤ん坊は、もとは白かっただろう肌は煤で黒く汚れ、大きな目だけが青い炎のように輝いていたそうです。異臭を放つ襤褸からは、がりがりの腕が飛び出していたとか。

そしてその赤ん坊を、シニョーラが真っ白な布に包みあやしていたのでした。身綺麗にしたとはいえ、お世辞にも可愛いと言えない赤ん坊です。眠っているというよりも、ぐったりとして元気のない様子が気になりました。ところがシニョーラは優しい目でその姿を見つめ、微笑んでいたのでした。それはどこか狂気を感じる情景です。フロウの美しい顔立ちが、その赤子に閉じ込められたこの国の醜さを引き立てているようで、私は密かに身震いさえしたものです。しかしすぐに気を取り直し、

「シニョーラ、どこの者とも分からない人間を安易に入れないでください」

 この調子で次々と乞食を招き入れられては堪らないと忠告した私に対して、シニョーラはごめんなさい、と小さくおっしゃっただけでした。結局前にも後にも、あの子ども、つまりテルセ家の公子以外にシニョーラが引き取ることはありませんでしたが、当時はこのまま何人も孤児を連れてくるのではと、いたく心配したものです。しかし同時に……シニョールが臥せって以来、初めてと言っていいくらいシニョーラが生き生きしているのを見て、少しホッとしたのも確かです。

そう、子どもの面倒を見るシニョーラは、とても幸せそうでした。

 やがてシニョールが副官を連れて応接間に入ってこられました。シニョーラの腕で眠る子どもに静かに目を向けているシニョールの横で、副官はいたく立腹していたのが記憶に残っています。もちろん、私も責められました。素性の分からないものをなぜ入れたのかと。しかしシニョールが、あのツィース訛りの王国語でそれを遮ったのです。シニョールはシニョーラをじっと見つめて、お前が連れてきたのか、とだけ問われました。シニョーラはやや強張った顔で、ゆっくり頷きました。するとそれだけで、シニョールはその子どもをテルセ家に迎え入れることを許可されたのです。


 なぜあの子どもをシニョールが受け入れたのか。未だに私には分かりません。臥せる傍にシニョーラを置こうとしなかったことへの贖罪でしょうか。それとも、長い間シニョーラを無下にしたことへの? いずれにせよ、お二人の間にあった溝は、シニョーラの願いをシニョールが受け入れたことによって埋められることになりました。もしかしたら、シニョールはただ溝を埋めるためだけに子どもを引き取ったのかもしれません。

 シニョールが、シニョーラの機嫌を気にしただけで子どもを引き取るわけがない、とおっしゃいますか。ふむ……あのお二人については、よくシニョーラの情熱的な愛情が語られますが、実はシニョールも深い愛情を持っていたように思われるのです。ポーテ・ジュールの反乱で牢に捕らえられていた時――死に際、シニョールが四六時中懐から取り出し読んでいたのは、シニョーラが書いた手紙だったと聞くほどですから。

 さて、お二人に引き取られた子どもには、シニョールがツィースの言葉で名前を与え、そしてテルセという姓を与えました。

シニョーラが保護してすぐの時に見せたあのみすぼらしい赤ん坊の様子は、その後数年の間で徐々に薄れていきました。愛情を注がれ、安心しきって無邪気に笑い、さらに垢を落として清潔な衣服を着れば、もうどこに出しても恥ずかしくない立派なテルセ家の公子の完成です。

そこに至るまでは、シニョーラの献身が大きかったと思います。それはまず乳母はつけず、ご自身の手で育てたことからも分かるかと思います。それに加えシニョーラは子どもが落ち着くまで、決してその傍を離れようとしないほどでしたから。子どもは夜になると、暗闇に怯えるように泣きました。するとシニョーラは、シニョールさえも立ち入らない、彼女の寝室にまで連れて行き、寝台に寝かしていたのです。それは子どもが大きくなっても続きました。

夫でもない男を寝台に入れるなぞ、まっとうな妻女が聞けば耳を疑うことでしょう。そのため、副官からは何度もシニョールにやめさせるよう進言があったようです。いわく、これが外部に知られれば、シニョーラの醜聞になると。子どもとはいえ、夫ではない男と高貴な家の婦女が同衾しているのです。神の意志に背く罪として、テルセ家を貶める口実になることを副官は危惧されていたわけです。ところがシニョールはそれを受け入れなかったようでした。団長の体調が優れなかった数年間は、たびたびテルセ邸に騎士団員が出向くことがありました。そこでシニョーラとお会いするたび、彼女の後ろには子どもが付き添っており、それを見て副官は舌打ちでもしそうなくらい顔をゆがませていました。当時はてっきり、副官は顔を見たくないほどその子を嫌っていると思っていたほどです。それが今では、かの子どもの後見人を務めているとか。私が思っていたよりも子どものことを嫌っていなかったのか、あるいは団長への忠誠ゆえかもしれません。大聖堂内で噂になっていたのとは少し異なりますが、副官が団長をたいそう慕っていたのは事実ですから。団長がポーテ・ジュールの反乱で命を落とした時、実は団員が交代で副官が後を追わないように見張っていたほどなのです。本当に目を離していけなかったのは、シニョーラの方でしたが……。


昔のことを思い出すと、ついどうでもいいことまで話そうとしてしまって申し訳ない。話好きな方ではないはずなのですが、不思議なものです。あなたを前にしているからでしょうか。――お名前を明かされなかったので、言っていいものか迷ったのですが、あなたは昔と同じように、人の話を真剣にくみ取ってくださいますね。当時屋敷に行くたび、団員に小話をせがんでいたのを思い出します。

テルセ公子――どうか引き続き、第三者の視点から冷静に話させてください――は、大きくなるにつれシニョーラやシニョールに、お二人の故郷や一族の話をせがみ、じっと耳を傾けていらっしゃいました。今思い返すと、公子は無意識のうち、お二人の血を継ぐ代わりに、その魂の源流を継ごうとしていたのかもしれません。そしてシニョールやシニョーラも、そうあれと望んでいたのだと思います。

シニョールが臥せっていた間ずっとお二人に漂っていた緊張感が無くなっていったのは、そのためだったのでしょう。ずっと浮かない顔をされていたシニョーラでしたが、子どもを見ているうち、徐々に快活さを取り戻していかれました。シニョールもその様子に安堵されたのか、公子が来てからは、それまでよりも口数が多くなっていったと記憶しています。

団員もそれにあてられて、すっかり気が緩んでしまいましてね。私も例外ではありませんでした。登庁の護衛をした際、シニョーラが公子を抱きながら、以前と同じ笑みを浮かべて手を振り、シニョールを見送っているのを見て、シニョールに思わず言ってしまったことがあります。

「ここ最近、シニョーラも明るい顔をされるようになりましたね」

 それに対し、シニョールもわずかに口元をゆるめてみせました。

「あいつの身の回りの世話に忙しくしているのが、かえって良いらしい」

「公子のお世話に、人を雇わないのですね」

 他の聖家のシニョーラは、もちろん自身で子育てなぞしません。

「フロウもツィースも、自分達の子どもは自分で育てるからな」

 朗らかに笑う団長の横で、失言にヒヤッとさせられましたが、当人は気にしている様子はありませんでした。

「子どもと過ごしていると、落ち着くんだ……二人とも。あいつの気が滅入るようなことを言う人間もいないし、今のままがいいだろう」

 シニョールが言った言葉は、その後お二人が亡くなるまで変わりませんでした。


 シニョールは口でこそ、シニョーラのために子どもを引き取ったかのように言っていましたが……私は、シニョールも公子を慈しんでいたと確信しているのです。

 シニョールが公子を愛していたことの証に、こんな話があります。

あなたは聖騎士団の本塁〈東光館〉に入られたことはありますか。王妃の〈西風館〉と正反対、大聖堂の門を守るように建てられている屋敷です。〈東光館〉には歴代の聖騎士団長の肖像画が掛けられることになっているので、あのシニョールの唯一の肖像画もそこにあります。

……そういえば、肖像画を描くとき、画家が随分細かい指示を出していたため、シニョールの顔がどんどん渋くなっていったのを思い出してしまいました。それを宥めすかす副官の横で、画家はふてぶてしくも「最初の表情に戻ってくれ」などと言い始めて……おっと、また話が逸れた。

私が話したかったのは、その肖像画に描かれている騎士団長の大切な剣です。赤銅製で、ツィースの手によって作製されたものでした。その柄にはツィースの祖とされる馬や、戦士を表す植物、動物といったモチーフが細やかに彫刻されており、切れ味も鋭い。芸術性と実用性を兼ね備えた素晴らしい剣です。シニョールが言うには、その剣は彼の父君より受け継いだもので、かつては先王に奪われ〈大祭具室〉にしまわれていたものを陛下より返還されたのだそうです。シニョールは〈聖戦〉後陛下にその剣を返還されてからこちら、いつも肌身離さず持っていました。

 ところがある日、シニョールが別の剣を腰に差して登庁したのです。私達団員は随分と驚きましたが、その理由は後日テルセ公子を帯剣の儀で見た時に分かりました。成人し、剣を持つことを許された公子の背にあったのが、あのシニョールが大切にされていた剣だったのです。私達はかなり離れたところで待機していたのですが、それでも見慣れたあの剣だけはすぐに分かりました。

幼い頃の苦労のせいでしょうか、公子は他の公子よりもかなり小柄でした。そのため腰に帯びることが出来なかったのでしょう、大剣を背負って儀式に臨んでいました。歩く際、よろめくこともあったのですが、その重さにも負けずに背をぴんと伸ばして立っていたのが記憶に残っています。

 ですから、私は神に誓い断言しましょう。シニョールは、公子を我が子として愛していた。シニョーラに劣らぬくらいに。そして、その愛ゆえに、己の剣と心を譲ったのです。

 さて、私の話はここまでにいたしましょう。まだ調べなければならないことが沢山おありでしょうに、あなたのお時間を随分いただいてしまった。

――実を言うとね、あなたのお顔を見てとても嬉しくなってしまい、つい喋りすぎてしまいました。三年経った今でも、シニョールやシニョーラのためにこうやって聞きに来てくださり、ありがとうございました。王立学院の方が落ち着いたら、またこうして、いろいろと話させてもらえたら幸いです。

 帯剣の儀は、かつてこの国が大聖堂ではなく騎士によって治められていた頃の名残だという。かつて成人する男子はこの儀において帯剣が認められ、騎士見習いとしての修行を始めたと王国史には書かれている。

だが、今は騎士の国でもないし、自分は文官として身を立てるのだと自覚していた。そのため、王国史を何度読んでも、明日の儀式に自分が参加しなければならない理由は見つからない。少年はため息をついて書物をしまう。座っていた机の上の埃を払い、がばりと顔を伏せた。

「ため息をつくようなことでも?」

 少年が本を読んでいた書斎の主が入ってくる。少年は父に顔を上げ、哀れな声をしてみせた。

「明日、大聖堂に行かなきゃ駄目?」

 父は、少年をその灰色の目でじっと見つめた。

「何か問題があるのか?」

「僕は聖家の子どもじゃないんだ。拾われて公子に据えられているだけで、高貴な血なんて流れていない。背も低いし、みすぼらしい。笑い者になるだけだ」

 口を尖らせ訴えると、父は見るからに顔を曇らせる。少年はその顔を見て、思ったままに口にしたことを少しだけ後悔する。母も、そしてこの父も自分のことをどれだけ大切に育ててくれたのかは理解していた。だが一方で、他聖家の前に出るたび公子公女に投げかけられた言葉はしこりとなって、事あるごとに鈍い痛みを感じるのだ。自分はどこからか拾われてきた素性も分からぬ身で、父母は異教徒。他人との差異に敏感な者にとって、これほどからかい甲斐のある者もあるまい。

 父は机の上に腰を下ろすと、俯いてしまった少年の頭をそっと撫でた。

少年はごめん、と小さく呟いて父の掌から感じる温かさを享受した。

しばらくして、ことん、と何かが机上に置かれる。少年がそちらを見ると、父の赤銅の剣が置かれていた。

「成人祝いに」

 少年は思わず剣を掴んで、食い入るように見つめる。幼い頃から、この柄に彫られたあらゆるディテールについて父に質問してきた。父の語る物語に胸を躍らせ、それこそ表面の凹凸が無くなるほど、この手で撫でたのだ。剣の持つ歴史と物語、そして美――あらゆるものを知り尽くしていると自負している。

 ずっと欲しかった剣だ。

だが、この剣は父の所有物である。大聖堂の典礼でこの剣を携え、国王の横に立つ父の姿を何度見ただろう。何度見ても、その姿は厳かで麗しく、この剣の遣い手である父を誇らしく感じたものだ。そう、この剣は父のものであるからこそ美しい。この国に残るツィースの唯一の遺品はやはり、ツィースの末裔たる父が持つにふさわしい。

「……これは、あなたのものだ」

 さんざん眺め、撫でまわしてから息を吐き、父の手に押し付ける。その様子を見ていた父は、珍しく声を上げて笑った。

「意地を張るな。俺から言い出したことなんだから、お前は黙って受け取ればいい」

 灰色の瞳に浮かぶのは、かつて少年を膝に乗せてこの剣の物語を語っていた時と同じ色だった。その色を見ると少年は居心地の悪さを忘れ、すっと心が軽くなる。

「――本当にいいの? お勤めにも必要なのに」

 手の剣を見下ろしながら、小さく尋ねる。

「もう別の剣を用意した。だから、明日の儀礼にはその剣を持っていくといい」

 父の言葉に、ぎゅっと剣を抱きしめる。金属の臭いが鼻をつく。少年は嬉しかった。――父が長年大切にしていたそれをもらったことが、何より嬉しかったのだ。

思わず、目頭が熱くなった。


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