「一度教えたよね?」という言葉の恐ろしさ
私は大学卒業後、入社した会社で言われた「一度教えたよね?」という言葉を投げかけられることが怖かった。
もちろんメモもしていたが、入社当初で右も左もわからないなか教わり、マニュアルもなく、社内でも数人しか知らないことだったため、メモを見てわからなかったとき聞くことが怖くなった。
わからないことがあれば聞いてねって言ってたのに。十分なメモが出来ていなかったのは確かに自分のミスだった。けれど、作業内容が複雑でマニュアルがないのだから仕方がない側面もあるのではないか。
頻度の少ない作業であれば人間忘れてしまうこともあるのではないか。正直にメモを確認したのですが忘れてしまいましたと言ったら教えてもらえたがその時の顔が怖くて、以前教えてもらったことを自分独自のマニュアルにするようになった。
手順に数字を振って自分だけのマニュアルノートを手書きで作った。過去のことはなるべく思い出しながら業務の隙間を縫って書き足していった。
その結果、困ったらなんでも仕事を頼まれるようになってしまった。私はバックオフィスの職種ではなかったのだが、人手が足りないのか細かな雑用でさえも飛んでくるようになった。私が私のために作ったはずのマニュアルが、総務の人によって困ったらマニュアルあるから頼める人間になってしまった。
それでも時間があればなるべく受けるようにはしていた。人事評価で評価が下がるのではないかと心配していたためだ。
社会人の方にとって何甘えたことを言ってんだと言われるかもしれないが、2、3回くらいは聞くことがあっても怒らないでほしい。自分でメモを取って1回目で出来るように努力はするけれど、出来なかったとしても「1度教えたよね?」と無表情で見てこないでほしい。
何年も社会人をやっている方で「1度教えたよね?」と言ったことがある人もいるでしょう。覚える努力をしない人には怒るべきでしょう。ただチャンスが欲しい。何度もミスをするよりもやる前に何度か確認してでもミスが減る方が有益なのではないか。やり直す必要がなくなり、作業効率が落ちないのではないか。
一度教わったことが正しく出来るなら、学校の勉強はノートに書いていたんだからノートを見ればまた学生時代のように勉強が出来るようになるはずだ。でも現実ではそんなことにはならない。ノートを見返してもセンチメンタルな感情に浸れるだけでまた問題を解けるようにはならない。
1年半で前の会社を退職してしまったが、「1度教えたよね?」という言葉が怖い。社会人になってわかったことは出来るように努力している人には何度聞かれても同じように丁寧に教えてあげようという精神の大切さだ。