エピローグ
それから、あっという間に7年の月日が経った。
私がキッチンで夕食の用意をしていると、玄関が開く音がする。ただいま、とシウの聞きなれた声。バタバタと、子どもと走る音と犬が爪で床を引っかく音がして、私は手を拭いた。
ここは煉瓦と木造の小さな家だ。シウは王宮の敷地内に、小規模な村みたいなものを建設した。小規模な家々、風車、池、畑やのんびり草を食む羊の風景が牧歌的に連なっている。私がもらったセシオンの記憶を頼りに、セシオンの夢見た暮らしを作り上げたのだ。
「おかえりなさい、父上」
私とシウの息子として生まれたセシオンは、リオンと名付けた。シウに似た白銀の髪に、私とシウの中間くらいの青い瞳をした、とてもかわいらしい子だ。まだ記憶を取り戻していないから純真そのもので、シウに抱きついている。
「リオン、いい子にしてたかな?」
「うん!」
「ああ、何てかわいい。大好きだよ」
25歳になり、ますます美貌に磨きをかけているシウは、リオンを軽々と抱き上げた。そうして6歳のふっくらした両頬にチュッチュッとキスをする。シウの溺愛ぶりは、リオンが生まれた当初からひどい。でも、リオンは物心つく前からこうされてきたので無邪気に微笑んだ。
「えへへ、ボクも大好き」
シウの英才教育によってリオンは愛情豊かな子どもになっている。セシオンだったら絶対言わないだろうことを、平気で言う。かわいいったらない。
そう、私もリオンを溺れさせそうなくらい愛している。それから、すっかり黒くて大きな犬に成長したディミウスも、リオンを愛している。
ディミウスはリオンが赤ちゃんの頃から、あやしたり寝かしつけたりが私や乳母よりも上手かった。手のかかる私を育ててくれただけあったのだ。リオンに対しては絶対に言葉を喋らずに普通の犬のふりをしているけれど。リオンは、無二の親友としていつも側にいる愛犬ディミウスが、元魔王だとまだ知らない。
「ただいま、サミア」
「うん、おかえりシウ」
リオンを肩の辺りに抱き上げたまま、シウが私に近付いてただいまのキスをした。いつものことなのに、今日はリオンが澄んだ青い瞳で見つめていた。
「リオン? どうかした?」
「ねえ、ボクに妹か弟っていつできるの?」
「え?」
唐突な質問に私とシウは動揺した。シウの耳は一気に赤くなったし、私も同様な気がした。
「ヨハノスがね、弟か妹が今度生まれるって言ってた。ボクも欲しい」
ヨハノスとは、カタリーナとマルクスの息子だ。彼らは私たちの結婚の一年後に式をあげた。そして生まれたヨハノスとリオンはいとこ同士の関係で、頻繁に遊ぶ仲でもある。今日も勉強が終わった夕方に遊んでいた。
そのとき、カタリーナから第二子懐妊の話は聞いたけど、子ども同士でもそんな話をするとは。
「そういうのは、神様の思し召しと、サミアの気持ちとか色々あるんだ。妊娠出産は大変なことだからね。簡単に欲しいなんて言っちゃいけないよ」
シウが至極まじめな顔つきで、リオンに言い聞かせた。ちらっと私に目線を送りながら。――そんな風に私に全責任を負わせないで欲しい。現状に満足していただけなのに、シウはもう一人欲しかったのかな。
「そうなんだ、ごめんなさい」
リオンがしゅん、とわかりやすく眉を下げる。そうなると、胸が詰まって私はリオンに何でもしてあげたくなってしまうのだ。我が儘に育てちゃいけないのに、私はリオンのすべすべの頬にキスをした。
「リオン、妹か弟が欲しいと思う気持ちは悪いことじゃない。私は、リオンがそんな風に思ってくれてすごく嬉しい。でも、赤ちゃんはすごく手がかかるから、生まれたらリオンばかり構えなくなる。それでも大丈夫なら……」
「大丈夫だよ、ボクはいいお兄ちゃんになる」
何てこと。リオンはまだまだ子どもだと思っていたのにめざましく成長している。感動の波が、胸にざあっと押し寄せた。
「……わかった。あとで神様にお願いしてみる」
「いいの? 母上がお願いしたら、絶対叶うよ」
勘がいいのか、経験則で学習してしまったのか、リオンは私のお願いの神通力に気付いている。そう、私は元は天使だから、神様に願えば大抵は叶ってしまう。
「僕も一緒にお祈りするよ」
「ば、ばか」
シウが嬉しそうに変な含みを持たせるので、私はキッチンに逃げた。リオンを床に下ろしたシウがついてくる。
シウは一年前に即位して、今やクロドメールの国王だ。けれど、この家に帰ってくると威厳はなかった。豪華な服装はそのままだと言うのに不思議なものだ。シウがキッチンに立ち込める夕食の匂いをくんくんと嗅ぐ。
「いい匂いがするね」
「うん、今夜は庭で採れたトマトスープと、おじいちゃんがくれた鶏のロースト」
本物の農夫を雇っているので、この箱庭みたいな村で、自給自足に近い生活ができていた。小さくまとまっているところがほんの少し天の国の暮らしを彷彿とさせるので、私も気に入っている。ついでに、隣に住む早期譲位した元国王も、リオンのおじいちゃんとして悠々自適の隠居生活を送っている。
「おいしそう。サミアの料理が一番おいしいよ。でも、作るのに疲れたらいつでも料理人に頼んでね」
「そうする。でも、リオンが喜ぶからつい」
リオンは、賢い子なので自分が王子だとわかっている。まだ少ないけど、式典などにはきちんと正装をして、王宮に出向いたりもする。そのときには、王宮料理人の作った正餐を摂ったりもする。
だけど私の作った、何でもない家庭料理をとにかく喜んだ。
神に問い合わせたところ、リオンは体がある程度成長して、時が満ちたら前世の記憶を取り戻すらしい。そうしたら、プライドの高かった彼は羞恥心でのたうち回るかもしれないけど、きっと受け入れてくれるだろう。
だって、今際の際で神に対してさえ、素直に言えなかった望みが叶っているのだから。
セシオンの記憶をもらった私でも、すぐにはわからなかった、彼の本当の望み。
セシオンは生まれ変わったら、無償の愛をくれる両親が欲しかったのだ。そんなの、立派な大人だった彼には、とても自認できない欲望だっただろう。
でも、奇しくも孤児として10年間生きるしかなかった私にはわかる。セシオンも孤児だったから、ずっと寂しかったのだ。高い魔力を持つからと人々から称賛されたって、利用されているだけだと勘繰ってしまう。だからあらゆる人を遠ざけた。
でも本心では、ただあるがままに、いるだけで愛してくれる存在を求めていたのだ。
私とシウで料理を盛り付け、リオンとディミウスとみんなで夕餉を囲む。
おいしそうに食事を頬張るリオンを見ていると、私は心から満たされた気持ちになる。
まだまだ気が早いけれど、私はリオンが大人になったところを想像してしまう。
リオンならいつかきっと、愛する人も見つけてくれるだろう。
シウが私を見つけてくれたみたいに。




