夜の告白
結婚式やパレード、披露舞踏会も重要な役目だったが、それ以上に大切な役目がある。
結婚式のあとの初夜は、義務らしい。クロドメール国の王太子であるシウの子どもを生むことは当然ながら、期待されている範疇だろう。
逃がさないとばかりに気合いの入った侍女たちに、私は体をぴかぴかに磨き上げられた。数日おきにこちらの城に泊まるようになっていたので、私も他人に身を任せることに少し慣れていた。
談笑しながら楽しくしていたけれど、薄手の、いかにも脱ぎやすそうなナイトドレスを着せられると、私はそれまでの笑顔を失った。全体にピンク色をしていて、前を二ヶ所のサテンリボンで留めるだけのデザインなのだ。
人間は衣服を纏う必要があるのに、こんなに脱ぎやすく、薄くては衣服の存在として矛盾しているのでは?
どうでもいい思索に耽りたくなる。
「緊張なさることはありませんよ、アンブロシウス殿下に全てお任せしたら良いのです。あんなにお美しい方に抱かれるだなんて、全女性の夢ですわ」
年配の侍女が励ますようにガウンをかけ、私の肩をさすった。入念にマッサージしてもらったのに、固くなってるかもしれない。ぎぎ、と古い機械みたいに侍女に向けて首を動かす。
「やっぱり夢みたいにいいことなのか、な……?」
「あらいやだ、一般論として申し上げましたわ」
どうなのかしらとほかの侍女たちが笑い、みんなの頬が赤らんだ。何を想像してるんだろう?
詳しくは聞けない。
私なりに知識はあるけれど、あれが自分の身に降りかかるのかと思うと、歩く足はどうしても重くなった。が、私は侍女たちに押されるようにして王宮に新しく用意された、私とシウ、二人のための夫婦の寝室へと送り込まれた。
「それでは、よい夜をお過ごし下さいませ」
謎の呪文を唱和して、侍女たちは扉を閉めた。
「サミア、やっと来てくれた」
紺色のナイトガウンを着たシウが、もしあれば尻尾でも振りそうな勢いで私を迎えてくれた。今までずっと添い寝してきた仲だけど、めでたく夫婦となった今夜は少し雰囲気が違う。
シウも、普段の上までボタンで止まるシャツタイプの寝巻きじゃない。胸元が開いていて、腰紐で縛るだけの脱ぎやすそうな格好をしていた。あまり見かけないシウの胸元の筋肉の造形美に、恥ずかしくて俯いてしまう。
「じょ、女性は準備が色々あるんだ」
「そうだよね。その格好もすっごくかわいい」
慣れた手つきで、シウは私の頬を撫でる。それは、キスのサインだ。立ったままキスをするには、身長差があるので私は顔を上げる必要があるからだ。請われるままに私はシウを見上げ、安心感のあるキスをした。この後どうしよう――と気持ちが逸れていると、突然強く抱かれた。ふわっと足が宙に浮く。
「きゃあっ?!」
口を離した私は、あらぬ悲鳴を上げた。シウが私を縦に抱え上げたのだ。自分でも、へえ、こんなかわいい声が出るんだと驚いてしまう。しかもお尻の下にシウの手があるので、すごく気になる。
「大丈夫、僕がサミアを落とす訳ないよ」
私を運びながら、あくまで紳士的にもう一度キスをした。シウはそのまま優しく優しく、丁寧に部屋の奥に鎮座するベッドに私を下ろした。嘘みたい、ほんとにスムーズに進んでる――
シウがこういうことに熟練しているはずは絶対にないので、イメージトレーニングとかの効果だろう。もしかして、人形とかでは練習したかもしれない。
そんな変な練習を、シウは一生懸命してくれたのかな。私はこのときを考えると羞恥心でいたたまれなくて、時が流れるに任せて何にもしてこなかったのに。
最低限、妊娠さえできたらいいから、動物のようにパッと済ませてもいいくらいに思っていた。なのに、シウの触れ方は、優しさと愛情に満ちている。
初めてキスをした雪原のときのように、シウが私に覆い被さった。今日一日の疲れはどこに行ったのやら、シウの美貌には一切の翳りがない。愛を確信したキラキラの瞳が、私をまっすぐに見つめていた。美しいを超えて、かわいいなと心が震える。かわいいが、愛する人を讃える最上級の形容詞だったのかもしれない。
「大好き、愛してる」
「うん……私も」
どうにか小さな声で答えると、私の頬や、首筋にシウは温かいキスを落としていく。嬉しくて、くすぐったい。シウの滑らかで、ひんやりした白銀の髪を指の間に通した。
私はシウを愛しているし、シウの愛も確かに伝わってくる。
なのに、なぜか目が熱くなり、生温かい涙が目尻から耳に溜まっていく。胸がいっぱいになりすぎて、どう呼吸したらいいかわからない。
泣いちゃダメだと思ったのに、喉が痙攣するみたいに自制できず、私はついに、ひくっと嗚咽を漏らした。艶っぽさのかけらもない、鼻が詰まった涙声にシウが顔を上げる。そしてハッとしたように、息を呑んだ。
「どうしたの? 嫌だった?」
「違う、ごめん……」
申し訳なくて顔を袖で隠すと、シウが腕をつかんだ。
「こっちを見て」
あんなに嬉しそうだったのに、シウは悲痛な眼差しになっていた。性急過ぎただなんて、自分を責めて欲しくない。きちんと結婚もしたし、何時間もかけて身を清めた。私は気持ちを落ち着けようと深呼吸をする。
「ごめん。全然、嫌じゃないんだ……ただ、幸せすぎて不安になっただけだから、続きを」
「どう不安なの?教えて」
呼吸しづらそうな私の上半身を抱き起こし、シウは背中を撫でてくれた。そんなことをされると、また涙が出てしまうし、私はしゃくり上げた。
「私ばかりが、こんなに幸せになっちゃいけない気がして……」
結婚をお祝いしてくれたみんなの顔や声が、頭の中を駆け巡る。医療改革を成功させたとか、転移ゲートを開発したとかで私を称賛してくれた。だけど、どれだけ人々の為に尽くしても、私の罪は消えない。ディミウスの罪は私の罪でもある。
ディミウスは何も語らないけれど、あんなに近くにいた私の存在が影響しなかったことは、絶対にないだろう。だから、私がセシオンや前世のシウの命、多くの人々の命を奪ったも同然なのだ。
なのに、まるで良いことしかしていない善人みたいな顔で、幸福に埋もれていいか、もう全然わからない。
「サミア」
肩が震え、嗚咽するばかりの私の涙をシウは拭い、顔を上げさせる。
「僕は、サミアがこの世に生まれてくれて良かったと思う」
まだ何も説明できてないのに、私が一番欲しい言葉をシウはくれる。私が生まれなければ、なんて考えることも出来ないくらい、心の奥底に閉じ込めている恐れが、いとも簡単に砕け散った。
世のため人のためと、懸命に働くのは良心からだけじゃない。私はいつも、自分の存在に後ろめたさを感じていた。
「僕は、サミアがいなかったら寂しくてきっと死んでたよ。僕を救ってくれた、それだけでいいよ」
新しい涙が頬を伝うので、シウが自分の服の柔らかな袖で拭ってくれた。こんなに私のことを考えて、わかつてくれる人は、ほかにいないだろう。
いい雰囲気に水を差しても、怒りもしないで付き合ってくれる。私はシウじゃなきゃ絶対にダメなんだ。いつも私を救ってくれるのは、シウなのだから。
「僕だけを見て」
哀願されるまま、私は潤んだ紺碧の瞳の奥を覗く。吸い込まれるようで、色んなことがどうでも良くなってしまう。
私はあまりに大それたことを願っていた。過去を悔やんでも過去は覆らない。私が罪悪感のために罪悪感を呼び起こしても、誰も幸せにならない。
だったら、シウが私のためを思って行動してくれるように、私もシウのためだけに生きてみたくなった。そう簡単に考え方の癖は変わらないけれど、少なくとも今だけは。
「もう、不安にならないで。サミア」
「うん」
額をコツンと合わせ、深く口付ける。
「僕がどれだけサミアを愛してるか、わかって」
吐息がかかるくらい顔を近付けたまま、シウが囁いた。喉の奥でうん、と返事をしたけれど上手く音にはならなかった。もう一度唇が合わせられたから。
◆◆◆
朝陽が眩しくて目を開けると、すぐ横に端正なシウの寝顔があった。白銀の長い睫毛は微かに濡れて、輝いている。
「あっ」
昨夜の記憶が一気に蘇り、私は横になっているというのに目眩がした。シウは一晩中、『サミア、かわいい、大好き、愛してる』を順不同で繰り返した。あまりの愛の質量に当てられて、押し潰されて、一度死んで生まれ変わったような気分だった。
しかも私まで段々のぼせ上がって、普段なら言わないようなことを言った。だって、好きな人にそれだけ愛を囁かれて、とても正気ではいられない。正気じゃないようなことも、した。
「うわあ……」
変な汗が滲むけど、行方不明の着るものを探しにベッドを降りようとすると、シウが後ろからかばっと私を抱き締めた。
「行かないで、僕のかわいい女神」
「あ、朝から何を言ってるんだ?」
「僕の気持ちだよ。サミアは僕の楽園、僕の甘い果実」
「もうやだ、結婚した途端に本性を見せるんだから」
シウは感情表現が素直なタイプかと思っていたのに、実はかなり抑制していたのだ。シウの愛はとてつもなく重くて、濃縮されて、発酵していた。だから私はあんな、お酒に酔ったみたいになったんだ。
「僕の本性が嫌になった?」
「そんな……ことないけど」
答えをわかってて聞いてるんだと思う。爽やかな朝なのに、いつの間にかシウが上体を起こし、私の肩の横に手をついている。シウの微かに開いた薔薇色の唇が艶やかで瑞々しい。
「大好き、サミア」
「昨日散々聞いた」
「死ぬまで言うよ」
明日更新の次話で終わります。




