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雪原にて

 「あのさ、サミア、最近寂しかったの?」


「別に、寂しくなんかない。さっきのは言葉のあやというか、交渉のうちだ」


 確かに日中はお互いに忙しくて別々に動いているけど、夜は一緒にご飯を食べて、一緒に眠っている。私が否定しているのに、シウはじりじりと詰め寄ってきた。


「寂しかったんでしょ?」

「いや……うん」


 でもよく考えると、食べたり眠らなきゃいけないときに一緒にいるだけ、とも言えた。あれはお互いのための時間ではなく、翌日の仕事に備えるためだけの時間だ。


 もう以前のように、海を眺めて何もしないでゆっくり過ごす時間はなくなっていた。シウは悲しげに眉根を寄せる。


「サミアが最近冷たかったのは、怒ってたからなんだね。寂しい思いをさせてごめんね」


 シウは私の頭をそっと撫で、抱き寄せた。そんな風にされると、ものすごく寂しかったような気になってしまう。急に旅をしていた頃の、朝から晩まで常に寄り添っていた日々が懐かしくなった。


「私こそ、冷たく見えたならごめん」


 私の最近の態度にも、反省すべき点があったかもしれない。


 ――でも、よしよしと撫でられながらも、シウの交渉やかけひきが、すごく成長したなあと感慨に耽ってしまう。私も世慣れしたつもりだったけど、シウも同様だった。

 以前のシウなら感情的に訴えるばかりで、私がやれやれと呆れることの方が多かったのに、今はなんということか。私はすっかり懐柔されて、シウの腕に抱かれるばかり。


「ううん、僕も焦って余裕がなかった。結婚するまでに、サミアが安心できる環境にしたかったんだ。人間って、国が巣みたいなものだから」

「そ、そうなんだ」


 シウは大真面目に壮大なことを語る。白竜の雄が雌のために巣作りするように、シウは国作りをしているということか。すごい話だ。


「でももうすぐ終わるからね。ね、帰る前に寄り道しない?」

「どこに?」

「僕の思い出の場所」


 それはとても興味深く、私は頷いた。シウがアイギスの白銀の背中をぽんぽんと叩く。今は、アイギスの背に乗って大空を絶賛移動中である。


「アイギス、北東に進路を変更して」

「わかりました」

「島嶼部が見えるようになったら、潮目から西、三日月形の島を越えて北へ」

「ああ、あそこですね」


 かつては白竜として世界中を飛び回ったシウは、頭の中に詳細な地図が入っている。アイギスもそうなので、ふたりはもうわかったらしい。



 あっという間に到着した場所は、上空から見るとドーナツ形の山に囲まれた雪原だった。山々は数千本の槍のように尖っていて、空からでないと入れそうにない。


 そこにふわっと新雪を舞い上げ、アイギスは着陸した。周囲には、足跡ひとつない。生物の気配のない静かなところだ。


「ここ、前世で僕が良くいたところなんだ。何もなくて、誰も来ないから」

「ううん、すごく美しいところだ」


 私は興奮して、アイギスから急いで降りようとした。


「待って、そのままだと絶対に寒いよ」


 シウがアイテムポーチから、上質そうな毛皮のコートや手袋を取り出して着せてくれた。アイギスに乗ってるときは、ドーム状の魔力に覆われてどんな低温でも高温でも問題ないが、降りるなら話は別だ。


「こんなの、いつの間に用意してたんだ? ありがとう」


 温かい空気を纏う防寒の魔法もあるにはあるけど、それでは自分の周囲の雪が溶けてしまって風情がないし、こういう分厚いコートを着込むのも初めてで、面白かった。


「クロドメールはもうすぐ冬を迎えるからね」

「そうか。私、雪って初めてなんだ。だから嬉しい」


 天の国では常春だったし、人として生まれ落ちたゼイーダ国は、温暖な気候で冬でも雪は降らなかった。本物の雪を前にそわそわしてしまう。靴をブーツに履き替えてから、勢いよく雪原に降り立った。


「わあ……」


 降り積もった雪の表面は柔らかいけど、意外とその下は硬いんだなと感動する。


 低温下で吐く息は白く煙り、たまに空中でキラキラして見える。適当に中心近くまで歩き、雪の上で仰向けになってみた。すぐ隣で、シウも同じように仰向けになる。


 薄曇りの空は見上げても眩しくはない。ふわふわと落ちてくる雪は、私を中心に放射状に広がっていくように視界から消える。コートを着ていても雪に接した背中や、手足の先、吸い込む息で胸の中まで冷えが染み込んでくるけれど、いつまでもこうしていたかった。


「サミア」

「うん?」

「キスしていい?」


 最初からそれが目的だったのか、と驚いて首を動かした。シウの鼻先や頬が赤くなっている。寒さのせいだけじゃないだろうし、私も同じくらい赤くなっているだろう。


「いいけど」

「えっと、じゃあするね」


 私が返事をすると、シウが素早く私の上に馬乗りになった。匠な運動神経によって、一切体重はかけてこないけれど、視界がシウでいっぱいになって、緊張のあまり私は喉を鳴らした。


 人間がこの体勢になるとき、殺したいかキスをしたいか二択だな、と変なことを考えてしまう。


 シウの白銀の睫毛が同じ色の雪によって装飾され、幻想的なくらいだった。紺碧の瞳は高温の炎みたいに、情熱的に私を見つめている。


「やるなら早く。一思いにやって」


 未知のものへの緊張と羞恥に耐えきれず、私はぎゅっと目を瞑った。


「そ、そんなに嫌ならしないよ」

「嫌じゃない」

「本当に?」

「うん」


 私とシウは、ハグなどのスキンシップはあるのに、未だにキスをしたことがない。でも世界中の愛しあう人たちの間ではありふれている行為であり、大切なものとされている。機会があったらしてみたかったのだ。その機会がわからなかっただけで。


「だから早く、キスして」


 私は目をそろそろと開け、ねだるみたいにシウの肩の辺りに触れた。手袋とシウのコート越しでも伝わる、しっかりした筋肉に胸がドキドキした。


「サミア……」


 シウは大きく白い息を吐き、空中に広がっては消える。靄が消えたとき、どうやったのかシウは凄絶な色気を滲ませていた。もうすっかり大人の男という感じだ。


 今までキスがなかったのは、私に色気が足りないからかもと思っていたけど、私がねだったくらいですごく興奮してる。どうしよう、今になってやめたくなってきた。


 だけど熱い頬に、シウのひんやりした手袋の感触が触れて、顔を固定される。覚悟を決めて目を閉じると、すぐに唇にくすぐったい感触があった。


 冷えすぎて感覚があまりなかったけれど、何度も角度を変えて押しつけられるうちに、温かくなってきてじんわりと私をとろけさせた。世界中の恋人たちの秘密を、やっと知った気分だ。夢中になるのもわかってしまう。


 口は、人の体の中で自分の意思や気持ちを伝える部分だから、生きているうちに特別な機能を身につけるのかもしれない。


 口付けが繰り返される度に、シウに大好きと言われているみたい。言葉よりもっと直接的に胸に投げ込まれる気持ちに応えたくて、私は同じ動きを返し、シウの頭を撫でた。


 こんな寒風の吹きすさぶ雪原でなければ、私たちはいつまでもやめられなかったかもしれない。体の芯は燃えているけれど、私が寒さで震えてきてしまって名残惜しそうにシウが離れていく。


「そろそろ、帰らないとね」


 シウはまだはっきりと熱情のこもった瞳で見下ろしてくるので、私は照れ隠しに何か言おうとする。


「困ったな」

「何が?」


 私の台詞は、キスのあとの第一声としては良くないものだった。掠れた声のシウの方が困って心配そうになった。


「いやあの……これから、雪を見る度にキスをしたくなりそうだから」


 思いつきで喋るというのは、無意識を引っ張り出してくるということだ。正直な気持ちすぎて、私は言ってから後悔した。


「ああ」


 シウは、ふふっと優美な曲線を描く唇を笑ませる。


「僕もそう」


 私を抱き起こしたシウは、もう一度軽いキスをした。


「困ったね。クロドメールはこれからたくさん雪が降る」

「……うん」

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