ボルディア国
カタリーナの騒動があって数日後、私とシウはアイギスに乗って件のボルディア国を訪れた。
名目は、史上最も優れた治癒力を持つ私が、誰の、どんな病や怪我でも治して進ぜよう――というもので事前連絡をした。
これなら政治的な活動ではなく、善意の行いだとして建前が通る。だけど本音はもちろん、カタリーナを嫁に寄越せと騒ぐのはやめさせ、不当に吊り上げた賠償金額を順当な額にして、終戦交渉に決着をつけさせることにある。つまり、治療をしながら宥めたりすかしたりして脅すつもりだった。
大型の馬車より余程巨大な、白竜アイギスは静かにボルディア国の王宮庭園に着陸した。
「アンブロシウス殿下、並びにサミア殿下、お待ちしておりました」
即座に立派な口ひげの中年男性が丁重に近寄ってきて、頭を下げた。侍従長とか、そんな感じだろうか。正装の騎士などもいた。まだシウと結婚していない私は正式には殿下なんて敬称を付けられる立場じゃないけど、ここは流しておこう。
「堅苦しい挨拶は不要だ。治癒が必要な患者は?」
一度言ってみたかったやつ、堅苦しい挨拶は不要――をばしっと決め、私は胸を張った。
「では、こちらにどうぞ」
侍従長は流れるように私たちを案内する。
でも背後の騎士たちから、「小さい」「本当にあの少女が大賢者並の魔力を?」なんてコソコソ無駄口を叩いているのが聞こえてしまった。
私の身長はごく普通くらいだが、背が高いシウの隣にいると小さく見えてしまうのか。私がため息をつくとシウがパッと振り向き、一瞬で騎士たちを震え上がらせた。絶世の美形は、黙って睨むだけで迫力があるんだろう。
ボルディアの王宮は屋根が朱色に塗られ、白い石壁と相まってかわいらしかった。内部はモザイク壁画などで装飾されている。
ヴォールト天井の廊下を通り、謁見の間に案内される。そこには予想通り、王族らしき豪華な装束の人々が並んでいた。
セシオンが自由に動くため、世界各国の王族へ特別な治療をしていたのは、未だにボルディア国の彼らの記憶に新しいようだ。カタリーナと結婚させようとした第4王子でさえ32歳だと言うし、まあまあ王族の高齢化が進んでいる。それでもシウには女性陣から熱視線が注がれていた。
最奥の玉座には、ボルディア王がだらしなく座っていた。64歳だと聞いているが、顔はたるみ、皺だらけだった。
「ボルディア王陛下にご挨拶申し上げます」
とりあえず、私とシウは型通りの挨拶をした。カタリーナが教えてくれるので最近はほんの少し、丁寧な言葉遣いも出来るようになった。
「良い。それより、どのような治癒も可能なのか?」
王が言葉を発するために口を開けた瞬間、私はうわっと声をあげそうになった。歯が全然ないのだ。だから発音もかなりふがふがと不明瞭で、何とか脳内で反芻して意味を理解する。
一般的な聖女は、怪我の治療はできるが、抜けてしまった歯はどうにもならない。私は歯の治療に絞ることにした。横にいるシウに、「予定変更、優しくしてやる」と囁いた。シウはあまりわかってないだろうが、小さく頷く。
「はい。陛下の歯を生やすことも可能です」
「何だと?」
「失われた歯の治療はとても難解で多くの魔力を必要としますが、私なら可能です」
垂れ下がった目蓋を見開き、ボルディア王は虹彩の濁った青い瞳で私を見据えた。この人、目にも問題がありそう。
「確かか?」
「それ以上悪くはならないでしょう」
正直に答えたらうっかり嫌みになってしまったが、ボルディア王は表情を変えず立ち上がった。
「は、早くやってくれ! こっちに来い!」
流石に謁見の間での治療は嫌なのか、別室に移動した。すぐ近くの、パーティーで使うような休憩室が医務室に模様替えされていた。診察台に、ボルディア王はゴロンと寝転がる。
付いてきた侍従や騎士たちは壁に沿って見守っていた。私はシウが取り出してくれたガウンと、ゴムの樹液でできた手袋を身につける。シウは私の手が、汚い男の血や体液にまみれることを心配して作ってくれた。
「では、始めます。口を開けて」
「ああ……」
ゴム手袋をした指先で、口腔内に触れる。
実のところ、ボルディア王の口に手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせて、おうこらいい加減にしろと脅迫する可能性も考えていたが、その歯がない以上優しくしてやるしかないのだ。
「懊悩と煩悶の源、憂いと苦患の禍……」
適当に呪文っぽいものを唱え、魔力を少しだけ流した。ほんのり温かく感じているだろう。本当は、呪文なんていらなかった。すっかり昔の記憶を取り戻した私は、神の奇跡の一部が行使できる。
「聖なる力により、常闇を抜け、奕奕たる輝きを得よ」
私の奇跡の力により、ボルディア王の上の前歯が一本、白く輝いて生えた。
「ぬあっ?!」
自分の指や舌で歯を確認し、ボルディア王は驚愕と喜びに目を潤ませた。部屋の内外にいるボルディア国側の人々が一斉に拍手をする。
「素晴らしい! もっとやってくれ!」
「奇跡の力ですので、1回に1本しかできません」
さも残念そうに、私は首を振った。ついでに疲労困憊した風にシウに寄りかかる。シウはしっかりと抱き止めてくれた。
「そうか、次はいつ治療してくれるんだ?」
期待に溢れたボルディア国王の眼差しは、すがり付くようだ。
だけど私は最近、クロドメール国内で聖女と魔導師たちに治療を教えていて、『勿体ぶる』という技を学んだ。教える者は、教えられるというが本当だった。
自らの技能に驕り高ぶるのは良くないが、治療する際に多少は苦労があると勿体ぶらないと、あれもこれもと人々の要求がエスカレートするのだ。ついでにニキビ跡を消してとか。だから、直ちに命に関わらないものは少しずつ、と決めているし、これは応用編といえる。
「何もなければ、7日後には力が回復しますが……」
「何かあるのか? 金か? 何でも言いなさい」
私は手袋を外し、もじもじと指を動かした。
「お金などいりません。私は世界平和のために貢献すると誓約していますから、無償で結構です」
「では何だと言うのだ!」
「私も人間ですから、感情があります。実はもうすぐ義理の妹になるカタリーナ王女が心配で堪らないのです。先日、愛する方と婚約をしましたが、貴国が怒っているじゃないですか」
カタリーナとマルクスが婚約したことに、ボルディア国は文句を言えないはずだった。別にボルディアと昔から約束していた訳でもないし、一方的に要求されて即座に断ったというのに、期待を裏切られたなどと騒いでいた。
ボルディア王はぎりっと歯噛みするように口元を歪めた。まだ奥歯はないけど。
「カタリーナ王女の件は、もうどうでもいい。不問に付す」
「でも、終戦交渉が決着しないと、シウ……アンブロシウス王太子も多忙みたいで、寂しくて胸が痛むのです」
私はシウにしがみついた。
「えっごめんね、サミアに寂しい思いさせてた?僕はいつでもサミアを」
「シウは黙ってて」
肘を鳩尾に軽く押しつけるとシウはすん、と鼻を鳴らした。ボルディア王が忌々しげに拳を握る。
「わかった、早くに決着を付けよう」
「感謝致します。心配事が解消したら、いずれ陛下の目も治して差し上げられるかと思います」
「即刻、終わらせる」
ボルディア王は気合の声と共に診察台から立ち上がり、あちこちに命令を下し始めた。
力を使い尽くしたことにしてしまったし、今すぐ治さなければいけない急病人もいないようだったので、私たちは帰り支度をした。
なお、興味本位で教えてもらった第4王子は、かなり太った脂っこい人物だった。多分、カタリーナの好みとは真逆だろう。
アイギスに乗ってボルディア国を飛び立ち、大空に翔け上がってからシウがゴホンと咳払いをした。
「あのさ、サミア、最近寂しかったの?」




