表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/72

マルクスは断れなかった

 代表の聖女、魔導師たちと病院に向かう馬車に乗り込むと、彼女たちは興奮冷めやらぬ様子で話しかけてきた。


「先ほどは、教皇聖下に何と仰ったのですか?」

「すごいです、あの陰険……偉大な聖下に自ら自分の頬を打たせるなんて!私、胸がすうっと……」


 奇しくも、彼女たちの好感を得てしまったようだ。本当にマルクスは嫌われてるな、と苦笑してしまう。


「大したことじゃない。でも、誰しも完璧ではないから、そんなこともあるよ」


 私の発言は全然面白くないと思うが、なぜか彼女たちは盛り上がった。笑ったり、大声を上げたり。


「サミア様は完璧ではないでしょうか? 治癒も攻撃魔法も、何でも使える上に、人徳もあります。私たちにだって、戦争が終わり働き口が減ったところをお声かけして下さったじゃないですか。誠に感謝しております」


 隣に座る魔導師の代表が、瞳を輝かせて謝意を述べてくれた。攻撃魔法を専門とする魔導師たちは軍部に所属しているが、やはり戦争がなくなれば籍を外されたり、給料が減ったりするらしい。


 魔導師たちの魔法――麻痺魔法や、高熱魔法を病気や怪我の治療に用いる取り組みは、今のところ私の主導で進めている。


「私は全く完璧じゃないよ。確かに大抵の魔法は使えるが、腕は2本、口はひとつしかない。多くの患者を救うには、あなたたちの助けが必要なんだ」

「まあ……」


 かなり面映ゆくはあったが、いかにも聖人みたいな口調で私はみんなに語りかける。どうやらみんな、感銘を受けてくれたようだ。


「また、私は今乗っている馬車を操れないし、衣服だってこんなに上手く作れない。空腹になっても魚を採れないし、家畜だって捌けない。あなたたちも多分そうだな?」


 大げさに服の裾をつまみ、それから馬車の壁で見えない御者の方向を指し示す。みんなは一様に頷いた。


「私たちはみな、支え合っているんだ。いつも他人への感謝の心を忘れてはいけないよ」


 戦地で聖女と魔導師たちが調子に乗っていたと聞いたときは、うまく言語化できなかったが、私は言いたいのはこんなことだった。


「仰る通りです。教皇聖下の長ったらしい……じゃない、厳かなお説教に比べてサミア様のお言葉は短くて胸に染み渡ります。私、治療をがんばります!」

「私も、全力を尽くします!」


 マルクスの作戦通りに、私はみんなにいい印象を与えられたようだ。私はひっそりと、マルクスに感謝した。そうこうしているうちに、馬車は病院へとたどり着き、記念すべき1回目の治療法の伝授は、大成功に終わった。




 夕方に王宮の馬車止めに戻ると、悩み抜いたのか、朝よりげっそりしたマルクスが出迎えてくれた。


「サミア様のお帰りをお待ちしておりました。朝の続き、詳しくお話して頂けますよね?」

「もちろん」


 ひそひそと囁きあう聖女と魔導師に別れを告げ、私は神殿のマルクスの小部屋へと同行した。いつもの、小さな丸テーブルを囲む席にかける。


「あの、まず始めに申し上げますが」


 自ら淹れてくれた、香りの良い紅茶を私の前に置き、マルクスから話を切り出してくる。私が疲れてるだろうと薄焼きのキャラメルビスケットまで添えてあった。本当にマルクスはいい人だから、早くこんな風にカタリーナとお茶でもしてくれたらいいのにな。


「カタリーナ王女殿下とサミア様の仲がよろしいのは、大変結構なことと存じます。けれど、女性同士のお遊びに私を巻き込むのはやめて頂きたいのです。それと、多くの人に勘違いをされていますが、私は基本的にこの能力を使って、無闇に他人の私生活を覗いたりはしないのです」


 なるほど、女同士のお遊びだったという結論を出したのだなと、私は神妙に頷いた。多くの人に嫌われて過ごすマルクスは、カタリーナに好意を寄せられているなどとは、とても信じられないのだろう。


「そうか。すまなかったな」


 私が素直に謝ると、マルクスは紫の瞳をぱちぱちと瞬かせた。


「いえ、わかって頂けたら結構です」


 言いたいことを言い終えたマルクスは、もう次の言葉がないようだ。私は黙ってサクサクのビスケットを食べ進めたが、あまり焦らしてもかわいそうかと紅茶を一口飲み、カップを置いた。


「だけどお遊びじゃないんだ。カタリーナは、真剣にマルクスを好きでいる」

「……王女殿下とはほとんどお話したことがありませんし、多くの人同様に避けられていると感じていましたが」


 マルクスは私のひとことで、多くの疑問が湧き上がったようだ。それでもそこにカタリーナへの嫌悪感はないようなので、良い傾向だ。


 なにせ私は昨夜、カタリーナに『マルクスから婚約の申し込みをさせる』と約束した。


 これでも元天使だ。今はお菓子を出されたらすぐ貪るくらいにただの人と成り果てているし、世界中を幸せにはできなかったけど、愛に迷える人々を結びつけるのは得意だったのだ。


 にやつく私に、マルクスは首を振った。


「王女殿下は幼い方です。あのくらいの年齢の女性が歳上の男性に憧れるのは、よくある現象といいます。私自身ではなく、恋に憧れ、その対象に害のなさそうな私を選んで下さっただけでしょう」


 カタリーナの心配する通りであり、私はもっとにやつきそうになった。彼女は昨夜、マルクスは27歳で、きっと16歳の自分など子ども扱いされてしまう――とめそめそしていた。クロドメール国は16歳で成人なのだが、どこの国でも、年長者は年下を子ども扱いするものだ。私も含めて。


「うん、マルクスは本当に優しいし、最高にいい男だからカタリーナに一切害を与えないと思うよ」

「な、何ですか急に?」


 嫌われたり罵倒されることには慣れているのに、誉められると弱いマルクスは動揺した。


「だから、カタリーナを保護してやってくれないか?」

「私が、王女殿下を?」


 カタリーナを守る存在は、国王も兄も騎士もいるだろうとマルクスは怪訝そうに眉をひそめる。マルクスは特別武力に秀でてはいない。


「実はな、カタリーナは、ボルディア国の第4王子と政略結婚しようとしてるんだ。そうしたら、和平交渉に決着がつくと」

「なんと」

「それで、きれいな体のうちにマルクスにあれを見てもらいたかったんだろうな」


 マルクスはこめかみに指を押し当てる。


「ごく普通に、直接会って言葉で好意を示して欲しかったですね……」

「そこはまあ、直接会ってマルクスの能力で見られたくないものがいっぱいあるそうだ。はしたない小説を読んでいることとか」


 昨夜、カタリーナから話のついでに見せてもらった小説は、『王子に捨てられたけど、氷の教皇に溺愛されてるからご心配なく』『イケメン教皇は幼な妻を蜜愛する』『真夜中の聖下は絶倫』などとなかなかのものだった。マルクスは直接の関わりこそ敬遠こそされてるが、何せ顔がいいので、王都には彼をモデルにした小説がいくつもあるそうだ。


「ちょっと羞恥の感覚が変わった方ですね」

「そういう感覚は人それぞれだから。それより、ボルディアの第4王子なんて、32歳だし、絶対ろくでもないやつだぞ」

「そんな政略結婚など、国王陛下とアンブロシウス王子殿下が断るでしょう」


「まさに、断っている真っ最中だろう。そして、そのことにカタリーナは胸を痛めてるんだ。自分は何の役にも立てない上に、いるだけで相手国に付け入る隙を与えてしまっていると」


 カタリーナは当然ながらシウのように戦地には行かなかったし、他国との交渉に直接参加もしない。それで当たり前なのだけど、心苦しく思っていたらしい。


 マルクスが良いことを思い付いたかのように、テーブルの上で軽く拳を握る。


「では、一時的にでも国内の適当な相手と婚約してしまえば良いではないですか」

「カタリーナは魅力的な人物だよ。身分も含めて。そこらの貴族家門が、第一王女カタリーナと婚約して、それだけで済むと思うか? 絶対に手離さないだろうなあ」


 ああ大変だなあ、カタリーナはマルクスが好きなのになあ、と私は繋げた。

 マルクスは元は侯爵家の出であり、貴族が名誉と利益に貪欲だと、よく知っているはずだった。もっとも、マルクスは過去を見透す能力を公表し、聖職者となってからは絶縁状態だそうだ。それもカタリーナから聞いた。


「それに貴族だって10代の男は獣だし、既成事実を作ろうとカタリーナに無理に迫るだろうなあ。その点、高潔で思慮深い紳士、マルクスなら婚約しても熟慮期間を設けるだろうし、カタリーナの気持ちはそこにあるし、楽しく過ごせそうなのに」


 私がマルクスへの褒め言葉を混ぜて捲し立てると、彼はぐっと唇を引き結ぶ。


 多分、悪くない話だと思っている。マルクスは寂しがりやで、本当は誰かを愛したいと思っている人だ。もちろん誰でもいいって訳じゃないだろうし、カタリーナへの恋愛感情が芽生えるかはわからない。


 でも、マルクスとカタリーナなら、お互いに尊敬しあい、親愛に満ちた関係を築けると思うのだ。


 マルクスが迷うように自分のカップを指先でなぞり、やがて視線を上げる。


「わかりました。天が私に与えたこの能力以外にも、私の身に使い道があるのですね。この教皇たる身分がカタリーナ殿下を守る盾となるのなら、そのお役目を謹んで拝受致しましょう」

「……うん」


 思ってたのと大分違って堅苦しいが、マルクスはやる気になってくれたようだ。


「時が経ち、カタリーナ殿下が大人の女性の分別を身に付けたら、私などきっと捨てられるでしょうが、そのときはそのときです」

「うーん」


 カタリーナは絶対そんなことしないだろうけど、私は何も言わないことにした。心配しなくても、数年以内にカタリーナはマルクスの信頼を勝ち得るだろう。


「実は、カタリーナを呼んでるんだ。あとは直接話してくれ」


 私は立ち上がって、ドアを開ける。夕方過ぎにはマルクスに上手いこと話をつけておくから、神殿に来てと頼んであった。


「あっ」


 予定通りカタリーナはそこにいたが、横にシウまで立っていて私は驚きの声をあげる。


「シウ、二日酔いは治ったのか?」

「うん。それより、カタリーナと教皇聖下を婚約させるって本気?」


 シウの容赦ない無神経な発言と、私の後ろから顔を覗かせたマルクスを見てカタリーナが俯き、真っ赤になった。


「ミュラー教皇聖下にご挨拶申し上げます。この度は、私の不躾で不敬な行動により、大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 それでも恥をこらえ、カタリーナが恭しく淑女の礼をした。昨夜はあんなにマルクス様と連呼してたのに、カチコチの役職と敬称呼びになってしまっている。マルクスは幼子に話しかけるように長い脚を少し曲げてかがみ、微笑んだ。


「カタリーナ殿下、顔を上げて下さい」

「……はい」


 目の前で始まった甘酸っぱい雰囲気のやり取りに、私とシウは黙るしかない。


「カタリーナ殿下、私は何も迷惑などとは思っていません」

「で、でも」

「お気持ちは、とても光栄です」

「ということは、やはりわたくしでは、その……」

「あ、いえ、違います。私でよろしければ、殿下を守る盾として使って頂きたいと存じます」

「ミュラー教皇聖下を盾に、とは?」


 話が長くなりそうなので、私はシウを小部屋に引っ張っていき、一緒に残っているビスケットを食べた。シウは嫌そうではあるけど、私が反対はさせなかった。


 カタリーナとマルクスは長い時間をかけてもどかしい会話を続けたが、何とか婚約することに決まったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ