ディミウスの過去 1(ディミウス視点)
少し長いですが、ディミウス視点となっております。
マルクスという教皇に過去を読み取られ、私は不愉快になっていた。たまにああいった、突然変異的な人間が生まれるように神は仕組んでいる。
予測不可能な未来を望みつつ、巧妙にあらゆる事態を予測して様々な存在を駒のように配置しているのが、神の偉大さのひとつとも言えるだろう。憎しみを通り越して、感心してしまう。
「ディミウス、もう機嫌を直して」
「ふん」
私はベルギエルの腕に抱かれ、腹立ち紛れに尻尾を振り回した。ベルギエルは今は『サミア』と呼ばれている上に、その体は全く違うものだ。だから声質も当然に違うが、口調や話し方が全く同じであり、私は彼女に名を呼ばれるのが嫌いではない。
――遠い昔、私は神の現し身として作られた。
「ディミウスよ。お前は私の最高傑作だ。その器に、私に良く似た魂を入れた。この天の国で暮らし、私の話し相手となってくれ」
万物を作り出した神は、自由であり、また不自由であった。その魂を収める器だけはどうしても作れず、遍く世界に広がっている。
同列に並ぶ者がなく、孤独ゆえに私を作ったのだと言う。
私は誰よりも偉大な存在に愛されているのだと、数百年は幸福に暮らした。私の肉体は始めから完成形であり、老いることがなかった。
地上には、既に多種多様な生き物が溢れかえっていた。その暮らしを泉から覗き、神と話し合い、更なる理想の世界を追い求めた。
ときには地上に降り、迷える人間に助言を与え、導いた。人間は神が最も愛着を持っている種だった。私を人間として作ったのも、そのせいだろう。知能が高く作られたが、体が軟弱なため集団生活が必要という点で問題を起こしやすい。
人間は争いを繰返しつつも順調に子孫を増やし、集団は国に分かれ、また大きな争いへと発展した。
「どうして上手くいかないんだ」
私と神は共に苦悩した。何度も起こる同じ争いに、私の自尊心は砕かれ、役立たずとして放棄されるのではないかと密かに怯えた。私は最高傑作で、特別な存在であるはずなのに、神の心を慰められていない。であれば、不要となってしまう。
「ディミウスよ」
「はい」
若かった私の懊悩は、すぐに見抜かれた。神は老人の姿を取って微笑んだ。私が話をしやすいようによく使う姿だった。
「すまない、おまえに私と同じ孤独と苦しみを与えるつもりはなかった。私も失敗ばかりだった」
そう言いながらも、神の両の手に光が集まっていた。新しい命を作ろうとしていたのだ。
「ディミウスにも、同列の話し相手が必要だったな。今度は少し、楽観的な魂にしよう。そうだ、ついでに体は女性型とする」
私が絶望感に襲われていると気付いていないはずはなかったが、神は平然と語った。
私が不要になったのか?
私より、もっと良い存在を作っているのか?
「さあ、受けとれ」
震える私に、小さな赤子が授けられた。胸に押し抱いても、ほとんど重みを感じない弱々しい命だ。小さな丸い手は楓の葉のようで、細く短い指に信じられないほど小さな爪が付いている。
私の指一本を握るのがやっとだというのに、赤子はなぜか、私の指を握って離してくれなかった。
「おまえと同じで、食事の必要はない。好きに育てるといい」
「何と名付けたら良いでしょう」
「ディミウスが決めろ。しばらく地上のことは私がやるから、おまえにはこの子を任せる」
そう言って、神は姿を消してしまった。姿が見えずとも確かにいるのに、どんなに呼びかけようと答えてくれなかった。
私は、私の失敗を元に改良して作り出された赤子が憎らしく、放り出してしまいたい気持ちに駆られた。
そんな私の心情を動物的な勘で察したのだろうか。彼女は突然火がついたように激しく泣き出した。うるさいので泣き止ませようと、一応知識としてはある赤子をあやす方法を試した。ゆっくり揺らしたり、姿勢を変えてみたりと色々やるが、効果はなかった。
「何が不満なんだ」
私と同じで食べる必要はないそうだから、空腹感などないはずだ。なので排泄もしない。天の国はいつも春の陽気に包まれ暖かいというのに。
「小さいから寒いのか?」
赤子は裸だったので、私は柔らかな布を作り出した。生命以外の物なら、神のように私にも作ることができる。寒くないように布で彼女の全身を包み込んだが、やはり泣き続けた。
途方に暮れた私は、彼女を抱いたまま、天の国を歩き出した。彼女は木々の葉ずれや、清らかな小川の音に気を逸らされたのか、やっと涙を止めた。だが、歩くのをやめるとすぐに泣くのだった。天の国の端から端まで歩くはめになった。
私はそのうち疲れて大木に寄りかかる。私の体はどんな人間より優れ、頑丈にできているのに、生まれて初めてのひどい疲労感があった。腕も足も棒のようで、私まで泣きたい気持ちにされたのに、泣き疲れた彼女は今度は眠そうにしていた。
「そうか、ゆりかごを作ろう」
地上で良く使われていたゆりかごを作り出し、彼女をそっと収める。が、手を離すと彼女の両目が大きく開かれた。
「うああん」
「なぜ」
寝かかっていたはずなのに、彼女が泣くので仕方なく再び抱き上げた。私は彼女を抱いたまま大木にもたれ、ずるずると地面に腰かけた。
いつの間にか眠りに落ちていたのだろう。
目覚めると、彼女はまた、小さな手で私の指を握っていた。私は唐突に彼女の名を思いつく。
「ベルギエル」
それは美しい楓という意味だ。彼女の名前に相応しい気がした。
名を呼ばれたベルギエルは、何度か瞬きをしたが、わずかに下まぶたが持ち上がり、小さな口が笑みの形を作った。
私はその笑顔につられて頬が緩まるのを感じた。
しかし喜びは一瞬であり、赤子の世話は地獄だった。ベルギエルは、私がいないと死んでしまうとでも思っているのか離れるとひどく泣き喚き、私に余暇を決して許さなかった。食事の必要はないが、私の何かを栄養分とするのかと考えたほどだ。
なぜ神は、ベルギエルを成人で作り出さずに手のかかる幼い赤子の姿にしたのか、なぜ私にこのような苦しみを与えたのか――などいう煩悶は彼女の泣き声にかき消されて、答えは出なかった。
「ベリュギエリ」
ある日、ベルギエルは舌足らずながら言葉を喋るようになった。それまでは意味のない音ばかりを出していたのに、成長の段階が劇的だった。やはり普通の人間とは違うのかと、私は真面目に返事をした。
「ベルギエルは、お前の名前だ。私の名前はディミウス」
「ジミュウス」
「ディミウス、もう一度言ってみろ」
「ディミウス、もういちどいってみろ」
「そこまでじゃないよ」
私が堪えきれずに笑い出すと、ベルギエルも笑う。柔らかな頬が薔薇色に染まり、かわいらしかった。かわいいと思った瞬間――正確には、もっと前から思っていたが――ベルギエルを愛していると認めざるを得なかった。
少し意思の疎通ができただけで、彼女が笑うだけで、こんなにも嬉しい。
もしかすると、神も同じなのではないか?
ベルギエルへの愛情で満たされたとき、私は神に愛されているのだと実感できた。
姿を消していた神が現れ、また私に微笑みかけてくれた。
ベルギエルは伸びやかに成長を続け、とても美しい女性になった。草原や小川、森があるばかりの見慣れた天の国の平和な風景も、ベルギエルがいるだけで感動的に美しくなる。
もうベルギエルの手は楓の葉のようではなく、ほっそりと白い指が伸びていた。その手が、無邪気に私の手を握り、私の名を呼んだ。
「ディミウス、あっちに大きな鳥が飛んできた。神が連れて来てくれたんだ」
「ああ」
神は気まぐれに、様々な生き物を天の国に連れてきた。しばらくすると元の場所に返すのだが、ベルギエルはどんな生き物にも関心を示し、心から喜んでいた。
それは私とベルギエルと神による、完璧な日々だった。神はいつも老人の姿になって、やや寡黙ながらもベルギエルをかわいがっていた。だから神が親であり、私は兄だとベルギエルには教えた。
「なんて美しい鳥なんだ。それに嘴が大きいのに、器用に果物を食べる」
ベルギエルは頬を紅潮させて嘴の長い、鮮やかな緑色の鳥に見とれていた。そのときふと、ベルギエルが不憫になった。鳥程度でこんなに喜ぶのは、本当は退屈しているからではないのか?
ベルギエルは本来、知性が高い。私と同じく神の傑作なので、あらゆる才能を持ち、教えたことはすぐに吸収して自分のものにするのだが、純粋無垢でいて欲しくてあまり多くは教えて来なかった。地上の様子など一切見せず、幼稚な遊びをさせている。
だから、神が連れてくる鳥だとかの生き物を見るだけで心底喜んでいるのかと哀れになった。そのように神に、暗に示されている気がした。
しばらく悩んだが、私はベルギエルに地上の様子を見せることを決めた。地上が見える泉は、変わらずに天の国に在り続けていた。
ベルギエルは始めは目を輝かせて、様々な人たちが働く日々の営みに見入っていた。私はなるべく刺激の少なそうな場所に目星を付けていた。しかし、仲の良い夫婦だった場所は、想定外の事態になっていた。
「この人たちは、どうして怒っているんだ?」
ベルギエルは怯えたように身を縮こまらせた。
「意見が違うからだ」
口論のきっかけは、夫が食事の量が少ないと文句を言った些細なものだった。それに対して妻は、夫の稼ぎが少ないからなどと言い返していた。
「あっ」
夫が妻を殴る場面にベルギエルは驚き、私は慌てて泉が映す場所を変えた。私はベルギエルに手を上げたことはないが、彼女が幼い頃はよく転んでいたので、彼女は肉体の痛みは知っている。
「どうしてあんなことを? これは何?」
小さな子どもが、汗を滴らせて重そうな岩石を運んでいる様子が泉に映っていた。
「労働の一種だろう。親がいないのかもしれない」
理不尽な暴力は家庭の中にもあり、過酷な暮らしは溢れている。ベルギエルは血の気が引いて白くなった顔をしていた。
「過去には、神のお告げだとして、人々を導こうとした。私も何度も降りて言葉を伝えた。だが、無駄だったんだ。もっと悲惨な争いもある」
「そうだったのか」
落ち込んでしまったベルギエルを慰め、その日は終わりにしたが、私は自分の失敗を悟った。今までぬるま湯しか知らなかったベルギエルに、突然煮えたぎる熱湯をかけてしまった。
翌日には、表面的にはベルギエルは元気を取り戻したようだけれど、陰りができてしまった。今なら逆恨みだとわかるが、私は地上の人々を恨んだ。
私は神と話し合い、ベルギエルも加えて少しでもより良い方向へと導く努力を再開した。地脈の流れを整え、少ない食糧を奪い合うことのないよう働きかけた。
それでも小さな箱庭である天の国とは違い、大きな星ひとつの均衡を保つのは難しく、嵐や、干魃、火山などといつもどこか乱れていた。また、人間同士の争いは規模の大小に関わらず絶えることはない。
私はこの星全体が、神の失敗作なのではないかと思うようになっていった。星の生命を一度全て滅ぼして、やり直しても良いのではないか。
それが、私に与えられた役目なのではないか?




