首輪
それからしばらく日数をかけて、ディミウスと私は親交を温め直した。元々、長い付き合いの相手である。
その長い付き合いの間に色々あったけれど、やはり小さな子犬の姿になったディミウスは何をしても、どんな発言をしても胸をキュンとさせる。普段自分より大きいシウや、アイギス、メリッサと過ごしてるせいか、小さな生き物への渇望があったのかもしない。
「今日はディミウスに良いものを持ってきた」
数日前に発注し、仕上がってきたものを後ろ手に持ち、私はディミウスの前にしゃがみ込む。ディミウスは目の上の筋肉を動かし、眉間に皺を寄せるような表情を作った。
「卑しい犬畜生の身である私に、ものなど必要がないぞ。裸のこの身ひとつで、雪が降ろうと槍が降ろうと過ごすのだ」
予想していた通りに、ディミウスはめんどくさい自虐的な発言をする。隣で見守っているシウはため息をつくが、私は既に対策を考えてあった。
「心配するな、犬となったディミウスに相応しいものだ」
「何?」
「これは名付けて、咎犬の首枷」
私は金のプレートが付いた首輪をディミウスに見せる。プレートには、『この犬はアンブロシウス王子と、その婚約者サミアの愛犬である。許可なく彼を傷つけるものは地獄を見るだろう』と彫ってあった。
それというのも、ディミウスは洗って清潔にはしたものの、栄養失調で艶のない灰色の毛並みをしている。そのせいでどこか汚れて見えるのである。王宮周辺をうろついていると、汚い野良犬だと使用人たちにホウキで追い立てられ、脆い体はあっけなく怪我を負ってしまうのだ。――わざと挑発するようにおしっこをするディミウス側にも若干の問題はあるが。
「ふむ、咎犬の首枷か。屈辱に満ちた、服従の強制手段だな。良いぞ」
私が付けたかっこいい名前が気に入ったのか、ディミウスは首輪に興味を示してフンフンと匂いを嗅いだ。
「難点を言うなら、内側にトゲを付けていないことだな。動く度に首に食い込み、皮を切り裂き我が身を苛む仕様ならもっと良かった」
「もう、ディミウス」
相変わらず、ディミウスの自罰欲求はひどいものだ。天の国に連れ帰った神は、持て余して私に託したのではと疑ってしまう。それでも少しずつ扱いに慣れてきた。ふっ、とディミウス風に嘲笑する。
「愚かな」
「何だと?」
ディミウスが元々垂れている耳を更にへにょっと寝かせた。私は最近うまくなった哄笑をあげる。
「願いが聞き届けられるなどと、思わぬことだ。ディミウスよ。貴様は今、戒めの檻にあるのだぞ」
「くっ、そうだったな。この日々こそが戒めの檻……終わりの見えぬ、暗澹たる責め苦だ。なぜお前たちはいつまでも交わらずにグダグダしてるんだ?」
ディミウスの最低発言を上手く流せず、ちょっと噎せた。
「う、うるさいな。そんなことよりディミウスの希望を無残に打ち砕く、最高級の柔らかいなめし皮の首枷をとくと味わえ。首を差し出すが良い」
「うむ。きつく締めてくれ」
しかしディミウスの願いも虚しく、私は丁度よいきつさに首輪を装着した。金色のプレートがいかにも高級そうで、一気に可愛がられているワンちゃん感が出た。
「首枷に保護魔法もたくさんかけておいたから、これで安心だな、ディミウス」
「ふん、余計なお世話だ」
ディミウス自身にかけるより、貴金属に魔法をかける方が長持ちするのだ。私は冷静を装うディミウスを抱き上げて、頭を撫でた。撫でられるのは好きらしくすぐに尻尾が動き出す。
「まあ、いたいけな子犬の姿だからまだ我慢できるけどね」
不機嫌そうなシウは、じとっと横目で私の胸に抱かれているディミウスを睨んだ。途端に、ディミウスの尻尾が激しく振れる。シウを挑発して怒りを買うのは、また別の喜びがあるらしい。
「羨ましいか?」
「うわっ、最低。大体あなたはサミアに執着しすぎだよ、歪んでる」
「歪んでるとは褒め言葉だ」
「それ! サミアに変な言葉遣い教えないでよ!」
こんな感じで、朝一番にシウの部屋で、ディミウスを構って騒ぐのがお決まりになっていた。しかしシウは遊んでばかりもいられない。
王子のお仕事があるので、これから夕方くらいまでびっちりスケジュールが埋まっている。
「シウはそろそろ行かないといけないんじゃ?」
「……っ、仕方ない。行ってくるね。サミア」
私は抱いているディミウスの前足を軽く握り、バイバイと手を振らせる。何とも言えない表情を浮かべ、足取り重く、シウは部屋を出ていった。
「さて、今日は何をして過ごすかな」
夢である移動魔法の研究については、今はまだ着手できない。というのも新しい魔法の研究には失敗がつきものだが、クロドメール国は今、終戦交渉中である。新しく危険な魔法を開発してるとでも噂されたら、終わる交渉も終わらなくなるだろう。
「散歩でもしよう」
ディミウスを抱き抱えたまま、私は広い王宮の建物を出て回廊のある中庭辺りをぶらぶら歩いた。真っ赤に色付いた秋の落葉が小道を彩っている。
「なあ、ディミウスはシウともうちょっと仲良くできないのか?」
「あいつは嫌いだ」
「私より?」
腕の中のディミウスが身動ぎをして、丸い茶色い瞳で私を見上げる。
「お前は、特別にもっと嫌いだ。お前以上に嫌いな存在はない」
「私に抱かれてるくせに」
「お前が抱くからだ」
ディミウスの尻尾が私のお腹に打ち付けるように動き出す。これは不機嫌なときの動きだった。
「だって、ディミウスは昔、私を抱っこしてくれてただろう。だからこうしてると、昔を思い出していい気分になる」
完全に逆の状態だけど、昔の優しかった頃のディミウスは、小さかった私をいつも抱っこしてくれた。ある程度大きくなったら手を繋いで、いつも一緒に遊んでたのに、どうしてこうなったのか。
「昔のことだ」
「でも記憶はあるよ」
何の危険もない天の国の暮らしだったけれど、私はディミウスを頼りにしていた。優しくて温和だったディミウスは離れがたく、私があまりに甘えすぎていたから、その胸中で密かに悩み、こうなったのか。
「おい、どうした」
私が小道の端にうずくまると、ディミウスが慌てたようにもがき、声をかけてくる。紅葉が風に乗って舞ってるせいか、急に寂しくなって私は立っていられなかったのだ。涙が頬を伝うが、ディミウスを抱いているのでそのままにした。
「泣くなよ」
驚いたことに、腕の中のディミウスが私の手を舐めた。犬の舌はとても柔らかく、気がつけば涙が落ちていた部分を涎だらけにしてくれた。
「今の私はこんなことしかできないのだから、泣くな」
「ううん、ありがとう」
ディミウスまで悲しそうに目の上の筋肉を動かすけれど、茶色い瞳に涙は浮かばない。
「ごめん。私が甘えてばかりだったから、ディミウスは苦しかったんだな。なのに、ディミウスはまた慰めてくれる」
「そうじゃない。全部私が悪かったんだ、お前には何の罪もない。以前言った言葉は単なる悪態で事実ではない」
「そうかな、私が……」
「お前のせいじゃないんだ」
ディミウスと押し問答を続けていたが、背後から落ち葉を踏みしめ駆けてくるガサガサとした音がして、私はディミウスの口を塞いだ。子犬姿のディミウスが言葉を喋れることは、秘密なのだ。竜族でもなければ人語を喋る生き物は通常いないけど、騒がれたくなかった。
振り向くと、そこには久しぶりのマルクス・ミュラー教皇が息せききって、長い金髪を乱して立っていた。




