メリッサと子犬
「何か照れくさいな。シウは? 王子の役割以外に、やりたいことってないのか?」
「僕は王になるよ」
さらっとすごいことを言うシウだが、第一王子なのだから、ある意味決められた路線だ。
「でも以前、王になんてならないとか言ってなかったか?」
「うん、あの頃は覚悟が決まってなかったから。でも今回の色んなことでね、思ったんだ。権力が欲しいって」
権力欲。シウにそんなものがあったとは驚きだが。
「だって、もしも王であれば戦争を止められる。そもそも起こさないでいられる。だけど今みたいに王子であれば、父上にお伺いを立てるのが精々だったから」
「確かに。平和的にはそれしかなかった」
私とシウは、その気になればクロドメール国を力で乗っ取ることもできる。でも、暴力を止めるために暴力を振るうなんて、本末転倒だからやらなかった。
「僕はクロドメールの王子として生まれた恩恵で、簡単にサミアを孤児院から引き取れた。次はクロドメールにその恩を返したいんだ」
「そうか」
だけど私は不安なことがある。シウが王になるなら、婚約者の私は将来的に王妃になる。私に王妃なんて務まるだろうか?絶対に似合わないのだけど。
「サミア、もしかして王妃になりたくない?」
見透かすように、くすっとシウが笑った。
「だって私はマナーとかがあんまり得意じゃない……」
ですわ、みたいな口調で喋りたいとは思わない。一時は無理してセシオンの口調を使っていたが、全部思い出した今は、そのままの私で話している。これが私の元々の口調なのだ。天国で神とディミウスと過ごしていたとき、みんなこんな口調だったのでこうなった。
「大丈夫だよ、サミアは今日みたいに、ありのままでいるだけでみんなに愛されるよ。それに偉くなってしまえば、むしろマナーなんていらない。大事なのは心だよ」
「そう、かな?」
「そうだよ。それにフレイヤ元王妃みたいな人でも務まったんだから、心配いらないよ」
罪人として鉱山送りになったフレイヤ元王妃を私は思い出した。刑を言い渡されたあとも、王宮を追放されて護送されるときも、散々暴れたらしい。普段の外見や口調はいかにも王妃らしいが、機嫌を損ねると激しい人だった。
あれでは周囲の人たちも苦労しただろう。私は少なくともあんなに暴れたり大声を出したりはしないと思う。重ねまくった年の功ってものがある。
「ね? 安心した?」
「一応」
「良かった。王妃になっても、サミアは好きな魔法の研究をしててくれたらいいよ。僕が場所や人をたくさん提供するからね」
「権力の濫用じゃないか」
「いずれ国の利益になるよ。技術を国外に高値で売るんだ」
ちゃっかりした発言に、私は肩をすくめて笑った。何にしても、私の居場所はシウの隣しかないと思っている。未来に向けて、もう一度乾杯をした。
それから翌日も、クロドメール軍の護衛を続けた。侵攻していたのはボルディア国及びリズニア国なので、リズニア国の戦場でも前日と同じことをした。
二ヶ所に別れた軍隊だが、私とシウ、アイギスは手厚く警護し、安全な撤退に助力した。あとはクロドメール国王と臣下が交渉のテーブルで、決着をつけてくれるだろう。
秋から、冬の始まりまではこうして忙しく過ぎた。
その間、私たちのもう一頭の仲間、メリッサはちょっとだけ暇だった。半分だけ一角馬のメリッサは気難しいところがあり、私たち以外の他人に触れられることを嫌う。
だけどものすごく美しい白馬なのだ。撤退の行進に連れていくと、馬好きの多いクロドメール軍の誰かが迂闊に触ろうとして、蹴られる可能性が高い。
かといってアイギスに一緒に乗ってても運動不足になってしまう。更にひとりぼっちすぎても寂しがるので、クロドメールの王宮にある厩舎に詳しく説明をして、面倒を見てもらっていた。
もちろん毎日顔は見に行って、夜は一緒に古城に帰っていたというのに、だ。
「メリッサちゃんは妊娠したかもしれないっス」
厩務員の青年が、私とシウに突然の宣告をしたのだ。
「放牧場で、ふらふらっとやって来た立派な野生の一角馬と仲良くなって、それらしき感じになっていましたよ」
「そんな! どうして止めてくれなかったんだ?!」
シウが混乱によってか、青年に詰め寄る。
「いいところを邪魔して蹴られるの怖いから無理っスよ」
素朴な青年は、半笑いで答えるのみだ。
「だけどメリッサはまだ5歳なのに、出会ったばかりの男と……!」
「5歳だったんスね。繁殖には丁度いい年齢だし、馬はそんなものっスよ」
「あああ……」
私もショックを受けてるけど、シウの方がもっとひどいショックだったようだ。自分のきれいな白銀の髪をかき混ぜて、ぐちゃぐちゃにしている。
元々シウがひとり旅の最中に荷運びをしているメリッサと出会い、懐いてくるので馬主から購入したという。私が会ったときにはかなりの信頼関係があった。
私にも懐いてくれてよかったけど、ほかの人を絶対に乗せなかったメリッサだ。なぜ流浪の一角馬なんかと――
しかし当のメリッサは、騒ぐ私たちに呆れてるかのように白く長い睫毛を半ば伏せ、尻尾はうるさいと言いたげに振り回していた。
「ま、必ず妊娠してるとは限らないっスけどね。しばらくはメリッサちゃんの体に負担かかるような激しい運動はさせない方がいいです。以上、お知らせでした」
青年は必要なことだけ言って、ほかの馬の面倒を見に行ってしまった。
「ううっ、メリッサごめんね。僕があまり構ってあげられなかったから? そんな非行少女に……」
シウはもうどうしようもないので、メリッサの白く輝く馬体にブラシをかけ始めた。
「きっと、メリッサが一目で気に入った相手だったんだろう。応援してあげよう」
私はそう言いながらも、当然ながらまだ何の変化もないメリッサのお腹の辺りを撫でてみる。メリッサは大人の階段を登ってしまったのか、と取り残されたような焦燥感を密かに感じていた。メリッサは悠然と飼い葉を食み始める。
「そうだね……メリッサに気に入った相手がいて良かったかもしれない。今まで、普通の牡馬なんて蹴散らしまくってたから」
「しばらくはここから動かさない方がいいかな、相手の一角馬がまた訪ねて来るかもしれない」
「僕は会わせたくないけど」
「メリッサは会いたいんじゃないか?」
そんな訳で、メリッサを王宮の厩舎に残し、古城で眠った翌日。
心配なので早朝から様子を見に行くと、メリッサの馬房に、小さな何かがいた。一瞬ボロ雑巾かとも思ったが、微かに息をしていることから生き物だとわかる。メリッサは母性を感じさせる神々しさで、腹這いに座り込み、汚い生き物を温めるためか寄り添っていた。
「もう生まれたって訳じゃ、ないよね?」
シウが恐々と厩務員の青年に質問をする。
「メリッサちゃんを放牧させてたら、どこかから連れて来たんスよ。早くも母性に目覚めたんスかね?」
「変なものを引き寄せて困るな。でもその生き物は汚いから、一度洗ってやった方が良さそうだね」
「そうなんスよ、ノミとかいたら厩舎に広がりますから。でも俺のことはメリッサちゃんが近寄らせてくれないんス」
シウは生き物に手を伸ばした。しかし、その生き物は小さな体で低く唸り、歯を剥き出してシウを拒んだ。顔が見えたら、子犬だと判別できた。
「仕方ない。サミアは危ないから下がってて」
高そうな上着を脱いだシウは、目にも止まらぬ早さで間合いを詰め、子犬を上着で覆い、くるっと包んでしまった。厚い布地越しにもがもが暴れてはいるが、高級で織りのしっかりしたシウの服は破けそうにない。これで一安心、とシウは捕獲の喜びを見せる。
「元気な子犬だな」
シウが抱き抱えるかたまりを安心させられないかと、私はそっと触れてみる。そのとき、私の脳天にびりっと痺れるお知らせが来た。神からのメッセージだ。
「ディミウス!?」
思わず私が叫ぶと、上着に包まれた子犬がビクッと震えた。
かつては天の国で、私と共に暮らす兄のような存在であったディミウス。また、嫉妬と憎悪に堕ち、神の力を盗んでからは魔王と呼ばれたディミウス。信じがたいが、キャンキャン吠える無力な子犬に転生していたのだった。




