晴天
土の柱だらけになったこの場所は、図らずも神の庭に似ている。かつて、私とディミウスが日がな遊んでいた遠い昔の記憶が、そうさせたのだろう。そこでは土の柱ではなく大木だったが、ディミウスは同じサイズの木が何本か続いていると、戻って一番始めの木陰によく隠れていた。
「――我は牆壁擲く者、亡骸を葬送する者」
ディミウスは予想通り、私が見当をつけた土の柱に隠れて呪文の詠唱に努めていた。既に、最後の一節にかかっている。
だけどディミウスは、もっと前に呪文の獲得と、魔力の回復を済ませていたように思う。ずいぶん回り道をした私たちが、この場所を訪れる前に世界を終わらせることも可能だったはずだ。
わざわざ私がやって来てから始めたこの行動には、明確にディミウスの迷いが現れていた。すべてを虚無に葬るべきか、やめるべきか。
でもきっと、見つけて止めて欲しいんだ。
かくれんぼは、見つからないとつまらないから。期待に応えるべく光学迷彩の呪文を解除して、息をひそめ、そっとディミウスの背後に接近をする。私の心臓がうるさく鳴るけれど、呪文に集中しているディミウスは気づいていない。
「わっ!!」
大声を上げてディミウスの背中を両手で強く押す。振り向いたディミウスの驚いた黒い瞳は丸く、何の光も返さない。虚ろで、その分敵意がないように思えた。呪文は敢えなく中断された。
「……っ」
何と言うべきか思い付かない様子のディミウスに、私は笑いかける。邪魔したのに、どうして怒って殴りかかって来ないんだろう。
「悪いな、取った」
私は右手を中空に掲げる。その手には、今の一瞬でディミウスから盗んだ、大いなる神の力が宿っていた。かつてディミウスが神から盗んだように、私も盗んでしまった。兄ができることは大抵、妹にもできるものだ。
「お前……」
「これは神にお返しするよ」
虚脱感なのか、呆けているディミウスを前に、私は親愛なる神に祈りを捧げた。どこにいたって、いつだって神に祈りは届く。
音が一瞬世界から消えたような、光の色合いが変わったような、不思議な感覚だった。神は目覚めたんだ。
ふと、懐かしい温かい手が頬に触れた。
姿は見せてくれていないけれど、間違いなく神の手だった。
何もわからず、ただ楽しいだけだった日々が胸に甦る。絶対的な庇護の下、大好きな神に甘えていた。幸せな記憶はある意味残酷で、寂しさがぎゅっと胸を締め付ける。だから、これでさよならしなくちゃ。
ディミウスも神の目覚めを感じたのか、雲ひとつない青空を見上げる。その顔に、神の手が触れて優しく撫でていた。
ディミウスの唇が動いたが、私は何と言ったのか聞き取れなかった。あるいは笑ったのかもしれない。次の瞬間には、ディミウスは紐の切れたあやつり人形のように前にくずおれた。
「えっ?!」
私は咄嗟に支えようと、ディミウスへと両手を伸ばし、重たい上半身を頭で受け止めた。ディミウスの入っていた体は元々はセシオンのものだが、かなり体格のいい人なので、並みの腕力しかない私には重すぎる。
「ディミウス? もういないの?」
私はほとんど潰されるようになりながらも、ぴくりとも動かない体を地面に横たわらせた。その体は神が修復してくれたようで、もう砂のように崩壊しかけてはおらず傷ひとつない。だけど魂の抜けた亡骸を前に、私は泣きそうな気持ちになる。神が連れていったから大丈夫だとは思うけど、私はもう会えないかもしれない。
ディミウスとは、どこまでもわかりあえなくても、もっと話したかった。色んな行動の理由を教えて欲しかった。
「サミア!!」
アイギスに乗ったシウとメリッサが、みんなでこちらに移動してきてくれた。みんな傷だらけだけれど、神が目覚めたことで戦いは全て終わっていた。もう動いている魔王兵もいない。
足を引きずったシウが、無事で良かったと私を心配そうに抱きしめる。怪我をしているのはシウだし、私たちは魂の契約をしているから全滅しなければ絶対に死ぬことはないのに。
「……神の力はちゃんと返した。そして、セシオンの体は返してもらったよ。ディミウスの魂は、神が連れていった」
私の説明に、シウは頷いてそっと体を離す。それから、セシオンの亡骸の前に両膝をつき、両目にどっと涙を浮かべた。
「ああ、主……やっと終わったね。長い戦いだったね。ごめんね、僕が不甲斐なかったから。苦しくなかった?」
17年前と変わらない姿のセシオンは、固くまぶたを閉じて眠っているようにも見えた。
「セシオンは、苦しくはなかったと思う。魂はずっと私の体の中にあるから」
「うん、本当にありがとうサミア」
顔を上げたシウは、涙で輝く紺碧の瞳で私を見つめた。
突然、私は不穏な期待をされているような気がして、密かに靴の中で足の爪先を動かす。シウはもしかして勘違いしているかもしれない。確かに、傷ひとつない魂の抜けた体がここにあり、私が魂を保護しているけれど――
「シウに言っていなかったけど、この体に魂を戻すことはできない。それはセシオンの望みじゃないから」
私がセシオンじゃないと告白したときは、色んな感情の整理に忙しくてその辺の事情を説明していなかった。シウにも聞かれなかったから、ついそのままにしてしまった。
「あ、そうなの? いや、僕もセシオンの魂がどうなるのか、サミアが言いづらそうにしてたからずっと聞けなくて」
純粋そのものといった感じで、シウは首を僅かに傾ける。
「ああ。セシオンは、もう色んなしがらみから解放されて新しい人生を生きたがってる。あちこちに銅像さえ建てられてるのに、今さら17年前と変わらない姿で復活しても面倒なだけだろ。だからこの亡骸は埋葬してあげよう」
「……悲しいけど、主の願いじゃ仕方ないね。でも、主の魂はいつ生まれ変わるの? 会いたいよ」
シウは名残惜しそうに、壊れものを扱うように、優しくセシオンの手を握った。前世で長く共に旅をした、万感の思いが込められているのだろう。シウの頬を伝って、ぽとりと涙の雫が落ちる。
「ちょっと待って。今、神に聞くから」
言いながら、私は心の中で神に問いかけた。
――改めて聞きますけど、私が母になってセシオンの生まれ変わりを産むってことで合ってますよね? 違ったら雷でも落として下さい。
いつになく丁寧に、私は問いかける。神とはさっき今生の別れをしたつもりだったけれど、重大なことなので確認したかった。
しばらく雷に打たれるのを待ったが、音沙汰はなかった。空は雲ひとつなく、遥かまで澄み渡っているばかりだ。仕方なく私は覚悟を決める。
「セシオンは、私とシウが結婚したら子どもとして生まれるそうだ」
「そんな……?!」
あまりの事実にシウは赤面した。私も目を合わせられず、土で汚れた靴の爪先を見つめる。




