序盤戦
全員に避難指示が出され、無人となった村には乾いた風が吹き抜けていた。それほど人口密度の高い村ではなかったが、人々の生活によって生み出される湿度やざわめきが失われ、土埃だけが通りを吹き抜けていく。
私とシウは白馬のメリッサに騎乗して、村中を巡り、逃げ遅れた人がいないかの確認作業をしていた。上空からは白竜のアイギスも確認してくれている。
だが、結果としては猫の子一匹見当たらなかった。流石にゼイーダ国王直々の命令だけあり、直属の騎士団が完璧に仕事をしてくれていたようだ。
「逃げ遅れた人はいないね、大丈夫そうだね」
私の背後で手綱を握り、シウは呟いた。その声はいつもより掠れ、軽い緊張が現れている。シウは決して臆病な性質ではないけれど、一度命を奪われる原因となったディミウスだけは恐れている。
「私の親と、兄の不始末のために何度もシウを付き合わせてすまないな」
「ううん、色々あってこうしてサミアと出会えたんだからいいんだよ。というか、主と出会えたのもディミウスのおかげだし、人生全て雨のち晴れってやつさ」
「そうかもな」
無理して明るく振る舞うシウに合わせて、私は少し笑った。メリッサは軽快な歩調で、初めてシウと出会った広場を通り抜けていく。
思い出そうとしなくても、あのときの記憶が頭を過った。シウがセシオンの魂を抱えた私を見つけてくれなければ、私は今も孤児院で暮らしていただろう。
農家の手伝いとして畑に連れていかれ、雑草を抜いたり害虫を駆除したり、そればかりの生活だ。ディミウスに記憶を奪われ、力のないただの少女になっていた。
そのようにして、私が落ちぶれて絶望でもするのを待っていたんだろうか。幸いこの村の人々や領主はそこそこに優しく、貧しいなりに平穏な暮らしだったのがディミウスの誤算だろう。
村から小路に入り、風も和らぐ静かな森へとメリッサは進んだ。アイギスも森の木立の上で、大きく旋回をした。
「森の空気は悪くなってるな」
私は息を浅く吸い、顔をしかめた。動物の死骸が放つような、饐えた匂いが立ち込めている。木々の葉は、地面に近いところは茶色く萎れ、生気を失くしていた。以前はそこかしこを飛び回って遊んでいた精霊もいない。
やはりディミウスはここに眠り、私がかつてやっていたように星のエネルギーを集めている。だけどやり方が、何もかも根こそぎ奪うような強引なものだから質が悪い。
私は土の精霊を何体も呼び出した。
「ディミウスを探して、連れてきてくれ」
私の伝えるイメージに応え、土の精霊は地面奥深くへと潜っていく。その余波で、膿んで腐った地脈のエネルギーが噴き出した。黒く、ドロドロの絶対に触りたくない穢れだ。
「今のうちに防御魔法かけておこうか」
私とシウ、メリッサ、アイギス全員に多重に防御魔法、聖属性の魔法障壁を二重にかけた。シウは槍を取り出し、ふうっと逞しい胸板を動かして深呼吸をする。私は、少しだけシウに寄りかかった。
「ディミウスが出てきたら、すぐに魔王兵も出現すると思う」
「わかった。雑魚は僕とメリッサで蹴散らすから、サミアとアイギスはディミウスに集中して」
「うん、任せる」
シウの紺碧の瞳に、強い光が宿っていた。怖いだろうに、立ち向かおうとするシウには惚れ直してしまう。
さあ、最終決戦だと私は姿勢をまっすぐに直した。
葉擦れの音が、ざわざわと空気を震わせる。土の精霊たちも一斉に発見を知らせてくれた。
ディミウスも、10年前に眠っている私を見つけたときはこんな感じだったのだろうか。地面が割れ、その狭間からディミウスが音もなく出現した。相変わらずセシオンの体を占拠していて、長く伸びた黒い髪と黒い瞳は何の光も返さない。それでも、私の模倣をして星のエネルギーを吸収したせいか、以前のように体は崩れ続けてはいなかった。
「ディミウス、起こしてすまないな。そのセシオンの体と、神の力を返してくれ」
私は気安く彼の名を呼ぶ。兄として慕っていた頃のように。すると、顔形は違うのにディミウスは懐かしい雰囲気で薄く笑った。
「記憶を取り戻したのか、ベルギエル」
親しげに私の以前の名前を呼ばれ、もしかしてとあり得ない期待が膨らんでしまう。大人しく奪ったものを返してくれるのなら、私たちは傷つけあう必要がない。
「そうなんだ。私の使命も思い出したよ。私はディミウスから力を引き取って、神に返したいんだ。そしてディミウスは、神にきちんと転生させてもらうといい。神はまだ、あなたを見放していないから」
セシオンは、魔王ディミウスを倒せなかった訳じゃない。ディミウスを完全に虚無の海に流してしまったら、盗まれた神の力も失われてしまうと直前にディミウスに言われ、手加減してしまったのだ。
刺激しないよう穏やかに言ったつもりだが、ディミウスの笑みが引きつっていた。黒い瞳が私への嫌悪感に満ちていく。
「偉そうに。またお前の方が神に愛されていると自慢してるのか?」
「何を言ってるんだ」
「ベルギエル、私はお前が憎い。お前などが生まれなければ、こんな事態にならなかったんだ」
それはひどく単純な罵りで、気分を害した腹いせに私を傷つけようとしているだけの言いがかりだとわかる。なのに胸がつきっと痛んだ。
「サミア、彼の言うことは真面目に聞かなくていいよ」
すぐ横にいるシウが私の手をぎゅっと握ってくれる。
「サミアがいてくれて僕は良かったよ。必要のない命なんてない」
「下らぬ慰めあいだな。ベルギエル、よく聞け。お前のせいで、セシオンもその竜も犠牲になった。そしてまた、お前のせいで世界は滅びる」
ディミウスは呪詛を吐き、一瞬にして世界は暗くなった。暗雲がかかったとかではない。昼間だったのに、突然星明かりもない真夜中になってしまったかのようだ。
私が光の精霊を呼び出すより先に、足元が震え、立っていられないほどの揺れと轟音が体を襲う。
「伏せて!!」
シウが叫び、私はその通りにした。体の上を、何か重量感のあるものが薙いだ。
――ディミウスが巨大な魔王兵を何体も作り出したのだろう。そしてシウが暗闇の中、気配だけで何体も倒していた。
私はやっと光の精霊を呼び出した。周囲を照らしてもらう。予想通りに、巨木より大きい魔王兵に囲まれていた。魔王兵は姿形はばらばらだけど、全員揃いも揃って、奇妙な造形をしている。
全身に甲冑を纏った騎士のようで、腕が地面がつくほど長かったり、顔が3つもあったり、肩から足が生えていたりと、なかなかに悍ましい。なぜなら、神の力の一部だけを盗んだディミウスは、生命ではない何かしか作り出せない。
「アイギスに守ってもらって!!」
シウが普段にないくらい大声で指示を出す。それだけ危険だと言うことだ。上空を飛んでたはずのアイギスはもう私の目の前に降り立ち、テントのような翼の内側に私を入れた。すぐに熱線がアイギスの翼を焼き、焦げ臭い煙が上がった。
「アイギス!」
「私は大丈夫ですから」
私は慌ててアイギスの背中に乗り、上空に舞い上がった。安全になってから焼け焦げたアイギスの翼に回復魔法を施す。
「ありがとうございます、ディミウスは村の方向に逃げたようです」
「追いかけよう」
ディミウスは村の人々を襲って、より私を苦しめる算段なのだろう。避難しておいてもらって本当に良かった。
見下ろすと、シウは白馬のメリッサに騎乗して槍を振り回し、怒涛の勢いで魔王兵を蹴散らしていた。私と魂の契約をして強化されてから、初めてまともな戦闘となった訳だが、想像以上の強さだ。軍神みたいに勇ましい。
「シウ!魔王兵を倒したら村に来て!」
「わかった!」
シウは槍を器用にくるっと回し、余裕の笑みを浮かべた。




