告白
「ミュラー教皇は何て?」
気遣わしげにシウは私を見つめている。
「ええと、一言では説明できないから落ち着いて話せる場所に行きたい……かな。シウに時間があるなら」
マルクス・ミュラー教皇は私が天使というか神の御子だとか言っていたし、とても廊下の立ち話で済ませられる話ではなかった。更に、私の正体をシウに打ち明けないと闇堕ちするぞなどとも脅された。――何だか、頭の中はかき混ぜた卵くらいに渾然となっている。
「魔王の居場所ってそんなに難しいの?」
私が困り果てていると、軽く小首を傾げてシウまで困った顔を作る。そういえば、シウには魔王の居場所の手がかりを聞くという体でいたのだった。色々あって、聞くのを忘れていた。
「その前に問題があって」
「そうなんだ。問題は山積みってやつだね、あはは」
行こうか、と私の手を取り、明るく笑い飛ばしてシウはゆっくりと王城方向へと歩き出した。やっぱりシウと一緒にいるときや、この手の感触が私にとって一番落ち着くし、同時にドキドキもする。なお、護衛騎士は黙って後ろをついてきてくれた。
「僕もさ、戦争の現況報告を聞いたら頭が痛くなっちゃった。僕が不在の間も、あちこちに侵略してたみたい。でも記憶を取り戻す前は僕も加担してたから、責任取らないとね。自軍の安全な撤退ルートと立案書を父上に提出して、全て終戦方向に進めるよ」
明るく笑ってる場合じゃないことをシウは言う。でも他人の命がかかっている話だから、優先順位はそちらにあると思われた。
「シウ、やっぱり忙しいんだったら後にしよう? 私はひとりで頭を整理してるから……」
「大丈夫だよ、1件はもう父上に提出したから。ただまた精査するのに時間かかるだろうから、サミアの話を聞きたい」
「大変そうじゃないか」
「まあね。国王じゃないから、僕には権力がない」
隣にいるシウは、いつも通りの優しい眼差しを私に向けてくる。この眼差しを浴びながら、古城でふたりでゆっくり海でも眺めていたかったのに、もたもたとしている暇はないようだった。世の中は確実に動き、私とシウの責任も積み上がっていた。
◆
シウの私室に着いた私たちは、扉を閉めて防音魔法をかけた。猫足のカウチソファに並んで座り、私は深呼吸をする。
マルクスは何と言っていたっけ。
そう、シウを愛せば良いのですとか、気持ちを伝えればいいとか言っていた。流石に教皇をやってるだけあって、恥ずかしいことを平気で言う人だ。気が進まないけれど今の私は、魔王の居場所もわからず打つ手が皆無なのだ。マルクスの助言に従ってみるしかない。
「シウ」
「うん」
呼べば必ず返事してくれるシウは、紺碧の瞳を見開き、純粋な好奇心で私の次の言葉を待っていた。
「言わなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、何から言えばいいのか……」
「いいよ、ひとつずつ言いたい順番で」
「じゃあえっと、まず」
私は発声練習みたいに大した意味のない単語を並べる。うんうん、とシウは頷いて苛つきもせず待ってくれていた。その、とかあの、とか散々言い尽くし、いよいよ空っぽになってから、奥底の心を引っ張り出す。
「私は、シウが好き」
言ってみたら簡単だった。いつも心の中で思ってて、口の中でも転がしてた言葉だから。でも口から出た音を自分の耳で聞くと、少し軽かったかもしれない。私はもっともっと、シウが好きなのに。でも、言われたシウは目を大きく開いたまま、瞬きを止め、固まっている。
まだ続きがあるので、勝手に話してればいいかと私は息継ぎをする。
「でもごめん、私は本当は……って」
一瞬視線を落とした隙に、シウの両目からぽろぽろ涙が零れていた。丸いはずの瞳の虹彩が歪んでみえるくらいに目に涙が溜まっている。頬を濡らしながら一粒ずつ頬を転がり落ちていく雫たちはきれいだけど、目を奪われてる場合じゃない。
「そんなに泣くこと?!」
「ごめん、サミアにそんな嬉しいこと言ってもらえるなんて思ってなかったから、嬉しくて」
ひくっとしゃくりあげ、嬉しいから嬉しいなどと論理を崩壊させてシウは涙を袖でぬぐった。どうしよう、続きが言いづらくなってしまった。
「ま、まだ続きがあるから、聞いて!」
「うっ、うん」
私はハンカチを取り出して、顔を拭くのを手伝ってあげる。でもシウがこれまでどんなに、愛情をたくさん示してくれていたか思い出して鼻の奥がつんとなった。言葉や態度で、それはもう熱心に表現してくれていた。でも私には、一度もそういうものを求めてこなかった。
だって、セシオンはそれに答えなかったから、同様にセシオンのふりをしている私もあまり表現しないようにしてきたのだ。シウもつらかったのかと思うと、既にもらい泣きしそうだけど私は心を鬼にする。
「私は、セシオンじゃない」
大事な報告は、しんと部屋に響き渡る。シウはまだ指先で涙を拭いながら、首を傾げる。
「でも君からセシオンの気配を感じるよ? 神様にお願いして、絶対わかるようにしてもらってるから、間違いない」
「私の中にセシオンの魂はあるけど、こうして喋ったり、シウを好きだと言ってるのは私なんだ」
「多重人格ってこと?」
滅多に聞かない発想に、私は少し笑ってしまう。そうだったらまだ良かったのに。
「いや、教皇が言うには、私はなんと神の側にいる天使だったらしい。生まれ変わる際、弱っているセシオンが消滅しないように保護している。シウが現れて、彼の記憶をもらったからずっとセシオンのように振る舞っていた。今までシウを騙して本当にごめん」
「いいよ」
え、と私は消えそうな声で聞き返した。シウの許しのお言葉が早すぎるので、絶対に聞き間違いだ。でも、シウは悲しそうに笑う。
「いいよ、そんなの……サミアはサミアだよ。前世とは違う人だって何となくわかってた。引き継いでる記憶はあるけど、新しい君だと思ってた。だから別人でもいいよ」
「いいってそんな、シウのセシオンへの気持ちはそんなに軽いものだったのか?!」
セシオンが大好きなのも含めてシウだと思ってたから、むしろ軽く流して欲しくなく、逆だとわかっているのに私の方が怒ってしまう。
「主はもちろん大好きだよ、一生忘れられない、僕の大事な人。でも今はサミアの中で眠ってるんだよね?」
「そう……」
いずれは、どうにか段階を踏んだら、私の子どもとして誕生するらしいがそこまでは言えず私は目を逸らす。
「だったらいいよ。サミアは何にも悪くないよ。サミアはずっと主を守ってくれてた。そして僕のためを思って、がんばって主のふりをしててくれたんだよね。僕が気付かなくて、今までつらい思いをさせてごめんね」
「な、なんで」
そんなに私の気持ちがわかるんだと私は喉の奥を詰まらせる。感情に形はないはずなのに、喉に引っかかったみたいに熱くて痛かった。
「僕はサミアが好きだよ。すぐに自分より周りを優先させちゃう優しいところも好きだけど、もう苦しまないで。もっと我が儘言ってよ」
私の背中に腕を回して、シウは私を抱き寄せる。いつもの、慣れた腕やあたたかい胸の感触が全部好きで、私もシウの背中に腕を伸ばした。
「……じゃあ、もっと言ってよ、私が好きだって」
「好きだよ、本当に大好き」
「私が?」
「うん、サミアが」
その一言で、堤防が決壊したみたいに抑えていたものが溢れた。目が溶けるんじゃないかと思うくらい、シウの胸にすがってわんわん泣き続けた。泣きすぎて頭が痛くなって、ようやく顔を離すとシウの服はびちゃびちゃになっていた。
「ごめん、服を汚して……」
「大丈夫、僕の部屋だから着替えはある」
シウは立ち上がり、着替えるために部屋の奥に行ってしまった。私はその隙に、水の精霊を呼び出して顔を洗う。球状に水を浮かべて、顔を包んで洗う方式だ。
顔を洗うと、すごくさっぱりした気持ちになれた。




