ミュラー教皇と
翌日になって、私はミュラー教皇と話をするために神殿を訪れた。神殿は、王城に隣接している。国の儀式などに使用するからだろう、歩廊を通って行けるようになっていた。
今日はシウとは別行動なので、道案内と護衛を務めてくれる騎士と一緒に、長い道のりを歩き続ける。歩いていれば、当然だが前に進んでいつかは目的地にたどり着く。
私は今日、答えにたどり着けるんだろうか?
歩廊から直通の神殿内部は、どことなく神聖な静寂に包まれていた。人払いをしているのかもしれない。私はステンドグラス越しの光や各所に描かれたモザイク画に目を奪われていた。こういうきれいな場所は心が洗われるようで好きだ。
八角形に作られた聖堂の中心、祭壇前でミュラー教皇は祈りを捧げていた。昨日と同じように白い法服に、長い金髪を垂らしている。
私たちの足音に振り返った若き美貌の教皇は柔和に微笑み、頭を下げた。彼のまっすぐな、金糸のような髪がさらさらと流れる。
「ようこそお越し下さいました。神のお導きに感謝します」
いかにも神職らしい発言だけど、私は少しおかしくて笑ってしまう。だって神が本当に導いてくれてるのなら、私はこんなに苦労していない。
「ふたりで話をしたい」
「はい、伺っております。こちらへどうぞ」
ミュラー教皇には優しく導かれ、私は聖堂奥の扉をくぐり、狭い廊下を進んで小部屋へと入った。騎士はもちろん入室しない。部屋前で待機していてくれるそうだ。
室内には白いクロスを敷いた小さな丸テーブルに、肘掛けつきの椅子が2脚置かれている。窓はなく、ランプがあるばかりの、秘密の話をするには打ってつけの部屋だった。ここで教皇は色んな人と話をしているんだろう。
「こちらにおかけ下さい」
「ありがとう」
教皇自ら重そうな肘掛け椅子を引いてくれたので、私はそこに腰かける。
「恐れ入りますが、中の話が外に聞こえないよう、防音魔法をかけてもよろしいでしょうか?」
立ったままのミュラー教皇は木製の扉を気にして、小声だった。
「構わない」
「ありがとうございます」
私もその方が助かるし、ミュラー教皇が変なことをしそうには思えなかった。彼は慣れた様子でぶつぶつと呪文を詠唱し、部屋全体に防音処理を施した。私も知っている呪文で、部屋の扉が開かれるまで効果のあるものだ。
終わってから、教皇はおもむろに私に向き直る。教皇の瞳は怪しくギラついていた。その青紫の瞳に見られると、私の魂に刻まれた過去の事象が読み取られてしまうという。何を言われるものかと胸がドキドキして、苦しい息を吐いて、また吸い込む。
「それで、王と王妃の前でどうして嘘をついた? 私は何なんだ? わかっているなら教えてくれ」
声が掠れていたけど、魂の叫びに近い。ずっと苦しかった。私は私が何なのか、わからない。本来セシオンがいるべき体に宿ってしまった私だけど、セシオンじゃないことだけは知っている。教皇は瞠目して、青紫の瞳にランプの明かりが揺れる。
「まさかご存知ないのですか?」
「知らないから聞きにきた」
「お痛わしい……」
教皇は私の座るすぐ前に、床と膝がぶつかる鈍い音をさせて勢いよく跪いた。そっちの方が痛そうだが、気にする様子もない教皇は口を開く。
「尊いお方。あなたは天使です」
「て……?」
天使だとか言った?
急激に教皇に対しての信用が崩れ去る。日焼けしていない白い肌を紅潮させて、教皇は私を見上げた。
「偉大なる神の遣い、神の御子、則ち天使でございます。遥かな昔、魔王になる以前のディミウスとあなたは神の庭で一切の苦痛なく、共に遊んで暮らす純粋な存在でした。私にはその輝かしい光景が見えたというのに、記憶を奪われたのでしょうか? あるいはそれもまた、神の御慈悲なのでしょうか。あなたはディミウスを倒さなければならないのですから」
「いや、信じられないんだが」
私が天使だとしたら、地位のある教皇がこんなにも傅く理由にはなるけれど私には身に覚えがなかった。それに私はあんまり純粋じゃない。目の前の教皇だって、秘密をばらされるのならいっそ、と殺意を持ったくらいだ。
私の不穏な考えを察知したのかもしれない。教皇は少しだけ口の両端を引き上げた。
「私は、過去の事象は見えますが心の中までは覗けません。ですから、あなたにあった出来事を順にお話しましょう」
「その前に、椅子に座ってくれないか? 気になるから」
「ああ、天使様はなんて優しい」
ミュラー教皇は感動しながら、私の斜め横に置かれた椅子にかけ、汚れた膝を払った。
「どこからお話しましょうか。まず、セシオンと魔王の戦いの頃でしょうか」
聞きたかった核心に近づきそうで、私は両手を膝の上で固く握りしめる。
「17年前、セシオンは魔王ディミウスを道連れに禁断の魔法を用い、虚無の海に落ちました。そして体は魔王に取られ、魂は神に救われました。けれどその魂は、生まれ変わるには足りないほど、あまりに損なわれていました。魂と体は別々では存在し得ません。急がなければなりませんでした」
目の奥が熱くなって、私は目頭を押さえた。そう、かわいそうなセシオン。どうしてセシオンばかりが犠牲にならなければいけなかったの?
「あなたは優しい方です。きっと17年前も、今と同じようにお感じになられたのでしょう。あなたはセシオンを庇護するため、神の庭を降りて自らを彼に捧げました。そうして、ひとつの体にふたつの魂を宿してあなたたちはこの世に誕生しました」
「待って、それじゃ……」
思ってもみない話に、こめかみがドクドク鳴るように期待に膨らむ。
「ですから、あなたの中にセシオンの魂はずっといます。あなたが彼を癒し、守護し続けているのですよ」
セシオンはいる。希望が胸に灯ったようで、教皇に救われた思いで、私は自分自身をかき抱いた。真実がどうであれ、その言葉を信じたくなってしまった。
「ありがとう、教皇聖下」
私は彼への尊敬の念が湧き、敬称をつけて感謝の意を口にするが、教皇は激しく首を振った。
「そ、そんな! 私は神の僕です。天使様にそのような呼ばれ方は畏れ多いですから、どうか名前でお呼び下さい。マルクスと」
ミュラーという家名でもなく、名前で呼ぶように言われ私は少し迷ったが、本人の希望を聞くのが一番かもしれない。
「……マルクス」
「ああ、至上の喜びです! 私は今日このときの為に、神よりこの能力を賜ったのでしょう。他者の過去が全て見えるなど、苦しいばかりでしたが、あなたのお力になれたなら良かったです」
感激にうち震えるマルクスこそ純粋に見えた。本当に私を騙すつもりなどないと、信じるしかなかった。
「マルクス、それでセシオンの魂があるとして、どうしたらこの体をセシオンに返せる? 私は消えてもいいから、彼が生きられるよう体を返したい」
「いえ、それはいけません」
マルクスはまた激しく首を振る。
「あなたはもう、あなたとして多くの人に愛されています。私も同じです。そんなことを考えてはいけません」
「でも、セシオンは私に記憶をくれて、体まで明け渡してくれている。私はセシオンが静かに幸福に暮らせるようにしてあげたいのに」
「セシオンの記憶を?」
「ああ、シウが私を探し当てたときのことだ。話しているうちに急に頭に流れてきて……おかげで、しばらくは私自身がセシオンだと思い込んでいた」
ふむ、とマルクスは形の良い眉をひそめ、もう一度過去を覗くように私を見つめる。




