カタリーナ王女
シウが私に向かって、カタリーナの入室を許可していいか小首を傾げるので、私は頷き返す。
「どうぞ」
シウの一声で、扉は静かに開かれ、すぐに栗色の巻き毛とピンク色のドレスなびかせた女性が勢い良く入室してきた。この人が妹のカタリーナなんだと顔を見る暇もなく、彼女はシウに抱きついた。
「お兄様!! ああ、やっと帰ってきて下さったのね」
「カタリーナ、元気そうで良かった」
「そんなことありませんわ、お兄様を一日千秋の気持ちで待ち焦がれておりましたから身も細る思いでした」
私は兄妹の感動の再会の場面を、することもなく傍観していた。
カタリーナはシウのすぐ下の妹で16歳だと事前に聞いていたが、思ったより大人っぽかった。ドレスはかわいらしいデザインだが、彼女は背も高いし胸も大きい。
顔つきは全く似ているところがない。色合いもシウは白銀の髪に紺碧の瞳だが、カタリーナは栗色の巻き毛にヘーゼルの瞳をしている。だからシウと抱き合っていると恋人同士のようで、妹とわかっていても腹の底がムカムカした。
「それはありがとう。さあ僕の婚約者、サミアに挨拶をして」
シウは兄らしい悠然さでカタリーナの肩を軽く叩き、挨拶を促した。やっと私の存在に気付いたらしいカタリーナは、大きな緑の瞳を零れ落としそうに見開く。
「あなたがお兄様と婚約したという、セシオン様の生まれ変わりのサミア様なの?! でも、私が聞いた話では10歳の方だと……」
「書類に不備があったんだね。本当は17歳だったんだ」
しれっと嘘をつき、シウは誤魔化した。まあそれはいいけど、カタリーナがきつい目付きで私を上から下までじっくり観察してから、すっと礼をした。
「初めまして、サミア様。カタリーナです。やっと謎めいた方にお会いできて嬉しいですわ。想像以上にお美しくて、お兄様の心を射止めたのも納得ですわ」
「こちらこそ、とてもかわいらしいカタリーナ王女殿下に会えて嬉しく思っている」
私なりに愛想良く笑ったつもりだったが、カタリーナの目付きは一層鋭くなった。微妙に嫌みでも含められていたのかもしれないけど、難解すぎた。これが、ゼイーダ国王が懸念していた貴族女性のお付き合いというやつなのか。
「あなたって男性のような口調で話されるのね。でもこんなに美しい女性があの偉大なセシオン様の生まれ変わりだなんて、俄には信じられませんわ」
「カタリーナ」
シウはカタリーナを牽制するように、優しく彼女の頭を撫でた。
「間違いないよ。僕にはわかるから。僕はサミアを見つけられて、とても幸せなんだ」
「ごめんなさい。お兄様が満足してらっしゃるなら私は何も言いませんわ……」
頬を染めたカタリーナがあっさり懐柔され、大人しくなったので私はひとつの結論を出した。
カタリーナはどうやら、ブラコンってやつだ。そんな言葉を孤児院で聞いた。兄や弟に激しく執着してしまう人をそう呼称するらしいが、シウみたいにに神がかって美しく、穏やかな兄がいたらそうなるのも仕方がないのだろう。
「あっ、お兄様。サミア様もいらっしゃいますし、ここでずっと話をするのも何ですから、サロンにお茶を用意させますわ。妹や弟たちも呼びましょう」
いいことを思い付いたとばかりにカタリーナは手を叩き、部屋を飛び出していってしまった。
「なんかごめん、カタリーナはああいう性格なんだ」
「元気な妹君なんだな」
呆気に取られるしかない私たちは、しばらくぼうっと待つことにした。そう、私たちは老人のように呑気なところがある。
そうしてお茶の用意が出来たと侍女に呼ばれたのは2時間後だった。私たちはドーム状の天井までガラス張りの、陽光射し込むサロンへと移動した。クロドメールの王城はどこも細部まで装飾がされて、きれいな場所だ。
すぐにシウの妹3人と、弟2人がワアワアと歓声をあげて駆けつけてくる。彼らは10歳に満たない幼さで、彼らのお付きの人たちも含めてサロンは一気に賑やかになった。みんな揃ってシウが大好きらしく、再会を喜んでいる。
シウは整った顔立ちもあり、かなり大人っぽく見えるのでまだ幼い弟妹などに対して長兄というより、父のようでもあった。
私は再会を邪魔することもあるまいと、簡単な自己紹介の後はお菓子を食べることに熱中した。とても新鮮なバターサンドクッキーや、焼き立てのスコーン、作ったばかりの風味溢れるジャムとどれもおいしい。
「ふう、満足した」
ひととおり食べ終えて、私は立ち上がった。シウが膝に乗せている小さな妹の頭の向こうから私を心配そうに見てきた。
「サミア、どうしたの? 退屈だった? ごめんね」
「いやシウが幸せそうだから退屈ではないけど、少し庭園を散歩させてもらう。いいだろう?」
「もちろんだよ。誰かに付き添わせるよ。ええと……」
シウが侍女たちの顔を見回していると、静かに席を立つ気配がした。
「私がご案内いたしますわ」
カタリーナが、サロン中に響くように決然と声を張った。意外すぎる立候補に、私は慌ててしまう。
「あなたは久しぶりのシウと話をしたいんじゃ……」
「もちろんそうですけれど、大事な婚約者のサミア様をおひとりになどさせませんわ。さあ参りましょう」
カタリーナはさっさと大股で距離を詰め、恭しく私の手を取った。ドレス姿なのに、まるで男性のエスコートのようだ。
「ありがとう。よろしく頼む」
私は断る訳にもいかず、カタリーナと手を繋いだまま二人でサロンを後にする。シウとは違う細く滑らかな指の感触が、変な感じだった。
カタリーナにお勧めの場所だと案内されて、良く手入れされた庭園を散策する。クロドメールの首都は冷涼な気候だが、地域に合わせて改良をした品種を植えているのか薔薇は見事に咲いていた。きちんと水まで撒かれ、赤い花びらに水滴が光っている。
「シウは弟妹に良く懐かれているのだな?」
私は、何か話題をと当たり障りのない質問をする。カタリーナは会心の笑みを浮かべた。
「ええ。お兄様は大変に求心力がありますもの。やはり千年生きた伝説の白竜ラーズの生まれ変わりのお方ですから。その深い知性や、精神力には憧れずにはいられませんわ。それらを身にお写しになって、誰より美しくあるのも更に魅力ですわ。近年の戦局だってお兄様が全てお救いになられた、現代の英雄でもありますわ」
「そ、そうか。わかったから」
カタリーナもシウに惹かれていると言わんばかりの早口だった。
「サミア様は、お兄様のどこが特にお好きなの?」
「好きなところ?」
「だって、前世で相棒だったとはいえ婚約するだなんて、恋愛感情があってのことでしょう? 私、お兄様のあんなに甘酸っぱい雰囲気を初めて見ましたわ。お兄様がモテモテなのは見ればわかると思いますけど今までどなたにも興味を示さなかったのに、サミア様には夢中ですもの。サミア様は口調はともかく見目は麗しい方ですから、黙っていれば殿方は寄ってきそうですけど、やっぱりお兄様じゃなきゃダメなのでしょう?」
今すぐアイギスを呼び出してどこかへ逃げたいなあ、などと私は気が遠くなった。カタリーナの怒涛の質問は続いている。貴族女性の付き合いってこんなに大変なんだ。
「ねえ、聞いてますの?」
「ああ」
「キスはもうされましたの?」
「キ……?!」
私は聞き違いと思いたかったが、カタリーナの緑の瞳は好奇心に輝いている。




