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夜霧と朝陽

「誰なんだよ、お前」


 聞いたことがないくらい怒りに満ちたシウの声に、私は身を震わせた。シウの腕から逃れ、どこかに走って逃げたくて私は必死に体を捩らせるけれどびくともしない。


「放して!!」


 私が本当のセシオンの生まれ変わりじゃないと、シウにだけは知られたくなかった。だけどシウはぎゅっと腕に力を入れて、私を解放してくれなかった。


「サミア、落ち着いて。この(あるじ)の偽物は危険だから。いざとなったらサミアを抱えて逃げる」

「え?」


 シウが耳元でそっと囁き、私は抵抗をやめた。なんだ、私に怒っていたのじゃなかったんだ――


「劣情に目がくらんだか、白竜の生まれ変わりよ。哀れだな。堕ちたものだ」


 セシオンが低く不愉快な声音で笑い、シウを嘲った。その瞬間に、私はここに立っている人がセシオンじゃないと確信する。酔いと混乱が霧散して、冷静になってきた。


 セシオンはこんな風に人を愚弄しない。それによく見たら、彼は17年前に魔王と戦って亡くなったときと全く同じ格好をしていた。歳を取っていないだけでなく、耐魔の古代語が刺繍されたローブや秘宝級の腕輪までそのままだ。


 だから――私とシウ以外で、この最後の姿を知っている存在に思い至る。


「お前は魔王ディミウスか?」


 シウも同じ結論に至ったらしく問いかける。ディミウスは最初から偽装するつもりなどなかったのか、肯定するように口の端を歪めた。


 ディミウスは、本来は神の愛し子だった。神自らが生み、地上に下ろさず手元に置いている数人のうちのひとりだ。しかし強欲なディミウスは神の寵愛を自分ひとりのものにしようと巧妙に神の力を盗み、ほかの愛し子を含め自分以外の生命全てを殺戮しようとした。


 セシオンとラーズが打ち倒したはずだけど、魔王兵が何度も現れることから復活したのだろうとは予想していた。だけどまさか、セシオンの体まで盗んでいたとは思わなかった。


 シウが怒りを押さえつけるように、すうっと深く息をする。


「主の姿を盗むような卑怯者に哀れんでもらう必要はないね」

「全て私の計画通りだとまだ理解していないのだな。お前は、千年の時を費やして作り上げた強靭な竜の体を失い、矮小な人の身に成り下がった。セシオンは大いなる魔力に恵まれたこの体を失い、弱々しい小娘の体に落ちぶれた。そして神は、崩壊しかけたお前たちを拾い転生させることで自身の力を使いきり、未だに眠っている」


 セシオンの顔をしたディミウスは、目を三日月のように細める。


「私が何度もお前たちに兵を送ったのは何故だと思う? お前たちが兵を倒すほど、兵の絶望を喰って私は強化される。お前たちが揃って私に力を与えたのだ」


 海からの夜霧が吹き付けていた。人々の生活の明かりが霧に滲み、風に溶け消えていく。セシオンが一歩踏み出すと、その足先がどろっと崩壊した。シウが驚きに息を呑む。


「……だがまだ足りない。この体はセシオンの魔法によって虚無の海に流され、生命としての存在出来ないほどに損傷を受けたからな。魔法を使った本人が一番影響を受け、体と魂が酷く失われたんだ」


 もう一度、私は恐怖に体を震わせる。ディミウスは何かを知っているような、含み笑いをしていた。


「なあ、セシオンの生まれ変わり。小娘の体は具合がいいか?」

「ああ、その体よりずっといいよ」


 シウの腕に抱かれたまま、私は無理に笑って答えた。ディミウスが、にたっと(おぞ)ましく笑う。


「私が7年前、赤子のまま必死に力を集めているお前を完全に殺さなかったのは、私が力を取り戻すためだ。お前が力を集める度に、このセシオンの体にも力が流れ込む。礼代わりに、お前に選ばせてやろう」

「何をだ?」


 やっぱり7年前、ディミウスがセシオンを殺したんだ。今にも私の秘密を言い出すのではないかと、歯の根が合わずカチカチと鳴ってしまいそうになる。私は奥歯を強く噛み締めた。


「お前が大事にしてるその竜もどきの男を絶望の淵に叩き込むのなら、この星に生きる全ての生命を助けてやってもいい。さあ、どちらを取る?」


 ディミウスの言葉が、何度も私の頭の中で繰り返し鳴り響く。理解したくはないが、私が本当のセシオンではないとシウに暴露するか、この星の生命全てを滅亡させるか、どちらかを選べと言っていた。


「ふざけたことを! どちらにしてもお前は全てを殺戮するだろう。サミアを惑わせるな」


 シウが声を荒らげ、私を抱く腕に力を込めた。力強いけれど痛くはない。だけど、私がずっとシウを騙していると知ったらどうなってしまうのだろう。


「はは、惑わせるだと? セシオンなら簡単な選択だ。本当のセシオンであれば……」


 哄笑するセシオンの顔半分が、砂のように崩れ落ちた。名残惜しそうに指から零れ落ちる砂を眺め、セシオンの顔をしたディミウスは闇夜に飛び上がった。


「よく考えておけ」


 すぐにディミウスの黒いローブは靄のように見えなくなってしまった。残された私とシウは、幻であったかと思いたくて顔を見合わせる。だけど衝撃が心をすっぽり覆い、不安と恐怖が湧き上がり続けていた。


「サミア、あんなのみんな嘘だから僕のことなら心配しないで」


 額に額をごちっとぶつけてきて、シウは私を元気づけようとしてくれた。私は反射的に痛いと不満を漏らすけど、ちゃんと加減はされていた。


「あはは、ごめん。取り敢えず今夜は休もう?」

「うん、そうしようか」


 何とか私は表面を取り繕い、少しだけ笑ってみる。その夜はただ不安感を誤魔化すように、シウにくっついて眠った。



 朝陽が昇る頃に目を開けると、昨夜の出来事が夢だったんじゃないかというくらいに空が晴れ渡っていた。古城のカーテンはボロボロなので、自然と光が射し込んでいる。猫に似た海鳥の鳴き声も変わらず元気だった。


 ベッドの上に身を起こし、膝を抱えて私は室内を見回した。家具は古めかしいけれど、ここの生活は気に入っている。


 私はこの平和を守りたかった。隣で白銀の睫毛を固く伏せ、すやすやと眠っているシウの心の平穏も絶対に守らなければいけなかった。よく見たら、なかなか寝付けなかったのか、目の下に隈が出来ている。


「よし、あいつは殺そう」


 私のひとりごとに、シウが瞼をぴくっとさせる。私は慌てて口をおさえ、暴力的な発言を反省した。だけどディミウスは今度こそ、完全に消滅させなければならない。


 昨夜のディミウスの出現は夢ではなかったが、朝の空気のように冴えて澄んだ頭で考えると、あいつの発言にはずいぶん嘘が混じっていたように思える。セシオンの魔法に滅ぼされかけたのは、ディミウスの計算通りなんかじゃない。ディミウスは神から直接もらった超人的な肉体を失い、魂だってかなり損傷を受けたはずだ。


 きっと、私の意識が混濁している隙を狙って来たんだろう。魔王ディミウスを倒すまでは、禁酒しなきゃいけない。


 しかし、あの崩壊しかけのディミウスに比べ、私は魂も肉体もピチピチに元気なのだ。セシオンが残してくれた大切な記憶と、シウもいる。私がセシオンではないからこそ、倒せるのだと私は自分を励ました。

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