相違点
シウは私を片腕に乗せるようにして持ったまま室内に戻り、空いているもう片腕で器用にバルコニーの扉を閉めた。唸りを上げる潮風がガラス戸の向こうのものとなる。
「疲れたならベッドで休んでる? 僕が廊下と厨房を掃除してくるよ」
「風が強くて冷えたみたいだ。寒いから、もうちょっとこのまま……」
「うん」
シウは整えたベッドに腰かけて、私を横抱きにした。本当に何でもないことみたいに、自然な動作で私を温めようとしている。私はシウの胸板に耳を押し当てて鼓動の音を聞いた。それはいつもの通り、落ち着いて規則的だった。
言えば何でもやってくれるシウだけど、私に恋愛感情は全くないんだろうなと思う。
それもその筈。私は子どもだし、シウが好きなのは私の中にあるセシオンの面影だから当然だ。
町にあったセシオンの彫像は本当に立派で、凛々しくて、威厳に満ち溢れていた。あれを見たときに本来なら少女の姿になってしまったことに対する絶望や悔しさが込み上げるべきだったのだろう。
でも、私にそんな感情はひとかけらも湧かなかった。大人にはなりたいけど、男にはどうしてもなりたくない。
というか、あの姿が自分だったという感覚がまるでなかった。
だから――それだけじゃないけど、とにかく違うような気がする。私は女でいいし、ドレスが好きだし、こうしてシウに甘えていたい。でもそんなのは、セシオンの記憶には存在しない感情だった。
私はシウと初めて出会って、あなたこそセシオンの生まれ変わりだなんだと言われているうちに、突然セシオンの記憶が、怒涛のように頭に流れ込んできた。
ありふれた孤児で、たった10年分しかなかった私の記憶に比べて、セシオンの28年間の記憶は圧倒的に濃密で、大きな容量だった。
セシオンは私と同じように孤児でありながら、生まれついての才気、魔力、優れた運動神経をすぐに見出だされ、その国の王の支援を受け、高名な賢者や、最高の騎士から教育を受けた。セシオンこそいずれ魔王を倒すべく生まれた勇者だと持て囃されて期待され、同時にひどく孤独だった。
そんなセシオンの孤独を癒した白竜の相棒ラーズへの思慕の念と、ラーズの体を盾にしなければ勝ち進められない旅の記憶は、罪悪感と葛藤と愛情と執着に満ちていた。
魔王を倒した直後に生まれ変わったときまでは確かにセシオンの生まれ変わりだった。そしてあの森の奥で力を溜め始めた。だけど何らかの理由でセシオンの魂は損なわれ、ほとんど消滅してしまったのだろう。そして、残された空っぽの赤子の肉体に宿ったのが私だ。
私はセシオンの記憶と、7年かけて溜めていた力をもらい、彼の居場所を奪ってしまった何か――
「……もういい。降ろせ」
「うん」
私は消えてしまったセシオンのふりを続けなきゃいけなかった。本当にセシオンなら、こんな風に子どもみたいに抱かれるなんて自尊心が許さないし、シウに甘えたいなんて思わない。
彼がどれだけ相棒のラーズを大事に思っていたか、罪悪感に苛まれていたかよく知っている。私が代わりに、シウとなった彼を幸せにしてあげなきゃいけない。
――化けの皮が剥がれる前に離れたいけれど。そして、セシオンの望みだった『静かに暮らす』という望みをこの体で叶えたい。
◆
城の掃除を続け、暗くなってから私とシウは夕食にした。メニューは早いうちに城の厨房を片付け、仕込んでおいたシチューだ。やはり大きな城だけあって、大鍋もあったし同時に何台も調理できる竈があるところが良かった。野宿のときよりは手の込んだ料理がしやすい。
道中で溜めた肉の切れ端、骨、野菜のはしっこに玉ねぎなど香味野菜を追加してスープを取り、別鍋で具になる肉や野菜を煮ておける。火の番は、火の精霊任せだ。多めに魔力を支払えば弱火とか、沸かさないでなどと指定できる。
そこに焦がしバターで作るブラウンソースを混ぜ、立派なシチューが完成した。
「たくさん作ったから、白竜にも少し分けてやるか」
「えっ?!」
ほとんど武器と言えるレベルに大きなお玉で鍋をかき混ぜながら私が呟くと、横から覗き込んでいたシウが大げさに目を見開いた。
「こ、これ数日分のシチューかと思ってた……しばらくここに留まるし、君ならそういう効率重視のことするじゃん」
私はむっとして、少し乱暴にお玉を動かす。煮えたぎるシチューの飛沫がシウへと飛んだが、避けられてしまった。確かにセシオンならそうしただろうが、うるさい。
「別にいいだろ。明日は町に食べに行ってもいいんだし、アイテムボックスに入れた食べ物は腐らないけど、何となく風味が落ちるから使いきりたかったんだ!」
「あ、うん」
「白竜!! こっちへ来い!!」
私が呼ぶと、遠くにいた白竜がすぐに飛んでくる。翼をはためかせ厨房の裏口に着地する鈍い音と振動が伝わった。
私は自分たちの食べる分をお玉で中くらいの鍋に移した。残りは大鍋ごと白竜にあげるつもりだ。その方が早い。
「シウ、これを白竜にあげて」
「良くないよ、ご飯をあげると情が湧くよ」
「お前は自分の前世と同種にそんな野良犬みたいな言い方をするのか? いいから、早く」
「……わかった」
「あっ、鍋を素手で持つと火傷するぞ。アンブロシウス王子はそんなことも知らないのか?」
「知らないよ、鍋なんて運ばないもん」
シウはぷんと子どもみたいに唇を曲げた。私は何歳なんだと笑いながらキッチンミトンを探しだし、埃を魔法で浄化してからシウに装着させた。シウは大きな寸胴鍋を軽々と持ち上げ、裏口へと運んでいくので、私は先に立ってドアを開ける。すると、開けたドアの面積いっぱいに白竜の顔と長い首が迫っていた。
「私に何のご用ですか?」
「うわっ、近い近い! 出れないから!」
白竜に後ろに下がってもらい、シウは適当な場所に鍋を置く。
「城をしばらく使わせてもらうからな、お裾分けだ。食べてくれ」
「いいんですか?!」
「もちろん」
「ありがとうございます!こういう料理は久しぶりです!」
白竜は喜んで鍋に顔を突っ込んだ。なお、白竜は熱いものは平気だ。炎を吐くくらいだから、熱々シチューに顔を突っ込んでも問題はない。そして、白竜は大抵グルメらしい。高い知能、長い寿命があれば美食を求めるのも必至という。
「何でかな、嫉妬しちゃうのは……」
「シウの分はちゃんとあるだろう」
複雑な表情で見守るシウを私は肘で軽く小突く。シウを大切にしたい気持ちはあるけれど、近くにいる白竜を放っておけない。私は八方美人なんだろうか?
あっという間に食べ終わった白竜が顔を上げて、赤い舌で口の周りをきれいにした。
「ごちそうさまでした。とても懐かしい気持ちになりました」
「そうなのか?」
「ええ、私がこの城に居着くきっかけになった人が料理人で、生きているときは私に色々食べさせてくれましたから」
思わぬところで白竜の古傷を刺激してしまったなと私は無意味に頬を指でかく。
「えーと……」
「私が遠くに離れている間に、その人はこの城の主に殺されてしまったのです。私は報復としてこの城の人々を殺しました。でも今では後悔しています。それ以降、私に近づいてくれる人はいなくなりましたから」
勝手に昔話を始める白竜に私は困り、シウを見上げた。シウはやれやれと首を振るばかりだ。




