古城
白竜は諸手まで上げて大歓迎をしてくれた。名前をつけると契約することになってしまうので決して名前をつけられないが、かわいいやつだ。私は白竜を見上げて、なるべく感じのいい笑みを作ろうとした。
「突然お前の巣に邪魔して悪いが、乗りたかった目的の船が一ヶ月後までないそうなんだ。それで、だ。しばらくこの城に泊まってもいいか?」
「もちろんですよ! 散らかっていて崩れかけの城ですが、どこでもどうぞお寛ぎ下さい。でもすぐそこの町に人間向きの宿もあるのに、ここでよろしいのですか? 廃墟ですよ、ここは」
当然の疑問を投げかけてくる白竜に、私はひとつ咳払いをした。
「……実は私は、復活した魔王の手下に狙われている。だから人の多いところには泊まれないんだ。そいつらは私が眠っているときによく現れる。すぐに倒すが、もしかするとここを壊してしまうかもしれない」
「ああ、そんなこと私は全く気にしません。形あるものはいつか壊れます。それが今日でも百年後でも、私にとってはあまり違いがありません。あなたの訪問によって壊れるのなら、それもまた運命でしょう」
私の横に立つシウは、わかるわかるといった感じで頷いていた。何百年も生きる白竜独自の感覚なのだろうか。
「しかし、魔王が復活してるかもしれないというのは問題ですね。それでも私と契約はしてくれないのですか? 契約さえしてしまえば、わざわざ船を待つ必要もないでしょうに」
「すまない、私にはシウがいる。それに魔王自身の動きはまだないから……」
白竜の言うとおりだが、ごにょごにょと私は言葉を濁した。白竜と契約をしたらあと一日程度でシウの現世の生国、クロドメール国に行く旅が終わってしまう。私の肩をシウがポンポンと軽く叩いた。
「大丈夫だよサミア、別に白竜は建物がなくてもどこでも寝れるし、襲われることもない」
「なんか城を壊す前提みたいになってきたな。できれば壊したくないぞ」
私は白竜の後ろに建っている古城を見上げた。近くで見ると、遠くから見るより当然ながら壮大で、かつての栄華が窺えた。かえって現代では建築不可能だろう古式ゆかしい城の柱や壁などは、芸術的にも金銭的にも価値は高そうだ。
「見ろ、あんな高いところにまで神話の彫刻がされてるぞ。かつてはきれいな城だったんだな。歴史ある建物は勿体ないからあんまり壊したくない……」
「いいんだよ、物は壊れるものさ。命が失われなければそれでいいじゃん」
シウは気楽に言ってのける。白竜までその通りですと追従するので、唯一まともな価値観を持つ私が多数決で負けたのだった。
とりあえず白馬メリッサの寝場所を求めて、白竜に厩舎跡地に案内してもらった。木造の厩舎は朽ちて半分しか屋根がないが、放牧場には誰にも踏み荒らされていない、豊かな草が生い茂っていた。
「メリッサ、良かったな。好きに走り回れるぞ」
「良かったねえ」
シウが鞍や手綱を外すと、ブルンと鼻を慣らし、メリッサは放牧場に駆けていく。私たちは手分けしてシウのアイテムボックスに入っている、水桶や飼い葉入れを設置した。
それから厩舎の屋根のある部分を風魔法で軽く掃除をし、稲わらを敷いておく。メリッサも窮屈な船旅の前に悠々自適の生活を送れるので良かったかもしれない。
続いて白竜に案内してもらったのは、城の東側だ。かつては公爵が住居として使用していた場所らしい。庭園跡は、止まって久しいだろう噴水や、庭師に刈られることを忘れた植木が野放図に成長している。
「この辺りはまだきれいそうなので、泊まるにはいいのではないでしょうか?」
白竜は城内部へと続く広い階段前でぴたっと脚を止める。
「私がこれ以上城の中に入ると壊してしまうので、ここまでです。私は向こうの塔の頂上にいますので、何かあったら呼んで下さい」
「わかった。案内ありがとう」
白竜は顎を向けた先には、円形の塔があった。そちらへと大きな翼を広げて、白竜は飛び去った。
「……ところで、あいつはどうしてここを根城にしてるんだろうな? 白竜に建物なんて必要ないんだろ?」
「僕はちょっと知ってる」
所々が崩れたり、隙間から雑草が伸びている階段を上りながらシウは難しい顔をした。
「7年前、彼が仲良くなった人間をこの城の持ち主、ゴブラン公爵に殺されたんだって。彼は復讐として城を襲い、それから住み着いた」
「それは悲劇だな。しかし、どうして憎い相手の城に住むんだ?」
「もう決して後悔しないよう、戒めとしてじゃない? 僕はわかるなあ」
「……そうかもな」
城の内部は、意外ときれいなものだった。赤い絨毯に埃は積もっているものの、盗賊などが入れないのもあって壺や絵画などの調度品はそのまま残っている。
おそらくゴブラン公爵の寝室らしき部屋も、きれいにベッドメイクされたまま、長い年月が経っていた。
「布類は気持ち悪いからどかすとして、寝台は掃除して普段使ってるクッション材を敷いたらそのまま使えそうだな」
「そうだね。いいと思う」
私とシウは協力して風魔法や水魔法、浄化魔法を駆使して寝床を整えた。
なお、掃除したのは一部屋だけだ。二部屋掃除するのはめんどくさいし、ベッドは十分すぎるくらいに広いから黙っていた。旅の間中、同じ天幕で寄り添って寝ていたのに今さら部屋を分ける必要性が見当たらない――
「やり慣れないことをしたらちょっと疲れたな。休憩!」
あらかた終わったところで、バルコニーに私は出てみた。オレンジ色の夕陽が水平線に沈みかけ、町には灯りが灯り出している。流石に公爵の主寝室、海とモノラティの港町が一望できる素晴らしい眺めだ。
「うーん、権力欲はないつもりだったが、こうしてると一国一城の主になったみたいで少し気分が高揚する」
「ほんと?! じゃあ、クロドメール国に着いたら僕がサミアのために専用の城を建てるよ」
私の横に立ったシウは、急に王子らしいとんでもない発言をする。忘れがちだがシウはクロドメール国の王子として生まれた。腕力も魔力も有り余っているから、ひとりも従者をつけていないんだろう。
「ここが空いてるから使うだけで、私は専用の城なんていらない」
「遠慮しないで。人のいない郊外なら魔王兵が現れても問題ないから安心して住めるよ」
「まあ、確かに。でも城じゃなくて家でいい」
私の現在の状況を考えると、どこに行っても人里は離れなきゃいけない。
「わかった、住み心地のいい家を建てるよ。それで、もし僕が邪魔なら、僕は隠れてるから」
「き、気になるだろ」
あんまりにも変なことをシウが言うので、私は噴き出した。シウが長身を丸めてクローゼットとかに入っていたら変態みたいだ。
「えっ?! じゃあ、今みたいに横にいていいの?!」
「いいって、昼間も私に約束させたただろ。ずっと一緒だって」
「うん、そうなんだけど。でも僕は、サミアに嫌な思いをさせたい訳じゃないんだ」
「別にシウは嫌じゃない」
嫌じゃないから嫌なんだ。
「なら良かった」
ぱっと笑顔になったシウは私を抱き上げて、潮風で冷えた私の背中に手を当てる。ドレスは冷たく湿った空気を含んでいた。私はおもちゃの人形みたいに、簡単に片手で支えられてしまう。シウの指先が私の頬に触れた。
「サミア、寒くない? 顔色が悪くなってるよ。風邪ひくといけないから、そろそろ中に入ろう」
「うん」
シウに体重を預けて、私は小さく息を吐く。シウに優しく触れられるのも、側にいられるのも、全然嫌じゃない。むしろこれらが無くなったらどう過ごしていいかわからない。多分、好きってこういうことなんだろう。
だから恐怖を感じている。私の中に芽生え始めた違和感は、この町に来て、セシオンの彫像を見たときに明確になった。
――私は、シウの大好きだったセシオンの生まれ変わりじゃないかもしれない。私は、シウを騙しているのかもしれない。




