狙った獲物は大きそう
あけおめ
ザーラ・イェッセルは侯爵家に生まれながらも素質はそれほど高くなく、家族からもまったく期待されていなかった。
イェッセル家の跡取りは長兄に決まっている。彼も凡庸ながら魔法レベルの高い子爵家の令嬢と婚約していて、父侯爵は長兄の次代に期待を寄せていた。
とはいえ、ここ最近は発言力の低下が著しい侯爵家が、賭け事じみた一発勝負で済ませるわけもなく。
他の兄弟――特に容貌に優れたザーラにも相応の役割が与えられていた。
魔法レベルが高い者と婚姻し、多くの子をもうけること。
うち一人でも素質の高い子が生まれればよし。その子をイェッセル家に迎え入れ、血脈を絶やすことなく御家再興の担い手になれば、との目論見がある。
だからこそ彼女は国内最高学府に入ったのだ。
正直、うんざりしていた。
家のために身を捧げるのは貴族ならば当然。女であればなおさら。
そういった風潮を甘んじて受け入れるほど素直でも殊勝でもない。
入学して三年ほどは父の命令を利用して自由恋愛を愉しんでいた。
だが嗜虐的で自己中心的な性格が災いし、さらに男をとっかえひっかえしていた噂が広まったこともあり、最上級生になった今では彼女に近づこうとする男子生徒は一時の享楽目当ての者しかいなくなってしまった。
(残った中で唯一まともなのが学内最優であるアレクってのは、皮肉なものよね)
学院内にあるオープンテラスで優雅に紅茶をすすりつつ、ザーラは自嘲の笑みを浮かべる。
「なにか面白いことでも思い出したのか?」
当のアレクセイ・グーベルクが、ザーラの前で本のページをめくりながら言った。ザーラを気にしたような発言だが、視線はページから離していなかった。
「べつに。ところでアレク、アナタはこんなところで時間をつぶしていていいの? アタシと二人きりだなんて、よからぬ噂を立てられるわよ?」
アレクセイ・グーベルクは、昨年までは学内で最も実力があり、グーベルク伯爵家の次期当主として家柄も申し分ない。
容姿にも恵まれ、国の将来を憂いて貴族至上主義の貴族派を学生ながらに牽引する立場でもあった。
彼を狙っているのは女子学生にとどまらない。他国の姫も求婚してきたとの噂もあった。
競争率は国内随一と言っていいだろう。
(ま、この堅物はタイプじゃないし、そもそもアタシなんて願い下げだろうし)
女生徒は距離を置く彼が比較的まともに会話してくれているのは、『選択除外』とお互いが認識しているからだろう。『同志』との側面も強く作用している。
ところが、である。
「噂、か。君との関係を疑われたことは何度かあるな。最近の話だが」
「あら、だったら余計にマズいのではなくて?」
「なに、それならそれで利用はできる。同志の君と気兼ねなく国の未来を語らえるというものだ。むろん、会話内容が漏れないよう注意すべきではあるがね。それに――」
ふぅん、と聞き流していたザーラの耳に、予想外の言葉が飛びこんでくる。
「君となら将来そうなっても構わないと思っている」
耳を疑ったが、アレクセイの態度を見て得心した。
本から目を離さず、淡々と告げた彼が愛の告白をしたとは到底思えない。
「発言力は低下しても侯爵家だものね。これから貴族社会でのし上がるにはうってつけ。そういうことか」
「否定はしない。だが君にとっても悪い話ではないだろう? 互いに利が大きい」
確かにそうだ。結婚相手がアレクセイなら父は文句を言わないどころか、小躍りして喜ぶ姿が目に浮かぶ。だが――。
(二ヵ月前のアタシなら、それもアリと受け入れていたでしょうけれど)
すでに彼女は彼に興味を失くしていた。
実のところ興味の質は変わっても、興味そのものはあったのだ。だがそれも、とある男子生徒の出現で消え失せた。
「〝利〟の話をするなら、アナタにはもっとふさわしい人物がいるのではなくて?」
ぴくりと、アレクセイの片眉が跳ねた。
「シャルロッテ・ゼンフィス。家柄も素質も、彼女より優れた者がいるかしら?」
「……彼女は利害で物事を判断する性格ではないよ。血のつながらない兄を慕ってもいるようだしな」
「ふふふ、なら正攻法で落とせばいいじゃないの。慕う相手がいるとしても、その男が他の女のモノになっていたら、諦めるでしょうし」
舌なめずりするザーラに、アレクセイは初めて視線を向けた。
「何を企んでいる?」
「アタシね、〝彼〟に興味があるの。アナタほどの男が一目置く、兄のほうにね」
「なるほど。実力こそ未知数ではあるが、家柄としては申し分ない。あわよくば国王派筆頭のゼンフィス家を、我ら二人で取り込める、か」
そんなものに興味はない。興味があるのは――。
(〝器〟としての、彼だけよ)
ザーラは絶望していた。
父の命じられたとおりにしか生きられない、不自由な生活に。
学内では自由奔放に過ごしているように見えて、その実は父の命令に縛られていた。
ふさわしい結婚相手が見つかっても、見つからなくても。
卒業したところで仕官の道はすでに絶たれている。実家に戻され、父の道具であることになんら変わりのない生活が待っているだけだ。
もはや生きる意味はない。
最初からなかった。
だから、絶望した。
しかし――。
ただ絶望するだけの、お行儀のよい性格でなかったのが災いしたのか。
ザーラ・イェッセルは、渇望してしまったのだ。
この不自由極まりない人生からの脱却を――。
『我らが神に祈りたまえ。ルシファイラは渇望の種類にではなく、その質にこそ応えてくださるだろう』
バル・アゴス男爵に会ったのは、二ヵ月前のことだ。
紳士然としながらも、どこか妖しい雰囲気をまとう男だった。
いまさら神に縋る気はなかった。
それでも、バル・アゴスに魅入られるかのように彼女は祈った。
そして――。
『ああ、その渇望は心地よい。〝器〟としては脆弱に過ぎるが、お試しにはちょうどよいか』
そんな声が頭の中で響いた直後、何かが自分の中に入ってきた。
お試しとの言葉のとおり、彼女はただの手始め。よりふさわしい〝器〟を求めての、実験として選ばれたに過ぎない。
ゆえに本体と密にする王妃ギーゼロッテとは意識を共有できていない。
神たる力をほんの少し分け与えられただけの、使い捨てだ。
しかし元々が諦めの悪さを見初められた彼女だ。
自身を融合したまま、より大きな〝器〟へ移り替わるのを目論んでいた。
(シャルロッテ・ゼンフィスでもよいのだけど、それには彼が邪魔になる)
ならば先に彼に移り、その器の質を見極めてからでも遅くはない。
(もしかしたら、あの娘より馴染むかもしれないしね)
さらには正体不明の黒い戦士。その男にも近づけるかもしれなかった。
「というわけで、アタシは今から彼に会いに行ってくるわ。お互い、がんばりましょうね」
肩を竦めるアレクセイにひらひらと手を振って、ザーラはティアリエッタ教授の研究棟へ足を運んだ。しかし――。
(何が、起きているの……?)
乱雑な会議スペースの只中で、ザーラは身動きが取れないでいた。
テーブルの向かいにはハルト・ゼンフィス。部屋の入り口にはティアリエッタが、こちらも硬直して動けない様子だ。
そして、ザーラが視線を横に向けたその先には。
「お前、魔人だな」
全身黒一色の、奇妙な男がずびしっと指を突き差していた――。
ことよろ




