おかしな王妃様
今は授業中であるためか、学院の本校舎へと続く大きな道に人影はまばらだ。
そんな中、生い茂る植木の真下、木漏れ日が差すベンチに一人の男子学生が読書に耽っていた。銀色の髪をそよ風が撫でる。
そこへ、女子学生が近寄って声をかけた。
「あら、ナンバー1じゃないの。授業中に読書とはいい御身分ね」
金色の長い髪は緩やかに波打ち、端正な顔ながら目元には嗜虐性が滲んでいる。
「……ザーラか。今は空き時間でね。それより近くに人がいないとはいえ、会合以外でその呼び名は感心しないな」
「あら、ごめんなさい、アレク。つい、うっかりしてしまったわ」
絶対にわざとだったとわかる、小バカにしたような笑みをたたえた彼女の名はザーラ・イェッセル。貴族至上主義の復権を目指す学生集団、ナンバーズの『9』である。
そして男子学生はアレクセイ・グーベルク。ナンバーズの代表者で『1』を冠する男だ。
「横、よろしくて?」
返事を待たず、ザーラはアレクセイのすぐ横に腰かけた。
密着するほどの距離感にも彼は眉ひとつ動かさず、本を閉じて彼女に目を向ける。
「珍しいな、君が学内に現れるとは。卒業のための単位はすべて取得済みだろう? 卒業試験まで学院には顔を出さないと思っていたよ」
「まあね。四年生の間に必要単位をすべて取ったから、五年生の今は自由を満喫しているわ。でも楽しいオモチャが手に入ったのだもの。遊びたくなるわ」
舌なめずりするザーラに、アレクセイは呆れた視線を投げかける。
「それより、首尾はどうだったの? 昨日、王妃に会ってきたのでしょう? 上手くこちらに引きこめて?」
「だから不用意な発言は控えないか。……ああ、概ねこちらの希望は通ったよ」
「ふふ、さすがね。でもあの女狐のことだもの、油断はできないわね。いいように使われてはダメよ?」
「わかっている。それを見越して彼女とは手を結んだのだからな。ただ……」
「? 何か懸念があって?」
訝るザーラに、アレクセイは言葉を選んで告げる。
「どうにも彼女の雰囲気が、気になってね。以前と異なるというか……」
アレクセイは公式の場で何度かギーゼロッテに拝謁している。言葉を交わしたことも一度や二度ではなかった。
しかし、離宮の私室に招かれた彼が見たのは、それまで感じた凛として優雅、それでいて怖気が走るほど冷たい視線が影を潜め、
「やたらと、上機嫌だった……」
「なにそれ? 若い男と二人きりになって浮かれていたのかしら?」
と、アレクセイが人影に気づいた。
本校舎へ向けて歩く誰か。位置的にこちらへと近づいてくる。
ザーラに目配せして黙らせ、その人物に目を向けた。
ぎょっとする。
足取りも軽やかに、鼻歌でも歌っていそうな上機嫌で向かってくるのは、王妃ギーゼロッテだった。護衛もつけずに一人で歩いている。
(なぜ、彼女がここに……?)
同じく驚いたザーラとともに立ち上がり、首を深々と下げた。
「あら? あらあらあら? 昨日に続いてまた会ったわね、グーベルク家の御曹司君。優等生だと思っていたけれど、授業をサボって彼女と密会?」
「お戯れを、王妃殿下。空き時間でしたので、同志と話をしていたのですよ」
「まあ、面白みのない返しですこと。貴方、顔は良いし能力は高いけれど、軽妙な会話はできていないのよね。それでは女性にもてないわよ?」
からかいの言葉とともにウィンクまで飛ばしてくる王妃に、やはり違和感が拭えない。
「善処します、という返答もまた、王妃殿下のお気には召さないのでしょうね。それより、どうして護衛もなくお一人で学院へ足をお運びになったのでしょうか?」
「すこし学院長に、ね。古い馴染みに、会いに来たのよ」
ギーゼロッテは「それじゃあね」と手をひらひらさせて本校舎へと歩を進める。
(古い、馴染み……?)
またも違和感が襲ってきた。
王妃と学院長ならば、立場上の交流はもちろんあるだろう。しかしギーゼロッテが在学中はまだ学院長は関係者でなかったし、家同士の付き合いがあったとの話も聞かなかった。
互いの年齢を考えれば、ここ十年での付き合いが『古い馴染み』と呼ぶほどではないと感じられたのだ。
「たしかに、今までの王妃とは違うわね」
ザーラは無防備な王妃の背を見送りながら、小さくこぼす。
「ずいぶんと、浮かれているじゃない」
「浮かれている、だと……?」
「きっと、何かいいことがあったのよ。ふふふ、面白くなってきたわ」
恍惚とした笑みを浮かべるザーラに、アレクセイは得も言われぬ不安を抱くのだった――。
事前のアポイントもなく、唐突に王妃ギーゼロッテがやってきた。
「やっほー。お久しぶり~」
ノックもせずいきなりドアを開けて入ってきた彼女を見て、学院長テレジア・モンペリエは凍りついた。
「あらあら、ずいぶんと脆弱になったわね。それ、ほとんど人間じゃないの。今はテレジア・モンペリエ、という名前だったかしら? 前とどちらで呼んでほしい?」
「な、なぜ……、貴女が……。いえ、いいえ、あり得ない。あってはならない。貴女が復活する条件は、まだそろっていないでしょう!」
椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、テレジアは叫んだ。
「そう大きな声を出さないの。不審に思った誰かが来てしまうじゃない。ま、すでに結界を張っているけれどね。あの男にもまだ気づかれてはいないようだし」
ギーゼロッテは言いながら執務机の前に進み出て、不作法にも机に腰を掛けた。すらりとした脚を組み、半身になってテレジアを眺める。
「ほら、立っていないで。腰を落ち着けて話をしましょうよ」
「……」
テレジアは椅子を戻して座ると、ギーゼロッテをにらみ据えた――。




