天然犬娘
俺はこの世に生を受けて二日とちょっと、何も口にしていなかった。出すものは一度放出しているのだけどね。
空腹はまだ我慢できるけど、食事問題の解決は急務と言えた。
森の中なら食料は豊富。
しかし俺は赤ちゃんだ。
肉や野菜をミキサーにかけて(たぶん結界魔法で可能)ドロドロにしても、体が受け付けるかどうかわからない。
たぶん母乳かそれに近い成分の液体しかダメだよね?
とはいえ、性別不詳で乳飲み子がいるかどうかも不明な獣に母乳を求めてもせんなきこと。
よくわからんうちに主従関係が結ばれてしまったが、部下に無理難題を押しつけるのはダメ上司だなと反省しきり。
『おっぱい……母乳ですか。それならば、どうにかなりますが――』
「マジで!?」
素で驚いた。ボイスチェンジャーみたいな声がさらに高くなる。
『傷は……ええ、大丈夫のようです。我が主のため、ここは覚悟を決めましょう』
フレイさんは、そう言って目をつむる。
ぽわっと大きな体が光を帯びた。光は強さを増し、まばゆいほどに輝いて……その巨躯がみるみる縮んでいって………………人になったぞ?
体毛と同色の赤い髪はさらさらと腰まで流れ、頭の上にはぴこんと犬耳がのっかっている。お尻からはこれまた赤いふさふさの尾が。
豊満な胸。くびれた腰。しなやかで長い手足。整った美しい容貌。
すっぽんぽんの美少女がいた。
「……ふぅ。状態に異常はありません。人型への変化は成功のようです」
さっきまでは頭の中で響いていた美声が、耳から入ってきた。それはそれとして。
「服を着て!」
叫びつつ、俺も裸であるのを思い出す。
獣相手ならまだしも、相手が人、しかも若い娘さんならなおさら。赤ちゃんだが恥じらいはあるのだ。
俺は脚を閉じて股間を、両腕で胸を隠した。陰部はもちろんだが、転生前の俺は両乳首に長い毛が数本生えていたのが我慢ならなかった。その名残だ。今は頭部も薄く、首から下はつるつるだけどね。
「お、お目汚し、失礼しました。しかしこの姿は私本来の姿の特徴を元にしているため、変更はできかねるのです。しばらくは本来の姿に戻れませんし……申し訳ありません」
「ああ、いや、お目汚しとかじゃなくて、たんに目のやり場に困るというか……ええい! それ!」
俺は彼女の体のラインに合わせて結界を作り、色を付けた。ぱっと思いついたのがこれだったのだが、要するにライダースーツみたいなやつだ。
「逆にエロい!」
色を黒に選択したのもあって、セクシー女怪盗みたいになってしまった。
「重ね重ね申し訳ありません。衣装を用意していただきながら、どうやら着こなせていないようで……」
違う。そうじゃなくて……まあいいか。説明が面倒だ。
突然エロい裸とエロい格好の美少女に遭遇して動揺したが、俺が赤ちゃんだからか、性的興奮はない。具体的に言うと俺の息子がちんまいままだ。
「ところで我が主。この衣装も、貴方の魔法なのでしょうか? 〝無〟から〝有〟を生み出すなど、神域をも超越した力でありますが……」
結界を作っただけとは言えない。
俺が属性を持たず、だから結界魔法しか使えないと知ったら、フレイさんはどう感じるだろう?
『なによあんたクソザコじゃないの! よくも私を騙したわね!』
などと憤慨し、怒りのあまり俺を頭から丸かじりするかもしれないな。
うん、黙っておこう。
でも結界魔法のなんたるかは知っておきたい。
「フレイさんに訊きたいことがあるんですけど」
「ふふ、我が主よ。そう畏まった話し方は必要ありません。むしろ主従関係は明確にすべきです。ええ、以降はハルト様とお呼びいたします。私は『フレイ』と呼び捨て、なんなりとお命じください」
片膝をついて恭しく頭を下げられると、俺はいい気になっちゃうけど?
「俺、結界魔法を練習中なんだ。でもいまいち結界魔法がなんなのかよくわかんなくて」
「結界魔法、ですか? そんな初歩の魔法をマスターせずとも、ハルト様はすでに様々な魔法を操れるご様子。ならば、もっと先に進まれるべきです。私は火炎系が得意ですので――」
「いえ結界魔法で!」
今のところ余計な知識は必要ないのだ。
「は、はい。では……こほん」
フレイはなぜだかその場に正座して語り始めた。
「結界魔法とは、いわば『陣地』を構築する魔法です。領域を定め、属性を付与することで攻防で自身に有利、あるいは相手に不利な状況を作り上げます」
「属性は関係ないんじゃないの?」
「使用の際、属性に縛られないという意味ですね」
たとえば、とフレイは自身になぞらえて説明する。
彼女は火炎系の攻撃魔法を得意とするが、【火】属性を付与した結界内で使えば火炎系魔法の威力が増す。逆に相克する【水】属性の結界に誘い込まれると、得意魔法の威力が減じられるという。
「へえ、なかなか便利だね」
でも俺はそもそも属性がないから、意味ないか。
「便利、ではあるのですが、実際のところ自由度はさほど高くありません」
「そうなの?」
「あくまで補助ですからね。あと大きなデメリットと言えば、結界は構築した際、領域が固定されてしまうので動かせません」
「え? ふつうに動かせるよ?」
俺は色を付けた箱状の結界を作り、あっちこっちに飛ばしてみせた。フレイ、あんぐりである。
「えぇ……? た、たしかに動いている。物体に付与してそれを動かしているのではなく、単体で。というかそれは、結界なのですか?」
面白いので二十個に増量して遊んでみた。
「ちょ、無茶はおやめください。結界は同時に複数展開した場合、数が増えるごとに維持するための魔力が飛躍的に増し、脳への負担も大変なことに!」
「え? 維持に魔力なんて必要ないけど?」
フレイ、またもあんぐり。
「動かすにはちょっとだけ使うっぽいけどね。そんなに負担じゃないかな」
細胞なんかをたくさんくっつけたりはさすがに疲れたけど。
「だから、そもそも動かせないはずなのですが……」
もしかして呆れてるのかな?
「あれは、本当に結界なのか……? しかし創造魔法は失われたものであるし……。ハルト様の結界魔法は端的に言って、我らの常識からかけ離れている。だが結界魔法は属性に縛られない特殊性があり、基本であるがゆえに研究対象になり得なかった……。しかし、ぇぇ……?」
絶賛大混乱中の彼女の様子からすると、どうやら俺の結界は特殊らしい。
てことは、フレイに質問しまくってもこれ以上はわからんか。
ということで。
「そろそろおっぱいをもらえる?」
腹を満たしておきたい。
「へ? あ、ああ、そうでしたね。えっと、この衣装はどうやって脱げば?」
「首のところに摘まむところがないかな? それを下に引っ張ればいいよ」
「これですね。では、失礼いたしまして――」
フレイは首のファスナーをジジィィィとへその辺り限界まで下ろし、よいこらしょって感じで「全部脱ぐ必要が?」
なんでまたすっぽんぽんになるのさ?
「胸だけでいいんだよ、胸だけで」
セクハラ発言にしか聞こえない。
「何をおっしゃいますか。事を為すのに、胸だけというわけにはまいりません」
「事を……って?」
フレイは全裸ドヤ顔正座待機、という斬新なスタイルでもって言い放つ。
「もちろん生殖です。人の仕組みに詳しくはありませんが、母乳は母体が命を宿して初めて湧き出すものでしょう? さあ、私に種付けしてください」
ははぁん、さてはこいつ、天然だな?
どうやら俺の食事問題は、暗礁に乗り上げてしまったらしい――。