革命開始
リザは王宮前広場の上空、その手前で急停止した。近場の建物の屋根に降り立ち、身を低くして広場を窺う。
ふだんは往来が許されている住民の憩いの場が、兵士たちで完全に封鎖されていた。物々しい警戒態勢だ。
(魔法術式の上を人払いする手間が省けてむしろ好都合だけど……)
『氷結の破城杭』をセットするには目標に近寄る必要がある。しかし広場に立ち入れば兵士が殺到してくるだろう。
(シャルロッテ様とフレイの準備が整ったら――)
詠唱を終えるまでをこの場で行い、目標に接近次第、魔法を発動する。同時に、学院に設置した破城杭を打ちこむ。
『こちらイモータル☆シャルちゃんです。リザ、フレイ、状況はどうですか?』
「こちらリザ。王宮前広場は――」
リザは現況と今思いついた作戦を伝えた。
『フレイだ。私も到着している。ただそこそこ人がいるな。墓参りに来た者たちの他にも、清掃業者か? 件の魔法術式の近くだけでも十五人近くいる』
『わたくしもたった今、現場に到着しましたけど……人が多いですね。フレイは近くの人たちを避難させてください。わたくしはちょっとだけ乱暴な方法で皆さんに目標から離れてもらいます』
「わたしは準備を整えていればいい?」
『はい。リザはいつでも魔法が発動できるように――』
ドンッ!
話の途中で爆音が鳴った。
リザが目を向けた先、王宮から白煙が立ち昇る。そして――。
「シャルロッテ様! 起動した!」
王宮前広場に、巨大な円形魔法陣が輝きを放った。
『こちらもです。何が起きたかわかりませんが、起動条件が満たされたのでしょう。リザ、フレイ、作戦を開始してください!』
起動はしたが完全に効果を発揮するまでは間がある。
リザは返事もそこそこに飛んだ。王宮の異常で慌てふためく警備兵たちを尻目に、光を放つ魔法陣のすぐ側に降り立つと。
「砕けろ!」
告げるや、いくつもの氷の杭が現れた。
都合十七。
出現した端から広場に撃ち下ろされた杭は魔法陣を穿つ。
地面が揺れた。破砕音が空気を震わせる。粉塵がもうもうと魔法陣の光を隠した。
(あれ? 学院のは発動したのかな? 手ごたえがあったようななかったような……?)
思考に割りこんできたのは警備兵の男だ。
「お、おい貴様! いま何をした? 王宮での爆発と何か関係が――」
「来ないで!」
叫んだリザを目掛け、塵煙から何かが飛び出してきた。
「グギョォッ!」
窪んだ眼窩に光はなく、開いた口にはすべて牙状になった無数の歯。
リザがバックステップで突進を躱すと、ガキンッと異形が口を閉じた。
「なんだよアレ!?」
「魔物か?」
「見たことないぞ」
一般市民が知らないのも無理はない。王宮警備の兵士であっても出会った者はいないだろう。
エルダー・グール。
体形は人に近い。二本ずつの手足に頭がひとつ。しかし体躯は黒ずみ、首は常人の三つ分長い。耳や鼻は削ぎ落されていた。
生ける屍、食人鬼とも呼ばれるグールの上位種である。
しかし実力は上位と下位で天と地ほどの差がある。
動きが遅く、人ほどの腕力しかないグールと異なり、エルダー・グールはヘルハウンド以上の俊敏性と、魔法レベル20相当が自己強化したのと同等の身体能力を誇るのだ。
さらに問題なのは――。
「おのれ! 貴様が召喚したのか? 全員かかれ!」
「ダメ! 近づかないで! エルダー・グールに噛まれたらグールになる!」
彼らは人を襲い食らう一方で、噛みついて下位種を増やすこともできるのだ。
敵のおぞましい計画は、多くのエルダー・グールを放ち、王都を屍の都に化すことだ。
「スノー・ランス!」
リザの手に巨大な槍が具現する。円錐状の長い槍。
近場の魔物の胸を貫いた。
「グギョォ!」
胸部が凍りつき、徐々に範囲を広げていく。しかし息の根は止められず、リザに噛みつこうと長い首を伸ばしてきた。
リザはあえて片手をその口に突っこむ。鋭い歯が皮膚に達する前に、冷気を爆発させて頭部を吹っ飛ばした。ようやくエルダー・グールは沈黙する。
「ここはわたしがなんとかする。避難をお願い」
巨槍を振るって風を起こすと、塵煙が消え去る。
(十……二十…………三十二)
魔法陣の機能は停止している。しかし生まれ出た魔物は消えていなかった。
通常の召喚魔法であれば術式が壊された時点で召喚獣は姿をとどめていられないのに。
(現代魔法じゃない。古代魔法に連なるもの? ともかく、今は……)
リザは地面に槍を突き立てた。魔力を流すと亀裂が生まれ、エルダー・グールたちの外側をぐるりと一周する。
「アイス・ウォール!」
亀裂から氷の壁が伸びていく。やがてドーム状に魔物の群れを閉じこめた。一ヵ所、彼女の正面には一体が通れるほどの穴がある。
すべてを閉じてしまえば壁を壊そうとするだろう。
しかし穴があればそちらを目掛けて殺到する。実際、そうなった。
「たあっ!」
飛び出してきた一体の頭部に槍の切っ先をお見舞いする。頭が砕かれ、その場に崩れ落ちる。ぴくりともしない。
(よし。頭を壊せば倒せる)
だが、くらりと視界が歪んだ。
(無詠唱で大魔法を連発しすぎた。でも――)
倒れるわけにはいかなかった。一体でも取りこぼせば、多くの住民がグールと化す。
魔族の彼女は、見ず知らずの人間が傷つこうがなんとも思わない。
(きっとシャルロッテ様は悲しむ。だから――)
飛び出してくる敵を一体一体丁寧に壊していく。
その鬼気迫る所業に、警備兵たちは近寄ることもできなかった――。
――王都南地区にある大聖堂。
荘厳な建物の前は公園になっていて、広場の外周には屋台が軒を連ねている。仕事帰りの人も多い中、休日に近い人でごった返していた。
突然広場のど真ん中に魔法陣が浮かび上がり、付近は騒然とする。しかし平和に慣れすぎた王都の人たちは危機感が希薄なのか、我先にと逃げ出す者は皆無だった。
「みなさん、そこは危険です。すぐに逃げてください」
ファンシーな衣装の少女が上空でそう告げても、動く者はいない。催しか何かだと期待する者までいた。
シャルロッテはステッキを振るう。
魔法陣の上にもくもくと暗雲が立ちこめた。
「おわっ!?」
「なんだこれ?」
「濡れる!」
大粒の雨が降り注ぐ。下にいた人たちは濡れるのを嫌って魔法陣の外へ駆けだした。
シャルロッテは【水】属性を持たない。雨を降らせた魔法はステッキの効果によるものだ。兄ハルトが授けたステッキにはいくつか特殊な効果があるが、お遊びに使える程度のものだ。
彼女自身もいまだ発展途上で大魔法を操れるほどではない。
古の召喚魔法陣を破壊するのは無理があった。
だがしかし、彼女にはとっておきの秘策がある。
(第一段階はクリアですね。では、続きまして)
魔法陣から黒い影が這い出てきた。エルダー・グールだ。シャルロッテが一人で彼らを止めるのは不可能。次々に現れる魔物が人を襲う前に――。
四次元ポーチに手を突っこみ、つかんだものを放り投げた。
折りたたまれた小さな布。しかし広がるにつれて面積が大きくなり、暗雲を吹き飛ばして浮かんだときには魔法陣を覆うほどになっていた。
その中心には、こちらも巨大な円形魔法陣が描かれている。
「おいでませ! キャメロットの騎士たちよ!」
魔法陣が輝く。そこから何かが飛び出してきた。
ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン――。
着地したのは武装した骸骨兵が五十ほど。その中心で剣を掲げた一人が叫ぶ。
「我らキャメロットの近衛騎士団。召喚に応じまかりこしました!」
円卓騎士の一翼、ナイト・スケルトンの軍団を指揮するジョニーだ。
「敵エルダー・グールさんたちの排除と住民のみなさんの避難のサポートを」
「御意。デルタ、エコー隊は散って人々を近寄らせるな。残りは――突貫!」
「「「おおーっ!!」」」
雄叫びとともにカチカチと歯の鳴る音が響き渡る。
混乱していたエルダー・グールたちが襲いかかるより早く骸骨兵たちが陣形を整えて突進した。
しかしエルダー・グールは次から次へと現れる。
個々の戦闘力と連携では圧倒するナイト・スケルトンたちではあったが、相手魔法陣を破壊する余裕はない。
むろん、シャルロッテの想定の範囲である。
上空に浮かぶ大きな布から、もう一体巨大な影が落ちてきた。
ドシン、と魔物を四体踏みつぶしたのはギガント・ゴーレムだ。
「ギガン、敵召喚魔法陣の破壊をお願いします」
「ぅ、わかった」
足に噛みついてきたエルダー・グールを気にも留めず、ギガンは両の手を組んで振り上げた。こぶしが光を帯びる。
「アース・クエイク」
振り下ろすと同時、骸骨兵たちが飛び上がる。
ドォォォンッ、と大地が揺れた。
建物が跳ねるような上下動とともに、魔法陣が地面ともども砕け散る。周囲の人たちも立っていられず尻もちをついた。
「破壊しても魔物は消えないですね。ふつうの召喚魔法陣とは違うのでしょうか? ともあれ――」
シャルロッテは号令を下す。
「残りは六十ほど。ではみなさん、蹂躙の時間です!」
巨大ゴーレムと骸骨兵の精鋭たちが、咆哮で応えた――。