赤子が生きるのに必要なもの
獣がしゃべった。
まあ、サイズ的に魔物だろうし、異世界では何が起こっても不思議ではない。
ただ問題は、俺が他人とコミュニケーションを取るのが苦手なヒキニートということだ。
でもまあ、相手が人じゃないなら大丈夫、と思いたい。
犬とか猫とかハムスターとか好きだし。
なんとなくやれそうな気がするも、根本的な問題があった。
「……だー、うー」
俺、まだしゃべれません。赤ちゃんだからね。
『会話はできないのか? 先ほどから論理的思考の下に行動していたように見えたが……』
だからといって諦めない。俺には何かと便利な結界魔法があるのだ。
口の中に『考えたことを入力すると空気を振動させて声のような音を発する結界』を作ってみた。我ながら都合が良すぎるなあと考えたものの、
「はじめまして」
イケた。ボイスチェンジャー使ったみたいな妙な高音だけど、声が出た。
『気持ちわる!』
不評だった。
『いや、すまない。人の赤子が妙な声を出すのに驚いたが、すでに走り回ったり宙に浮いたりを見たあとだ。今さらだったな』
赤毛のフェンリルは頭を下げる。
『さて、言語による意思疎通が可能ならば尋ねたい。貴様……いや、君は何者だ? 見たところ生後間もない人の子のようだが……』
とりあえず自己紹介をしておくか。名前は……ラインハルトとか言ってたか。長いな。変えるか。
「俺はハルト、と言います。この国の王子として生まれましたが、魔法レベルが低すぎていらない子認定され、捨てられました」
本名を切り取って日本人っぽくしてみた。
赤いお犬様は目を丸くする。
『王子だと? 『閃光姫』ギーゼロッテ・オルテアスの子か? たしかにその左胸にあるのは〝王紋〟だが……いや問題はそこではなく! 魔法レベルが低いとはどういうことだ? 君からはとんでもない魔力を感じる。人の域を……ともすれば神代の神々をも凌駕すると思えるほどに、底が知れない』
「測定結果では、最大魔法レベルが2でした」
『んなわけあるか!』
そう語気を荒らげられましても。
俺にはその事実しかないので、これ以上の説明はできない。
だんまりになっていると、何やらぶつぶつ言い始めた。
『む、そうだな。君の魔力を喰らわんとした私を、警戒するなという方がおかしい。生まれてすぐ森の奥に捨てられたのも込み入った事情があるのだろう。はっ!? まさか……』
一人芝居じみた独り言を続けるお犬さんは、両目を見開いた。
『魔王の生まれ変わりか!?』
なんでよ? 俺の前世は日本人のヒキニートです。
だがよく考えてみたら、俺がクソザコだと知られるのはマズい。変に誤解してくれたのなら、それに乗っかるべきだろう。
「そうです。私が魔王です」
『そうか。成功していたのだな。だから君は、我らを逃がして一人で……』
なんだかうるっとしている様子。
『しかし傑作だ。自らを滅した閃光姫の腹の中に転生するとはな。何を企んでいるか知らないが、なかなかやるじゃないか』
今度は陽気になったかと思えば、
『だが妙だな。魔王ならどうして私を認識していない? 話し方も違うし……』
じろりと睨まれた。忙しい犬だな。
仕方がない。誤魔化そう。
「うっ、頭が……。俺は、何者なんだ? 思い……出せない!」
これならどうだろう?
『ふむ。転生魔法の弊害で記憶が混濁しているのか? さしもの魔王も、神代の秘術は荷が重かったとみえる』
よかった。誤魔化せたらしい。
『忘れているなら、それでもいい。君にとどめをさされるのなら本望だ。さあ、煮るなり焼くなり殺すなり、好きにするがいい』
ゴロンと転がり、お腹を見せるワンちゃん。
知ってる! 服従のポーズだ!
ん?
ここで俺は、彼女(?)の異変にようやく気づいた。
「ケガ……?」
赤い体毛よりも濃い赤色の液体が、横腹にべっとり付いていた。
『ああ、これか。魔族狩りの連中に不覚を取った。今はほぼすべての魔力を注いで傷をふさいでいるが、そう長くはもたない。私は攻撃特化であるから、治癒は得意でなくてね』
乾いた笑いが聞こえた気がした。
なるほど。
魔法レベルが2しかない俺がこの魔物を閉じこめていられるのは、彼女(?)が全力を出せていないからか。
俺はじいっと犬の横腹を眺める。傷口は体毛で隠れて見えないが、話しぶりからはかなりの重傷っぽい。
治してあげたい、と思った。
俺は前世でも人には優しくされていなかったが、動物(特にもふもふ系)には癒されてきた。
でもなあ、治したとたんに結界を破って襲いかかってくるかも。
魔族というからには、悪者なんだよね?
でも話してる感じでは、優しそうに思える。
わからん。さっぱりわからん。
俺は相手の性格を把握して思考を量るとかいう対人スキルが壊滅的なのだ。まして相手は犬。知らんがな。
しかしもふもふは好きだ!
葛藤した俺はダメ元で交渉してみる。
「あの、その傷を治したら、俺を見逃してくれますか?」
『見逃す?』
「ああ、いえ、じゃなくて、その……。と、とにかく、俺にかかわらないと約束してもらいたいなあ、って」
『魔王の君なら治癒魔法は使えるだろうが……』
残念ながら、俺は結界魔法しか使えない。医療知識のない俺に、『治療する結界』なんて都合のよい、医療ポッド的なモノが作れるだろうか?
でも治すのが『傷』であるなら、なんとかなるかもしれない。
お犬さんは腹見せポーズのまま考えている。
『そもそも今の君は人間だ。魔族の私が約束を守ると思っているのか?』
「魔族って嘘つきなんですか?」
『中には腹黒い者もいる。君――魔王を裏切った者どものように、な。だが私は誇り高きフレイム・フェンリル。この命に代えても約束は守ると誓おう!』
腹見せポーズのまま堂々と宣言したのだし、信じてもいいかな。
『ッ!? な、なんだ、これは? 傷が、ふさがった!?』
まずは体毛で覆われて見えない傷をスキャン用の結界で正確に読み取る。
けっこう深く切られていて、内臓にまで達していた。よく生きてたなあ。
で、切断された部分をつなげる結界を無数に用意する。あとはそれらをぐいっと引っ張ってぴったりと密着させた。
ただし、これでは『傷を結界でつないでいる』状態にすぎない。
ここから切断箇所の筋肉や臓器の外側部分にテープのような結界を貼り、初めに密着させた結界を消滅させた。毛細血管とか細かいところも個別に処置する。
細かい作業を素早く並行で行ったからけっこう神経を使ったな。でも魔力はそんなに減った気はしない。使った気はするのが不思議だった。
それに、もっと上手いやり方がありそうな気がする。まあ、今はこれでいいや。今後の課題にしよう。俺自身がケガしたときのために。
そういえば、ずっと気になっていることがあった。
ぽかんとしている犬さんに尋ねる。
「あなたの名前はなんですか?」
『それより今何をした!?』
怒られてしまった。
「えっと、治療?」
『疑問形なのがとても不安だが、たしかに傷はふさがっている。だが、治癒魔法とは感覚が違うような……』
詳しく説明するのは面倒なので、俺は「で、お名前は?」と再び尋ねた。
『やけにこだわるな。私の、名前か。気安く訊いてくれる。魔族の個体名には特別な意味があってね。今は人間たる君に教えるわけには――』
「じゃあ、『フレイ』で」
『な――ッ!?』
お犬さんは腹見せポーズで固まった。
「あ、ダメでした?」
たしかフレイム・フェンリルだと言ったから、犬とか呼ぶのは変だし、種族名を省略させて呼ばせてもらおうと考えたんだけど……。
『…………いえ。フレイ、ふふ、よい響きです』
どうやら気に入っていただけたようだが、なんで丁寧口調?
しかもなぜだかフレイさんはごろりと転がり身を伏せると、
『囚われたにもかかわらず、命を救われた。その上、新たな名もいただいた。ここに契約は成立しました』
ん? 契約ってなに?
フレイさんは首を深々と下げて続けた。
『我が主よ、この身を貴方に捧げましょう。たとえ記憶がなかろうと、貴方は我が盟友にして導く者。かつて果たせなかった忠節を、今度こそまっとうすると誓いましょう!』
武士かよ。
なんか面倒くさい流れになっているようだがそんなことよりも。
俺はさっきから、非常に危険な状態に陥っていた。
「お腹が、空きました」
『へ?』
「おっぱいを、ください……」
俺、赤ちゃんなので母乳しか受け付けないのです。