黒い戦士の忠告
最悪だ。
入学して初日の授業で、俺は賞賛の嵐の渦に巻きこまれてしまった。
ヘタレた落ちこぼれと認定されるはずが、である。
早期退学計画が大きく後退した事態となった。
俺は現状を打破すべく緊急会議を開く。といってもメンバーは俺とコピーのみ。場所は寮の裏手にある林の中。結界で防音は完璧だ。リザは自室で待機してもらっている。
「無理だ。諦めろ」
「お前俺のコピーのくせに諦め早いな!」
「お前は元々諦めの早い人間だろうが!」
「お前だって隔日で学校に通うんだぞ? 五年も耐えられるのか!?」
「いやいやいや、そもそもお前が悪いんだろ? 俺はやらんぞ。尻拭いはお前がしろ」
「お前が出席してればこんなことにはならなかったよ! うん、以降はお前が全部出ろ」
「理不尽だ!」
「文句言うなバカ!」
「バカって言うほうがバカだ!」
「なにおう!」
「なんだよ!」
罵り合う俺たち。よく考えたら自身を罵倒するマヌケ。
自問自答では端から建設的な議論ができようはずはない。最初に気づけよ。
コピー君も察したのか、脱力してしみじみ言う。
「で、実際どうすんのよ? 今さら俺が出て『なーんもできません(てへ♪』とかやってもふざけてるとしか思われないぞ?」
「そこなんだよなあ……」
一度実力が認められてしまった以上、むちゃくちゃ手を抜いてもわざとだと見破られるのがオチだ。
「ともかく、俺の実力はこれで限界ってとこを見せるしかないな。あとは周りが成長してくれて、相対的に俺が落ちこぼれていく、という流れにもっていく」
「講義はいいとして、コピーが実技に出たら実際なんもできんぞ?」
「嬉しそうなとこ残念なお知らせだが、最上級のクラスは自身が得意な魔法具を持ちこんでもいいらしい」
「そうだった!」
素で忘れていたらしく愕然とするコピー。都合のいいことしか覚えていないのはさすが俺だな。哀しい。
とはいえ細かい操作はコピーだと辛い部分もあるので、俺たちは授業の時間割とにらめっこしながらあーだこーだと議論を重ね――。
「今日と同じく第一曜日は本体、明日はコピー」
授業のない中日を飛ばして第四曜日はコピー、第五が俺に決まった。
この世界も一週間は七日で、月曜日が第一、日曜日が第七曜日と呼ばれている。学院では週末の第六、第七は授業自体がお休みだが、一般的に週休は第七の安息日のみとなっていた。
「えらく長引きそうだな……」とコピーがこぼす。
「最悪の場合は『人間関係に疲れて鬱になりました』で押し通すしかないな」
「もうそれでいいじゃん……」
まあね。俺もそうしたい。父さんたちには迷惑をかけてしまいそうだけど。
「とりあえず前期の中間考査までは様子見だな。きついとは思うけどがんばってくれ」
俺もがんばるよ。
けっきょくテンションはどん底で対策会議は終了した、のだが。
「なんか、忘れてる気がする」
俺の言葉にコピーは首を傾げた。
「なんだっけ?」
「えーっと……」
俺はほわほわほわわんって感じで今日を回想してみた。
「「針!」」
同時に叫ぶ俺たち。そうそう。ライアスを狙った針の件ね。危うく忘れるとこだったよ。あいつのせいで俺の計画がお粗末になってしまったのにね。
ブツを調べるのは明日にして。
俺は当事者に注意するためひとっ走りした――。
★★★★★
ライアスは放課後の自主練を終えた。
シャワーを浴びてすっきりし、足取り軽く送迎用の馬車へ向かう。
今日は実によい日だった。
憧れ続けた男とついに直接相対した。しかも五年前の再現のような体術戦。
結果は力の差を見せつけられただけだが、それでも彼は満足していた。
自分でも驚くほどの変わりようだ。
以前なら――五年前ならあのときと同じく現実が受け入れられず、ただ悔しくて情けなくて、相手を憎み嫉妬の炎で身を焦がしていただろう。
だがいつしか憎しみや嫉妬は羨望に変わり、強さを追い求めるようになった。
――いつか、あの背中に追いつきたいと。
とはいえ、反省もある。
(けっきょく今日も訊けなかったな……)
母からの厳命。
ゼンフィス卿領内で活動する正体不明の黒い戦士の情報を、ハルトから入手するタイミングを逸してしまった。
授業中は憚られるし、授業が終わるとハルトはすぐいなくなる。
そろそろ何らかの成果を出さなければ。
気が重い。妙なごたごたに巻きこんでしまいそうで申し訳なく思う。
一転して足取りが重くなり、ようやく待っていた王族専用の箱馬車にたどり着いた。御者が開けた扉から中に入ると、
「お疲れ様でした。遅かったですね」
「なんで姉貴がいるんだよ?」
姉のマリアンヌがちょこんと席に座っていた。
「たまにはよいではありませんか。今、私は離宮に立ち入れませんし」
「話があるなら学内でいいだろうが」
むしろそうしなければならない。
扉が閉められ、マリアンヌと距離を空けて座る。正面の小窓から御者の一人がちらりと中を窺っていた。
彼らは母王妃が指名した者たちだ。監視役のすぐ側で内緒話なんてできるはずがなかった。
がらごろと馬車が進む。
ライアスは話しかけられても素っ気なく返してすぐに話題を打ち切った。
学外へ出て、しばらく経つと話も途切れ、無言で車輪の音を聞いていると。
――音がやんだ。
そして目の前の座席に、突如として全身黒づくめの男が現れた。
「何者ですか!?」
「どうやって入ってきた!?」
空間転移? それ以外考えられない。
二人が身構えるのを、男は片手を掲げて制した。
「驚かせてすまない。俺は『シヴァ』。正義の執行者だ」
複数が重なったような声に、ライアスは息を呑む。
名は知らなかったが、ゼンフィス卿領内で暗躍している黒い戦士で間違いないだろう。まさか本人が目の前に現れるとは……。
「さて、用件を手短に話そう」
ごくりと二人で喉を鳴らすと、男は淡々と告げた。
「ライアス王子、君は狙われている」
「は?」
「今日だけで二度、君をめがけてこんなものが飛んでいたよ」
男が手を持ち上げる。二つの指で何かをつまんでいるようだ。目を凝らしてよく見ると、
「……針?」
髪の毛ほど細い、金属製の針のようなものらしい。
「ともに実技の授業中、君が油断した瞬間を狙ったようだ。犯人はまだ捕らえていない。目的も不明だ。君に心当たりは?」
次期国王の自分を、疎ましく思う者たちは王国にはたくさんいる。王と王妃が対立する中、さらに溝を深めようとの勢力はそこらにいるのだ。
「ありすぎてわからない」
ふっと男が笑った気がした。手を下ろす中、針がどこかへ消えてなくなっている。
「話はそれだけだ。ああ、今後は学内でも気を引き締めてくれ。俺がいつも君の側にいるとは限らないのでね」
「今回は、あんたがたまたまいたから僕は助かったのか?」
「ああ、だが礼には及ばない。ただの成り行きだ。君を助ける義理はないが、目の前で罪のない者が傷つくのは放置できなかったのでね。なにせ俺は、正義の執行者だからな」
くねっと奇妙なポーズをする変な男。
「いちおう礼は言っておく。ついでにいろいろ訊きたいもんだな。あんたは何者だ? 王都に何をしに来た?」
「詮索はするな。俺のことを口外するのも遠慮してほしい」
「口外するなって言われてもな……」
男の背後に目をやった。小窓の向こうでは箱馬車の中の会話に聞き耳を立てている者たちがいる。
「ああ、音は外に漏れないようにしてある。外の音も聞こえないだろう?」
たしかに、男が現れる直前から馬車が進む音も聞こえてこない。
「ではさらばだ」
「待ってくれ! その……実は僕、あんたのことを探るよう言われてるんだ」
なぜ自分はバカ正直に話そうとしているのか。
助けてくれた恩? いや確証がない以上、それはない。
ただ、ずっと震えが止まらないから。
この男には何をしても敵わないと本能が告げているから。まるで母王妃や〝彼〟のように。
「俺を? 誰が?」
当然の質問だ。正直に答えれば、王都を燃やし尽くす火種になりかねないと恐ろしくなった。
「母上、だ……」
けれど、言わずにはいられなかった。
「ああ、あの女か。だったら構わない」
「へ?」
「あいつとは因縁があってね。俺の動きに勘付いたのか? なら当然の反応だな。けどまあ、学生身分の息子にやらせるかねえ」
なんだか口調が砕けてきた。
「い、いいのか?」
「あいつは俺に何もできないからな」
ぞわりと背筋に悪寒が走った。王国最強の閃光姫に対して、自信満々な口ぶりに嘘はないと確信したからだ。
「どのみちお前に俺の情報を与えるつもりはない。今日出会ったことは話してもいいさ。あ、けど俺を探っていると本人に伝えたとは言わないほうがいいぞ? あいつ、おっかないだろ?」
どことなく精神的な距離が近寄ったと感じ、ライアスの震えもいつの間にか止まっていた。
「では今度こそ、さらばだ!」
両手を交差させる妙なポーズをしたかと思うと、男は空気に溶けるように姿を消した、のだが。
キィッ、と走行中の扉が開いた。やがてキィッと音を立てて扉が閉まる。
「出ていった、のでしょうか……?」
「たぶん、な……」
「では、現れたときも空間転移ではなく……」
おそらく男は、ライアスが馬車に乗るときに姿を消したままこっそり乗りこんだのだろう。
「完全に姿を消すのだって、あり得ないぞ……」
「そうですね……」
車輪の音が返ってくる。
しばらく二人はがらごろと、馬車が進む音を無言で聞き入っていた――。




