天才と天才の遠隔邂逅
ハルトと別れたリザは、所在なくうろついていた。
帰ってよいと言われもしたが、自分一人で謎時空を通りたくはない。
「どうしよう……」
建物から出て、とぼとぼ歩いていると。
『リザ、今周囲に誰かいますか?』
「ひゃわっ!?」
突然耳元で声がして、リザは飛び上がらんほどに驚いた。きょろきょろ辺りを見回すが誰もいない。
「あ、これ、シャルロッテ様?」
『そうです。あなたの心に直接呼びかけているのではなく、兄上さまの通信魔法です』
「あれは大規模な術式が必要で、これは絶対に違うと思う……」
リザは三百年を生きる古竜である。ほとんどの時間を一人で過ごしてきたので精神は未熟ながら、知識は豊富だ。古代魔法の片鱗も実体験している。
かつて隆盛を極めた古代魔法には、遠方と音や映像をやり取りする秘術があった。
しかし耳にちょろっと施す程度の魔法ではなかったはずだ。
(でも、もっと昔はこれくらい簡略化した魔法もあったのかな……?)
さすがの彼女も神話時代の魔法は知らなかった。
『ひとまず誰もいないのであればわたくしの姿を映してください。やり方は――』
事前に説明は受けているがリザは聞き逃すまいと耳を傾ける。
操作方法は問題ないものの、おっかなびっくりでは手元が覚束なかった。どうにかこうにか耳たぶをぽちぽちすると、目の前に薄い板状の物体が現れて、シャルロッテの顔が映し出された。
付近に人の気配はない。
しかし『この魔法は秘匿すべし』とハルトに言いつけられている。
リザは小躯をふわりと浮かせ、大聖堂じみた中央校舎の遥か上空まで移動した。ここなら誰にも話を聞かれない。
『兄上さまは授業中ですか?』
「うん。わたしは教室には入れないから、待機を命じられた」
『兄上さまはお昼まで授業がありますけど、それまでリザは自由に動けるはずです』
「何か、やることある?」
『はい。あなたには、学院内部で裏生徒会の情報を集めていただきます』
ごくりとリザは喉を鳴らす。
教室に入れないのは想定外だったが、おそらくシャルロッテは見越していたのだろう。であれば、その時間を何に使うかはわかりきっていた。
ただ指示がなければ勝手はできない。
それも今、解消される。
「でも、何から手を付ければいいかな?」
『陰で暗躍する秘密組織です。一般生徒からの情報収集は難しいでしょう。であれば――』
「待って」
ぞわりとリザの背に怖気が走った。
下から魔法行使の反応。
ものすごいスピードでリザの真下に到達した何者かが、二百メートル上空に浮かぶリザを目掛け飛び上がった。
詠唱は省略。
魔力をフル回転させて迎撃態勢を整える。もたつきながらもシャルロッテが映る画面を消した。
何者かは高速でリザのすぐ目の前を――。
「おおっ! やはり飛翔魔法か。しかもなんと愛らしいメイドではないかああぁぁ……」
などと絶叫しながらずぎゅーんと通過した。メガネをかけた見た目はお子様な女性だ。
やがて同じルートで落ちてくる。
「まずは名乗ろう。ワタシはこの学院で古代魔法を研究しているティアリエッタ・ルセイィィ……」
名前の途中で通り過ぎてしまった。
「どうしよう?」
尋ねる意図はなかったが、シャルロッテの声が返ってくる。
『兄上さまが所属する研究室の教授ですね。教師ならば不穏な動きにも敏感でしょう。接触して情報を得るのもよいですね』
「だったら、ハルト様が直接訊くんじゃないかな?」
『兄上さまは安直な手を打たなくとも仔細に情報を得ているでしょう。歯がゆいですけど我らは正攻法を貫くしかないです。彼女から情報を得、然るのち我らができる範囲で悪に与する者たちに迫りましょう。ええ、兄上さまは数十歩先を行かれるのですから、もたもたしてはいられないです』
なるほど、とリザはうなずく。
「じゃあ、接触する」
自身が魔族であると知られてはいけない。リザは注意を払い、地面に降り立った。
見た目は幼い少女は、四つん這いになって肩で息をしている。
「……あの、大丈夫?」
「いや、すまない。自己強化なんて久しぶりでね。ちょっと加減を間違えて立ちくらみが……」
しばらくぜーはーしていたティアリエッタは、「復活!」と叫んで立ち上がった。
「さてキミにはいろいろ訊きたいことがある。なに、ちょっとした興味本位さ。迷惑はかけない。ただ時間は取るだろうね。そこで立ち話もなんだし、ワタシの研究室に来ないか?」
まくし立てられる中で考える。
どうやら彼女は自分に興味があるらしい。だが自分の素性を話すのには限界がある。時間に余裕はあるが相手の拠点に入るのは危険だろう。しかし情報を得るには多少の危険は覚悟の上。
もし、魔族であると知られたら、そのときは――。
「お茶とお菓子は用意するよ」
「わかった」
お菓子に釣られたのではない。けっして。
広い敷地内を引っ張られ、ようやくたどり着いた二階建ての古い館。中央校舎からは距離がある。
二階の広い部屋に通された。ソファーとテーブルが雑然と置かれた部屋だ。
リザは促されるままソファーに座った。見えなくなっているが尻尾があるため、深くは腰かけられない。
「なるほど。ハルト君の従者か。しかし彼も大概愉快な男だねえ。ランクB、いやあれほど完璧な飛翔魔法ならランクA相当の使い手とみるべきか。そんなのをメイドにしているとはね」
ティアリエッタはお茶を淹れつつほとんど一方的に話しかけてくる。
リザは名前と『ハルトの従者』としか言っていなかった。
「しかしキミほどの使い手がまったくの無名というのも不思議なものだね」
「……わたしは、帝国領から流れてきた」
「ああ、それでか。魔王亡きあと、あちらさんはガチで王国と敵対しているからね。キミも微妙な立場ということか」
嘘は言っていない。また公言できない話をすることで、これ以上の詮索はするなという牽制にもなる。
「けれど不思議だね。帝国でも騎士団長クラスの使い手ならこちらにも情報は流れてくる。なのに『リザ』という名の少女の話はとんと聞かない。なぜだろうね?」
しかしティアリエッタはお構いなしでぐいぐい迫ってくる。
(やりにくい……)
相手に合わせようとすればボロが出るのは明らかだ。
リザは多少強引と思いながらも、こちらのペースに引きこもうとした。
「あなたに、訊きたいことがある」
「うん、情報はギブアンドテイクが基本だ。ワタシが与えられる情報は、キミの正体を解き明かすほどのものであればよいのだけど」
小さなメガネの奥をキラリと光らせた彼女に、リザは――。
「帰る」
「ちょ、待った待った待った! べつにキミが魔族だからって誰にも話したりしないさ。ワタシはただ――」
「えっ?」
腰を浮かせかけたリザが硬直する。
「どうして……?」
「ふむ。ちょっとカマをかけてみたのだけれど、その反応からすると当たったようだね。キミの背中側のソファーが、不自然にへこんでいる。おそらく尻尾のようなものがあるのだろうと推測したのさ」
振り向くと、たしかに見えない尻尾がソファーの背もたれを押しつけて、妙なへこみができていた。
「幻影魔法ではないね。『体の一部を常時透明化する』なんて理論上あり得ない。それにキミ、さっき空に浮いていたとき誰かと会話していたろう? もしかして通信魔法じゃないのかい? 人には操れないとされる魔法だ。でもキミが魔族ならそれも――って、あれ?」
リザは震えが止まらなかった。
「なんだか寒くないかな?」
そう尋ねるティアリエッタの息は白くなっている。
「あなたは、勘がよすぎた」
冷気が室内を満たす。ドアと窓が完全に氷に閉ざされた。
「だから殺す」
もろもろ面倒になるのは承知の上。しかし今やるべきは、正体を知った人物の排除以外を思いつかなかった。
「いやいやいや、これちょっとワタシの手には負えない感じだぞ? 落ち着こう。そして話し合おうじゃないか。ワタシたちはきっとわかり合える!」
「却下」
「ひぃ!?」
淹れたての紅茶はすでに凍った。
ティアリエッタは自己強化と防護魔法でどうにか抗っていたが、限界はすぐそこに迫っていた。
「お助けえ!」
いつもは唾を吐いて憚らない彼女が、初めて神に救いを求めたそのときだ。
『ストップ! ストップですよリザ。もしくはステイ!』
リザの耳をつんざくような叫びが響いた。シャルロッテが止めに入ったのだ。
「ごめん、わたしが迂闊だった」
『いいえ、リザの責任ではありません。わたくしこそうっかりでした』
「とにかく、彼女は生かしておけない」
『いえですから、公言されなければよいのです。そこまでする必要はありませんよ?』
「じゃあ、目と耳と口を壊して、四肢を氷漬けに――」
『だから! 殺伐方面へ突き進むのはやめましょう。ここはわたくしにお任せを』
シャルロッテはごにょごにょ指示する。
「さっきから恐ろしげな会話をしているようだけど、もしかしてそれ、通信魔法かな?」
ガタガタ震えながらも目を輝かせているティアリエッタの目の前に。
『お初にお目にかかります、ティアリエッタ・ルセイヤンネル教授』
ぴこんと通信用結界の画面が現れた。そこには白い仮面をかぶった人物の首から上が映っている。声は男か女か知れないような曖昧さだが、なんとなく少女のように感じた。
「おおっ! 声のみならず姿まで! 通信魔法だよね? すごい! どうやったのかな? 知りたい!」
命の危険も忘れて大はしゃぎである。
『わたくしは……そうですね、〝ヴァイス・オウル〟と。それでおわかりになりますか?』
「ふはははは! 噂の天才研究者か! なるほど納得だ。キミに訊きたいことは千を超えるぞやったー!」
ティアリエッタは寒さも忘れて小躍りする。
『あいにくですけど多くを語るわけにはまいりません。では、あなたの命をつなぐための話し合いをいたしましょう』
「ぁ、うん……ソウダネ……」
現実に引き戻されたティアリエッタは、捨てられた子猫のようにぷるぷる震えるのだった――。




