森の中でワンちゃんに出会った
「妙な命令だよなあ」
軽鎧を着た兵士さんが、俺を抱えてそう零す。
ちなみに俺は白い布で首から下をぐるぐる巻きにされ、かごの中に入れられていた。
「この赤ん坊、罪人の子か何かなのかね?」
連れの兵士さんがそう尋ねるも、答えを知っているのは当の俺一人である。
俺が王子様だと知ったら、こいつらどうするんだろうな。売り飛ばされる未来しか見えない。
「ま、命令は命令だ。悪く思うなよ?」
ちっとも罪悪感を抱いていなさそうな兵士は、ぽっかり開けた場所に着くと、赤ちゃんかごをぞんざいに地面に置いた。
「ここらはヘルハウンドの縄張りだ。とっとと帰ろうぜ」
「そうだな」
兵士たちは振り返りもせず、俺を深い森の中に置き去りにした。
そう。
俺は捨てられたのだ。
俺の父親である国王は、自ら手を下すわけでもなく、部下が王子を殺すのも許さなかった。
結果、生まれたての赤子を森に捨てる暴挙に出たのだ。
俺を擁護する声は極少数。というか一人だけ。強面のおっさんだったが、なんであそこまで必死だったんだろうな。
何か裏があるんじゃない?
結局のところ、俺は〝人〟を信じない。信じられない。
前世でも、転生した今でも、人は腐った心しか持ち合わせていないのだ。たぶん、みんな、俺を含めて。
などと感傷に浸っていても始まらない。
獣に食われるなんてまっぴらだ。俺は今を生きる!
まあ、直接的な殺害方法でなくてよかった。
少なくとも獣が現れるまでは、俺の死を偽装する手立てをいろいろ考えられるのだから。
森の中、ちょっとだけ開けた場所に寝転がる俺の視界には、枝葉に切り取られた青い空と、そこを流れる白い雲。
俺が生まれたところは王宮らしいが、そこからはかなり離れているようだ。
とりあえず起き上がるか、と柔肌に結界を貼りつけたときだ。
「う、うわーっ!」
「な、なんでこの森にフェン――うぎゃ!」
遠く、そんな叫び声が聞こえた。俺を捨てに来た兵士さんたちだ。
すぐ静かになってのち。
今度はがさりがさりと茂みの鳴る音や、バキバキッと樹木が折れる音がした。
で――。
なんとなく視線を横に流すと、木々の間からぬっと巨大な頭が現れた。
大きなワンちゃんですね。
ふさふさの毛皮は燃えるような赤色で、しゅっとした鼻筋が実に凛々しい。
でもふつう、犬って体高が十メートルもないよね?
さすがは異世界。魔物ってやつか。
兵士たちが言っていたヘルハウンドかな? でもなんか違う気がする。
正体不明のお犬様は遠くからじっと俺を見下ろしている。
すぐに襲いかかってくると思ったけど、あまりに食べ応えがなさそうで落胆しているのだろうか?
ひた、ひた、と一歩ずつ、まるで地雷でも警戒するようにゆっくり近づいてくる。
だが突如としてあんぐりと口を開け広げ、ワンちゃんはすさまじい勢いで飛びかかってきた。
ガンッ!
『ッ!?』
俺の頭の中で誰かの驚く声が響いたような? とにかく俺は喰われることなく、巨大な赤毛のワンちゃんは鼻先を強打して悶絶する。
うん、どうやら成功したらしい。
俺は結界魔法を発動していた。
俺のイメージのとおりに、『透明な壁に囲まれた一定領域』――ワンちゃんを囲む、透明な檻を構築したのだ。
ワンちゃんはすぐさま体勢を整えるも、きょろきょろ見回して困惑している模様。やがて四方や天井に体当たり。しかしびくともしない。地面を掘ろうとしても土を掻きだせなかった。
さて、危機は去った。
というか、見た目に反してこの犬っころ、実は弱いのかもしれない。魔法レベル2しかない俺の結界魔法に閉じこめられてるんだから。
とはいえ、いつ破られるかもわからない。
今のうちに攻撃手段を確保せねば。
俺はぐるぐる巻き状態の白い布を使って取り去り、むくりと身を起こした。ウォーミングアップがてら、そこらを走ったり飛んだり跳ねたりしてみる。
『なっ!?』
またも妙な声が聞こえた気がしたが、辺りを見回しても誰もいない。
大きな赤毛の犬っころが、低い体勢でじっとしているだけだ。
まあいっか、と俺は気にせず周囲に無数の小さな透明結界を展開する。
ちょうどよさげな大木を目掛け、今俺ができる最高速度で小結界を撃ち放った。
ズドドドドッ!
大木の根元付近がきれいさっぱり消え去って、そこから上がずずぅんと地面に倒れた。
『なぁ――ッ!?』
どうにも幻聴がうっとおしい。
またも辺りを見回す俺。
でもやっぱり誰もいない。ワンちゃんが口をあんぐり開けているだけだ。
しかしなかなかの威力だな。機関銃を乱射するより強そうじゃん? よく知らんけども。
さっそくこれをワンちゃんにぶっ放し、俺は命の危機を潜り抜けるのだ――なんて安直に考えるほど、俺はお気楽ではない。
この世界は魔法が幅を利かせている。このくらいの威力は下の下である可能性は極めて高い。一発一発はたぶん軽いだろうから、魔法防御壁的なもので簡単に防がれてしまうかも。
なにせ相手は魔物。魔法を使えてもおかしくはないのだ。
俺は倒れた大木の上に、岩のような透明結界を浮かべてみた。そこのワンちゃんをつぶせるサイズだ。
思いきり落っことす。
大木は粉々に砕け、地面にも大きなへこみが生まれた。衝撃波が迫ってきたので結界で防御する。
どうかな?
これなら、あの巨大な犬にも勝てるだろうか? いや、でもなあ……。
『いったい、なんなのだ……? 突如大木の根元が粉砕され、その後に地面が……。今のは、魔法なのか? 爆裂に、重力操作……? そしてこの透明な壁はただの魔法壁ではない。空間そのものを固定しているのか? いや、しかし――』
幻聴がぶつぶつ何か言っている。
『おい、先ほどから貴様が何かやっているのか?』
今度は質問を飛ばしてきた。さすがに看過できないな。
三度辺りを見回す俺。
どうしようもないくらい誰もいない。大きな犬がわなわな震えているだけだ。
実は俺、半径百メートルの大きな探知用結界を構築していた。また魔物とか来たらやだしね。
蟻の一匹でも侵入すれば警報が鳴るようになっている。実際、さっきから虫やら鳥やらが何度も出入りしてうるさいったらなかった。
俺はより詳細に調査すべく、二種類の結界を作る。
ひとつは範囲型の結界。
俺の周囲から徐々に広げていき、草木や岩とは違うものに反応する。
もうひとつは、例の透視用結界の応用。
範囲型結界で反応したところに板状結界を飛ばし、それと結んだ別の板状結界で眼前に映像を表示するものだ。
反応があるたび、板状結界を作って飛ばす。
ウサギさんが映った。お、鹿もいるな。ん? 犬……にしてはでかい。そこにいる巨大犬より小型だが、黒毛の狼っぽい群れを発見。尻尾を丸めてちょっと怯えているような?
『その、窓のような浮いている物体はなんだ? おい、聞いているのか!』
幻聴には耳を貸さず、続けての妙な反応に、俺は気を引き締めた。
これは……俺を捨てた兵士たちだな。息をしている様子はない。というか、全身血まみれでめちゃくちゃグロかった。
不思議なことに、グロ画像耐性が極端に低い俺でもなぜか動じなかったのだが、それはそれとして。
やはり人語を話しそうな生物はいなかった。
推測するに。
お化け!?
『絶対わかっていて無視しているだろう? 目の前にいるフレイム・フェンリルが今、貴様に呼びかけている』
苛立ちを孕んだ声音だ。
この世界では獣がしゃべるのか。すごいな。
ところでこの犬、凛としたきれいな女性の声だな。雌なのかな?
三次元では母親以外とまともにしゃべったことのないヒキニートの俺は、とたんに緊張するのだった――。