精鋭部隊
シュナイダルは王都にある館に逃げ帰った。
ティアリエッタとシヴァなる黒い男が揉めたあと、二人とも実験室からいなくなったのち、ポルコスが彼の拘束を解くやすぐさま外へ飛び出した。そこからは一人で無我夢中だった。
メイドたちの呼びかけにも応えず、シュナイダルは自室に飛びこむ。
「くそっ! くそくそくそくそくそぉ!!」
最高級の調度品に当たり散らし、部屋の中はあっと言う間にめちゃめちゃになった。それでも怒りは収まらない。
ここ三日の間に受けた屈辱や羞恥は彼が経験してこなかったものだし、これからもあるはずのないものだった。
右肩がうずく。
明日の朝には謎の束縛は解かれる。あの男が約束を守る保証はないが、シュナイダルにとっては些末なことだった。
「明日に、なれば……」
床にうずくまり、わなわなと震えた。
決闘を申し込みながら当日に取り下げた。その事実が、学院中に広まってしまう。大して力のない零細研究室の教授の言葉は揉み消す自信はあるが、当事者たるハルト・ゼンフィスはマズい。
王の推薦を受けて入学した、辺境伯の息子だ。家柄ではほぼ互角。
言った言わないの議論にギリギリ持ちこめても、二日前にケガを負わされた事実が広まっている中では自分にこそ不利な状況だった。
新入生に不覚を取り、さらに決闘の取り下げという不名誉を背負う。
「許されない……。許されるわけが、ない……」
いずれ王政を打倒し、王妃も駆逐して新国家を築く。父の代でそれを成し、自分は次の王となるはずなのだ。
そのためにいかがわしい宗教にも加担している。王妃をそそのかして金をせしめるやり手の集団。彼らを利用して順調に計画は進んでいたのに……。
「こんなところで、躓いてなるものか!」
シュナイダルは歪な笑みを浮かべた。
もはやなりふり構ってはいられない。憎たらしい女教授の言葉に従うようではらわたが煮えくり返るが、もう止まらなかった。
「まずはあの四人だ」
証人をすべて消してしまえば不名誉は誰にも伝わらない。
どこの誰ともわからない黒い男が何を言おうとも。
どのみち黒い男は四人の所在を質しに現れるだろう。そのときはハーフェン家の精鋭をもって返り討ちにしてくれる。
「ふ、ふはは、ふはははははっ!」
シュナイダルはすぐさま行動に移した――。
王立グランフェルト特級魔法学院の奥まった場所にある古ぼけた洋館。
その周囲に、いくつもの影が宵闇に散らばっていた。
やがて十名が正門付近の林に集結する。
「現況を報告せよ」
部隊長が命じる。みな同じような黒いローブをはおり、フードを目深に被っていた。
「館の中には対象の四名のみ。みな二階南側中央にある会議室に集まり、宴会に興じておりました。三名は深酒により同じ部屋で泥酔。残るハルト・ゼンフィスもそこで先ほどソファーで眠ったようです」
「よし。人除けは完了しているな?」
「はっ。五名が防音、侵入探知の結界を属性違いで三重に構築し終えました」
「よし。では作戦の最終確認だ」
突入部隊は三つに分ける。
六人が館に侵入し、中で二手に分かれて二つある階段から二階へ上る。同じく二つある会議室のドアからそれぞれが入ると同時に、外の四人が窓から突入。
寝ている対象を一気に殺害し、死体は運び出す。結界係の五人はその後に血の跡など証拠をすべて抹消し、対象四名が忽然と姿を消した風を装う計画だ。
同時に四人の行方不明者が出れば騒ぎにはなるだろう。
真っ先に疑われるのは直近でトラブルを起こしたシュナイダルだ。
それらを考慮しても、殺人の証拠さえ残さなければなんとでも言い訳が立つ。
「では作戦を開始する」
隊長の合図に四人が館の南側、ハルトたちが寝ている部屋の外に走った。残る六人は正面玄関へ進む。
「にしても、あいつら坊ちゃんに何したんですかね?」
隊員の一人がこぼした。応じたのは別の隊員だ。
「さあな。だがハーフェン家の名誉にかかわることらしい」
「教師が二人に、学生が二人。なんで俺たちがこんな……」
「無駄口は叩くな。我らは命じられたことを粛々とこなせばいいだけだ」
隊長は淡々と窘めたが、内心では同じ思いだった。
事情は詳しく聞かされていない。しかしシュナイダルが新入生とトラブルを起こしたのは伝え聞いていた。
ハーフェン家が誇る精鋭中の精鋭が、子どものケンカの尻拭いで暗殺などという汚れ仕事に回されたのだ。いずれ閃光姫と対峙すべく鍛え上げられた自分たちが。
鬱憤は完璧に仕事をこなしたうえで、バカ息子に対象四人の無残な死体を投げつけて晴らす。
隊長が嗜虐的な笑みを浮かべて歩を進めていると。
「いてっ」
「な、なんだ?」
先行していた隊員が足を止めた。
「どうした?」
「それが……何か、見えない壁のようなものがあって先に進めません」
虚空をぺたぺたと触る様子に首を傾げ、隊長が手を伸ばす。
「……たしかに、何かあるな」
硬い、壁のような何か。ドアをノックするようにこぶしを打ち付けても音はしない。
二手に分かれ、隙間がないか探るも。
「こっちもダメです。館に近づけません」
「完全に館を囲まれているな」
窓からの侵入部隊と合流する。
隊長が自己強化で飛び上がり、二階建ての館を越えるほど跳躍したものの。
「上もか」
透明な壁は屋根の上にも張り巡らされていて隙間はなかった。
「ミスリル製のナイフでもびくともしません」
ならば、と対象に気づかれるのを覚悟で魔法を放つも、やはりすべて跳ね返された。
「これ、なんなんでしょうね? 魔法……なのでしょうか?」
「対象の一人は古代魔法に精通しているレベル30オーバーだ。我らの常識外の魔法を操る可能性はあるが……」
だとしても、閃光姫と戦うべく鍛えられた精鋭部隊が手も足も出せない防御を、寝たまま維持できるものだろうか?
彼らは、知らされていなかった。
シュナイダルに不思議な魔法をかけた黒い戦士のことを、何も――。
「隊長、どうしますか?」
「……仕方がない。ひとまず結界を維持している者たちも集めろ。全員で最大魔法を浴びせて突破し、窓から強襲して作戦を完遂する」
「わかりまし――えっ……?」
隊員の一人が踵を返そうとしたところで、驚きに目を見開いた。
視線を追う。
今まさに呼びに行こうとした結界係の五名が、
――逆さまに浮いていた。
みな恐怖に憑りつかれたように泣き叫んでいるが声はまったく聞こえない。手足は妙なポーズで固まっていて、口だけがせわしく動いているだけだった。
「こちらが五。そちらが十。これで全員だな」
いくつも重なったような奇妙な声が、逆さまの仲間たちのほうから聞こえた。
闇に溶けるような、全身が漆黒の奇妙な男が、こちらも浮いていた。椅子に腰かけたようなポーズで、空中をすーっと流れてくる。
「胸騒ぎがしたわけではないし、こんな辺鄙な場所に近づく奴などいないと思っていたが、念のため張っておいて正解だったな。で、お前たちは何者だ?」
仰々しい口調はどこか、芝居がかっているように感じた。
この男が何者で、今何をしているのか隊長にはわからない。
明確なのは、男が敵対行動をしている一点のみ。それで十分だった。
「散開! そいつを拘束しろ!」
生け捕り、問い質す。
隊長の判断は速く、隊員たちの理解も迅速だった。各々が他の動きを確認するまでもなく、男を取り囲む。飛翔魔法を使える二人が頭上に展開した。
絶対に逃がさない。
まずは四肢を切断する、との共通認識の下、左右と背後から、さらには上からもそれぞれ属性の異なる攻撃を浴びせかけた。しかし――。
「やはり答えてはくれないのか。やれやれだ」
そのことごとくが、男の周囲で弾けて消えた。
「攻撃すると隙ができる。そこらの盗賊連中と同じだな」
そんなつぶやきが流れた直後、方々で驚愕の声が上がった。
隊員がみな、首から下が固まって動かない。
「隊長! これでは魔法が撃てません!」
悲痛な叫びに、隊長は一歩、二歩と後退した。
「何が、起こっているのだ? こんな……っ!?」
背中が見えない壁に当たる。そしてずぶずぶと、壁に体が埋まっていった。
「さて、お前たちが何者で、何しにここへ来たか訊きたいところだが……答えてはくれまい?」
ならば、と男が片手を虚空に揺らめかせた。
半透明の板状物体がいくつも現れる。そこに、自分たちの姿が映っていた。
『さあな。だがハーフェン家の名誉にかかわることらしい』
一言一句の違いなく、先ほど隊員の誰かが告げた言葉が聞こえてくる。
「ふむ。お前たち、ハーフェン家の関係者なのか? しかしこれだけではよくわからないな。もっと前に戻すか」
虚空に浮かぶ板状の何かのひとつが、林の中に集まっていたときを映し出す。
「ズームアップ。アンドボリュームアップ!」
林の中の状況が拡大され、声が大きくなる。
作戦の最終確認をしている場面だった。
「殺して、死体を運ぶ……。行方不明に見せかける、と」
声のトーンが、一段下がる。
「つーかこれ、マジで言ってんの? なんでそこまでするわけ? たしかにプライドはずたずたになったろうけどさ。これ、シュナイダルの命令なんだよね?」
口調が砕けた。それが逆に恐ろしかった。
「マジでわかんない。ついでに詳しい事情を知らないっぽいのに、お前らが命令に従ってるのもだ。良心の呵責とかないわけ?」
ぞくりと背に怖気が走った、直後。
「しゃーない。理由は本人に直接訊くか。お前らも来い」
視界が暗転した――。




