悪くない
本体は去った。
つまり俺ことハルトCは取り残されたのだ。
いつの間にかシュナイダルはお帰りになったし、歓迎会とやらが始まってしまった。
ティア教授はイリスとなんか盛り上がっている。古代魔法談議に花を咲かせているようだ。
で、俺はと言えば。
「私は昔、ルセイヤンネル伯爵家で家庭教師をしていたんですよ。幼いころの博士のね」
ポルコス氏の昔話に付き合わされていた。相変わらず生徒の俺に卑屈な口調だ。
「彼女は、まさしく天才でした。魔法の才能もそうですが、その頭脳は国の至宝とも言えるでしょう。私が一を教えれば十を理解し、百に推測を膨らませて私にぶつけてくる。いつしか私は、彼女の推論をただ聞くだけの存在に成り下がりました」
ポルコス氏はワイングラスを片手にぽつぽつと語る。
「落ちぶれた子爵家の三男坊だった私は、必死に努力してこの学院で教鞭を取るまでになりました。しかし彼女は飛び級で学院に入り、五年を待たずに首席で卒業して、その二年後には自分の研究室を持つまでになったんです。あっと言う間でしたね」
ティア教授の年齢を推し量れる情報だが、わりとどうでもいい。
「でもなあ、どうして古代魔法なのかなあ? 最先端の魔法研究をしていれば、いくつも新魔法を開発できる実力は十分にあるのに。『賢者』の称号に一番近いと評された彼女が、どうして……」
ふむ。この料理は意外にイケるな。見た目もいいし、料理が得意なのは本当だったのか。
「まあ、あの性格ですからね。仕方ないのかな? 天才の考えることはわかりませんよ」
酒は……やめておくか。前世でも飲んだことなかったし、今は現代日本基準で未成年だし。コピーの俺が酔っぱらうかは知らんけど。
「性格といえば、博士は人づきあいが下手くそでしてね。実家とも揉めて、今では勘当同然です。それでも親は心配なのでしょうね。私が監視役を仰せつかったんですよ。助手の体でね。でもまあ、学院にもこき使われてますし、付きっきりというわけにはいかないんですよね」
おいおい、イリス顔が赤いぞ。あいつ飲まされてるな。この国は十五歳ならオーケーなのか?
「……あの、聞いてます?」
「はい、聞いてますよ?」
流してもいるけどね。
「ともかく、古代魔法に関しては国内外を問わず第一人者であることに間違いはないですから、そこは安心してください」
つまり古代魔法以外はまったく安心できない、という忠告だな。
「どうか、見捨てないでやってください。性格は、アレですけど…………ぐぅ……」
ポルコス氏はワイングラスを持ったまま寝てしまった。
研究室がなくなったら嬉しいみたいなこと言ってなかったっけ? まあいいか。
俺は彼の手から(汗がつかないよう注意しつつ)ワイングラスを取り、テーブルに置く。そしてむしゃむしゃ食べる。栄養にはならんし、腹に入ったものは謎時空に送られるけどね。でも味はわかる。ありがとう本体。
「お~ぃ、ハリュトォ~」
誰? 俺?
イリスがよたよたと寄ってきた。めちゃくちゃ酔っぱらってるな。
「おりょ?」
よろけた。避けるのが間に合わず、仕方なく受け止める。なんか柔らかい。そして酒臭い。
イリスは俺の肩に顎をのっけて「はふ~」と息を吐いてから、
「ここは、しゅばらしい研究室ら。ここでなら、ボクは……強く、なれる、かも……。すぅ……」
こいつも寝てしまったか。
イリスを抱え、ソファーに寝かせる。すると背後から声がかけられた。
「彼女がどうして古代魔法にこだわるか、キミは知っているかい?」
振り返るとティア教授がいた。酒瓶片手にほんのり頬が赤くなっている。
「いえさっぱり」
「キミたち、実は仲が良くないのかい?」
呆れ声でティア教授は、訊いてもないのに語り出す。
「彼女の最大魔法レベルは【35】。ライアス王子には及ばないけど素質は十分だね。そしてなんといっても基本四元素に【光】と【闇】、さらには【混沌】まで持ちうる『規格外属性』だ。いやはや、平民出が成り上がる王道物語の主人公みたいじゃないか」
それは知ってた。本体が初見で測定用結界を使い、イリスの強さを調べてあったからだ。
けど――。
「あいつ、今の魔法レベルは5ですよね?」
「そう! この学院に入る者なら一桁年齢で達する域で止まっている。ゆえに実技がさっぱりなのさ」
「よく入学できましたよね」
「完全に魔法レベルが〝閉じた〟かどうかは、十代では判断が難しいからね。筆記の成績はトップだし、期待値込みでのギリギリ入学だよ」
魔法レベルが最大値に達する前に上がらなくなる現象を、『レベルが閉じる』と表現する。この国の王様がそうらしい。
「でも、それと古代魔法となんの関係が?」
「可能性に賭けたのさ。すくなくとも現代魔法で〝閉じた〟ものを〝開く〟術は見つかっていない。とっかかりすらね。けれど古代魔法が隆盛を極めていたころはレベル100がそこらにゴロゴロいたような神話の時代だ。無理やりこじ開ける方法があるのではないか、と期待しても不思議ではないよ」
「あるんですか?」
「ある、と断言まではできないな。ワタシも今まで着手していなかった研究だし」
「でもこいつ、ここなら強くなれるかも、とかつぶやいてましたよ?」
「イリス君には変に期待させないよう話したつもりだけど、彼女なりに期待が膨らんでしまったのだろう。けれどもし〝開く〟方法を見つけたら、ワタシは勲章ものだよ。国王にも恩が売れる。うん、いいね。研究費もがっぽりだ!」
「でもけっきょくレベルが上がらなくて退学、とかもあるんですよね?」
「ま、可能性としてはそちらのほうが高いね」
ティア教授はぐびぐびーっと酒瓶をラッパ飲みした。「ぷは~」と息をついてから、
「わずかな可能性に縋るのを『逃避』と笑う者はいるだろう。だが可能性がある限り必死に食らいつこうとする姿勢は、ワタシには美しく見える」
ソファーに横たわるイリスを慈しむように眺めた。
「ふむ。酔いが回ってきたかな。らしくないことを言ってしまったよ。ではワタシも寝る。お休みー」
照れているのかいないのか、ティア教授は床に大の字に転がって、すぴーっと寝息を立て始めた。
彼女が来たほうへ目を向ければ、二人が語らっていた場所には酒瓶が無数に転がっている。
みんな寝たなら帰っていいよね? 俺はベッドでゆっくり寝たいのだ。
ところが足はドアではなく、窓へ向いた。
窓を開けると、外はもう真っ暗だった。お月様がきれい。
「しかし妙な連中だよな」
理由は不明だが出世を目論見つつも早々にレベルが頭打ちになってもがく少女。
天才と評されながら周囲との軋轢で疎まれつつも我が道を行くちびっ子博士。
凡人と自認しつつ腐れ縁に縛られたまま天才に付き従うおじさん。
それぞれ種類は違えど不器用な人たちだ。
「ま、俺も大概だとは思うけどさ」
だからだろうか。
「悪くない、って思っちゃうんだよ。そこんとこ、お前はどうなんだ?」
尋ねつつ横を見やれば、壁に背をくっつけて浮く黒い男がいた。
「お前は俺なんだから、俺も同じように感じてはいるよ」
本体はすうっと壁から離れた。
「寮の門限はとっくに過ぎてる。今戻れば寮監のおばさんに説教を食らうな。明日ならティア教授がフォローしてくれるかも」
どうする? と訊かれたので、わかってるだろ? と応じた。
「んじゃ、ベッドは俺が使うかな。明日の朝、交代しに来る。その建物から外に出てうろちょろするなよ?」
本体は指をぱちんと鳴らすと、飛び去って行った。
「俺と同じ、か」
コピーの俺と本体とでは、性格がほんのちょっと違う気がする。俺は前世を経験していない。記録でしかないので、ある意味、他人事だ。
テーブルの上に置かれたバカでかいプリンをスプーンですくう。
口に運ぶと濃厚な甘さが口内に広がった。甘いものは好きじゃないけど、これは――。
「うん、悪くない」
せっかくだから本体も食べていけばよかったのに。ただの記録として知るよりも、経験したほうがよっぽどいい。
とにもかくにも、この研究室がミッション完遂まで昼間の拠点になる。
俺と似たような、不器用な連中ばかりだけど。
「悪くない、かな?」
ちょっと楽しみにしている俺がいた――。




