マッドなサイエンティストの魔法講義
俺の名は『ハルトC』。イリスと一緒に学校の敷地内の隅っこにある古ぼけた洋館にやってきた。
ここには二度と来たくなかったが、早期退学ミッションを完遂するためなので仕方がない。
ごちゃっとした部屋に入り、二人そろってティア教授に所属したい旨を伝えると。
「そうか……。ついにワタシの熱意が伝わったのだね……」
「ルセイヤンネル博士、よかったですね」
「うん、うん、ポルコス君。これで彼らが卒業するまで研究室は存続できる。絶対に逃がすなよ!」
「ぅ、私としては消えてなくなってくれたほうが――」
「何か言ったかねポルコス君!」
「ひっ、いえなんでも……」
汗かきおじさん、なんかゴメンね。あんたにもいろいろ事情があるっぽいけどしばらく我慢してくれよな。
「というわけで歓迎会を開こうじゃないか。授業も決めたのだろう? だったらオリエンテーション期間はもう何もすることがない」
だったらもう帰りたいんですけど?
ちょんちょんと俺の腕が突かれる。
「ハルト、あらためてありがとう。こんなに歓迎されるなんて思ってもいなかったよ」
俺のおかげではまったくないのだが。
「さあ、今日はワタシが腕によりをかけて美味しい料理をご馳走しよう。ほらそこハルト君、嫌そうな顔をしない。こう見えて料理は得意なのだよ。創作料理がね!」
料理自慢の創作料理か。嫌な予感しかしない。
「ではポルコス君、お茶の用意をしてくれないか。茶葉は……実験室に置いてあったかな?」
なぜそんなところに、と訝しむも、汗かきおじさんは納得顔で部屋を出ていった。
しばらく解放されそうにないし、ごちゃっとした部屋ではくつろげないが仕方がない。そう諦めてソファーに転がっていた本やらなんやらをどかして座ったときだ。
「うぎゃーっ!?」
汗かきおじさんポルコス氏の悲鳴が響き渡った。
「何かあったのかな? 行ってみよう」
俺はまったく関心がなかったのだが、イリスに引っ張られて仕方なく廊下に出て、突き当りの部屋に飛びこんだ。
そこには――。
「こいつ……貴公子さんじゃないか」
俺とイリスに絡んできたシュナイダル某が白目を剥いて倒れていた。後ろ手に拘束されている。彼の前にはポルコス氏が腰を抜かしていた。
なんとまさかのミステリー。
彼を殺害した犯人は誰だ!?
「ポルコス君、大声を出してどうした――おや? ああ、忘れていた。そういえば彼がいたっけな」
なんとちびっ子メガネ博士が犯人だったとは。しかも悪びれもせず自白しやがった。
「これでこの研究室も取り潰し決定か」
人殺しはこの世界でも重罪だ。しかも相手は侯爵家の跡取り様。いかなる理由があろうと極刑は免れない、と思う。
「待て待て。何か誤解していないか? 彼はただ気絶しているだけだよ」
あ、そうなんだ。
「昨夜、突然訪ねてきてね。『妙な魔法をかけられたから調べてくれ』と頼まれたのだよ。彼の知識にはない魔法だから、古代魔法と考えたようだ。で、いろいろ調査していたら明け方近くに力尽きてね。むろんワタシではなく彼が、だけど」
貴公子さん、人選をめちゃくちゃ間違えてませんかね?
「うん、ちょうどいい。せっかくだから彼を使って古代魔法の講義といこうじゃないか」
ティア教授は楽しそうにシュナイダルへ近寄った。
「イリス君。ああ、ハルト君に倣ってこう呼ばせてもらうよ。こっちへ来て、彼の右肩に触れてみてくれないか」
そこがケガをしている個所だと知っているイリスは、遠慮がちに手を近づけた。
「ん? これは……何か硬い物が、貼りついている?」
「見えるかい?」
「いや。感触ははっきりしているのに、視認はできていない。何かある、とは感じるのだけど、境界は曖昧だ」
「へえ、それでもすごいよ。ワタシにはさっぱりだ。完全なる無色透明だね。触った感じ、厚さ二センチほどの円柱だろうか。直径のほうが大きいから円盤と言うべきかな。同じものが背中側にもある」
ティア教授はポケットからペンを取り出した。
「さて、ここからが面白いところだ。これを、こうすると……」
ペンを円盤型結界に近づけて、ちくりと肩に刺した。びくんとシュナイダルの体が跳ねる。
「透明な円盤を通過してしまった。いろいろ試した結果、どうやら生物以外の物は素通りするらしい」
まあね、包帯を巻いたりとか服を着たりとかで邪魔になるからね。本体がそう設定しておいたのさ。
「ハルト君、これが何かわかるかな?」
「わかりません」
ここはすっ惚けとかないとね。
「イリス君は?」
強張った顔つきでしばらく考えてから、イリスはぽつぽつと言葉を吐いた。
「まさか、創造魔法……? いや、一定領域に特殊な条件付けをして固定化したのか」
「さすが筆記試験でトップは伊達じゃないね。そう、古代魔法では『領域を固定化する魔法』の存在が文献に記されている。現代魔法では不可能な域だ」
まあでも、とティア教授はお気軽な口調で衝撃的な言葉を続けた。
「要するにこれ、結界だよ」
「えっ?」
驚きの声はイリスのもの。でも俺だって驚いた。おいおい大丈夫か本体。いきなり見破られたぞ。
「古代魔法が現代魔法と大きく異なる点は何かな? ハルト君」
「大昔の魔法ということです」
これみよがしにため息を吐かんでくれ。目で促されたイリスが答える。
「属性に縛られない。いわゆる無属性魔法だ」
「ご名答」
まあ知ってたけどね。だからそれを研究してる体を父さんたちに対して装ってるんだし。俺は落ちこぼれのフリしなくちゃいけないから、真面目に答えちゃダメなのよ。ほんとだよ?
「結界魔法も同じく無属性魔法だ。といっても現代魔法からあぶれたとみる研究者が主流だけどね。でも最新の研究――まあワタシが提唱しているのだけど、結界魔法は古代魔法の一系統とみなすのがより自然なのだよ」
「しかしその考えでは、過去に隆盛を極めた魔法が、今では基本の補助型魔法に成り下がったと言えないか?」
「一系統、と言ったろう? けっきょく我々現代魔法使いは、古代魔法を補助程度でしか使えていないのだよ」
ほぉん。てことは俺が使ってるのは結界魔法じゃなくて古代魔法だったのか? コピーじゃなくて本体だけども。
「驚くべきことに、この魔法が施されてから一日半は経過している」
「バカな。結界魔法でも維持に魔力は必要だ。術者が側にいないのなら半日も保てないだろう」
「古代魔法に現代魔法の常識を当てはめてはいけないよ。後で見せてあげるけど、文献の中には維持に魔力を必要としないと推測し得る記述がいくつかあった。ま、ワタシだから気づいたとも言えるけどね」
ドヤ顔のティア教授は「ともかく」と続けた。
「なにせ神話クラスの化け物どもが使っていた魔法だ。かの大賢者グランフェルトも真っ青な連中だからね。現代で使えそうなのは……そうだな、魔法レベルが100に達したと言われる魔王くらいなものだろうよ。古代魔法を知っていれば、だけどね」
「……」
「けど残念ながら魔王はもうこの世にいない。ワタシは閃光姫なんて大嫌いだけど、よく倒せたと思うよ。魔王がその気になれば王都くらい一瞬で灰にできただろうに」
「……個の力には限界がある。人は『群れ』として優秀だ。だから魔王は敗れた」
「物は言いようだね。伝え聞いた話からでは、魔王は大いに油断していたか、端から負けるつもりだったとしか思えない」
「……」
「おっと。ここには魔王討伐部隊メンバーのご子息がいたのだったか」
ん? ああ、俺のことか。でも父さんは陽動部隊だったから魔王とは直接戦ってないんだよな。たしか。
でも今の話からだと、俺が使ってるのが古代魔法とは考えにくい。
だって魔法レベルが半端なく高くないとダメなんでしょ? 俺は魔法レベル2の雑魚っすよ。三桁表示できる測定でもそうだったから間違いない。
けど話自体は面白いな。
俺の結界魔法は古代魔法に近いものっぽい。なら古代魔法を突き詰めていけば、いろいろ応用が可能だろう。
研究室が潰れたらティア教授を城に迎えるのも悪くないかもな。
ということを脳内に記録し、本体に引き継いでおこう。
「話が脱線してしまったな。ともあれハーフェン家の跡取りにかけられたのは古代魔法である可能性が非常に高い。であれば気になるよねえ。いったい誰が、この魔法を使ったのか」
ティア教授は鋭い視線をイリスに突き刺した。
「……ボクではない。ボクにこんな高度な魔法は使えない」
「ふむ。すっ惚けているわけではなさそうだ。でも心当たりがないわけじゃないのだろう?」
「それは……言えない。彼とは『黙っている』と約束したから……」
自分は知ってるって言っちゃったようなもんですね。ほら、ティア教授嬉しそう。
「〝彼〟、ね。なるほどなるほど。その辺りキミは真面目そうだから、これ以上尋ねるのは酷というものか。ではやはり、知ってそうな者に訊くしかないなあ」
心底嬉しそうな顔をして、手にしたペンをくるくる回すと、
ざくっ。
「ぎひゃぁあぁああぁっ!」
「博士なにをぉぉおおぉ!?」
シュナイダルの右肩にペンが突き刺さり、ずっとおろおろしていたポルコス氏が大慌て。
俺が言うのもなんだけど、侯爵家の跡取り様におにちく過ぎない?
「頑なに『誰』と言わなかったからね。いい加減、我慢の限界だよ。かけられた本人なら知ってるだろうさ。ほら、早く吐けよ」
あれ? でも俺は貴公子さんには口止めしてなかったような? どうだったかな。
それはともかく。
「また気絶してますよ?」
哀れシュナイダルは絶叫したのち、泡を吹いて倒れてしまった――。