ボクの名は――
ボクと友だちになってよ!
突然そう言われた俺の反応はこちら。
「はい?」
「ありがとう。キミは大貴族の子息と聞いたけど、平民のボクを友だちにしてくれるなんて懐が深いな」
いや、肯定の意味じゃなかったんだけど……。
「てか理由。そこ教えてプリーズ」
「もちろん話すつもりだった。ボクの一方的な都合だからまた怒らせてしまうかもしれないけど、誠意は尽くそう」
「できれば手短にお願いします」
「善処する。では――」
女は大きな胸に手を当てて、すこし緊張した面持ちで語る。
「ボクは生まれた直後に捨てられた。拾われた先でも捨てられて、それを四度繰り返してから、王都の南にある修道院に引き取られた」
いきなりヘビーだな。他人事とは思えん。
「てかお前、捨てられすぎじゃない?」
「ボクにも原因はよくわからない。ただ、ボクは『悪魔の子』と拾われた先々で恐れられた。見た目がこうだからか、生まれたばかりで言葉を話していたからか、とにかく怖がられていたんだ」
明らかに赤子がしゃべり出したのが原因では? 俺は訝しんだ。
この世界では珍しくないのかな? いやでもフレイは出会ったとき俺がしゃべって驚いてたよな。魔族は知らない? わからん。
「修道院でもボクは避けられていた。唯一、当時修道院の院長だった司祭様だけはボクに優しかった。けれどボクが五歳のときに亡くなって、新しく赴任した司祭はボクを忌み嫌っていた」
聞くも涙な不幸話なのに、本人は淡々としている。悲愴感の欠片もない。
「ただでさえ閉鎖的な場所で、周囲との交流もなかったから、ボクは人の社会の一般常識というものに欠けている」
自覚はあったんだね。
「だから俺と友だちになって常識を学ぼうと?」
「うん」
笑みを添えてうなずかれると、こう返さざるを得ない。
「そりゃお前、人選を致命的に誤っているぞ。自慢じゃないが俺は友だちがいない。辺境でずっとひきこもってたし、常識がないのはたぶん同じだ」
「だったらちょうどいいね。一緒に常識を学んでいこう」
屈託のない笑みはいっそ清々しく、嫌な感じはしなかった。
「いやいやいや、常識が欠けた者同士がつるんでも成長はせんだろうよ」
「そういう、ものなのかな?」
でも待てよ、と俺は考える。
俺の中で友だちとは、
『なあ、俺ら友だちだよな?』
『腹減ったからパン買ってきてくれよ』
『お前の金でな』
『友だちだもんな』
という感じで、パシリにされたり無理難題を押しつけられたりする関係だ。
こいつには散々迷惑をかけられている。だから『友だち』として俺が利用してもいいんじゃなかろうか?
ティア教授はこいつをチェックしていたらしい。
ちびっ子メガネ教授にこいつを押しつけて、俺はしつこい勧誘から逃れられるという寸法だ。
ちょいと探りを入れてみるか。
「お前、所属する教練室や研究室は決まってるのか?」
「うん。まだ挨拶はしていないのだけど、古代魔法を専門に扱った研究室があるから、そこに――」
「グッドだ! お前はその研究室に入れ。友だちからの威圧的なお願いだ」
「うん、最初からそのつもりだけど……。でもそうか。ボクの話を聞いても友だちでいてくれるんだね」
にぱっと咲かせた笑みはシャルに匹敵するほど可愛い。
でも待って。
これべつに友だちにならんでも俺に都合のいい展開だったのでは?
「てかお前、友だち友だち言うわりに肝心なこと忘れてないか?」
小首をかしげた拍子に白いポニーテールが揺れた。
「自己紹介だよ。生い立ちは語ったくせに、俺はお前の名前を知らんぞ。ちなみに俺はご存知のとおりハルト・ゼンフィスだ」
とたん、困ったように眉尻を下げる不思議。
「名前……。そう、か。そうだね。人の社会では名乗り合ってからコミュニケーションを始める。うん、それは理解している」
もじもじと落ち着かない様子で、言葉を濁しつつ続ける。
「ボクの名は、ボクが決めたものだ。それはとても特別で、大切なもの。入学願書など書類に記載して、そこから知られて名を呼ばれるのは慣れたのだけど、自ら名乗るのは……その、まだすこし抵抗がある」
また魔族みたいなこと言ってる。
「でも、うん、キミは友だちになってくれた。だから面と向かって名乗ろう」
大きな胸に手を当てて、すーはーと何度か深呼吸してから、緊張しつつも真摯な赤い瞳でしっかり俺を見つめて。
「ボクの、名は――」
★★★★★
シャルロッテ命名『逢魔の庭園』の一画に露天風呂があった。地下深くから温泉を掘り当て、湖に流れこむ川から水を引いて適温に保っている。
「キュピンときました! 兄上さまの身に何か面白いことが起こっている予感!」
とろんと湯に浸かっていたシャルロッテが突然叫び、飛び出していった。
ちょうど湯殿に入ってきたフレイとリザが小躯を見送る。
「あのハルト様に対する超感覚はなんなのだろうな?」
「ハルト様が防御のためにかけられた魔法の影響だと思う。通常はあり得ないけど、シャルロッテ様の想いの強さと潜在魔力による奇跡かも」
そんなものか、と言いつつちょっと羨ましく思いながら、フレイは汗と汚れを落として湯に浸かる。
「ふぅ……仕事後の温泉はよいものだな」
「まだ仕事は残ってる。どうしてまた汗をかくのがわかっているのにお風呂に入るの?」
リザは呆れたように言ってフレイの横に並んだ。
「いいんだよ。汗をかいたらまた入る。何度も心と体をリフレッシュして何が悪い」
そういうものか、とリザは横目を流す。脂肪は水より比重が軽いのを目の当たりにした。すこし悔しい。
「そういえばリザ、ブリザード・ドラゴンの君が温泉に入って大丈夫なのか?」
「そっちが誘ったくせに今さらだね。わたしは『寒さに強い』のであって『暑さに弱い』んじゃない」
「ならどうして、わざわざ彼方の極寒の地で暮らしていたんだ?」
「当時のわたしは孤独が好きだった。人も魔族も足を踏み入れない場所で、静かに暮らしたかっただけ」
しかし魔王が敗れて人がそこらで魔族狩りを始め、追われ逃れてこの地に迷い、力尽きかけたところをフレイとハルトに救われた。
今はハルトの下、シャルロッテの世話や仲間たちとの暮らしが楽しくて仕方がない。
けっきょく自分は他者との関わりが怖くてひきこもっていたのだと気づいた。
「君は魔王とも険悪だったのか?」
「べつになんとも。考え方の違いで距離を置いていただけ。今は……魔族の楽園が作りたいと言った魔王にも共感できる」
今ハルトが築いているこの湖畔が、まさにそれだ。いや、ハルトはさらにその先――人と魔族がともに暮らす楽園を作ろうとしている、とシャルロッテが言っていた。
むろん、ハルトにその気はない。
彼がひきこもりライフを満喫する地を作るのが目的で、その周辺がどうなろうと彼にはまったく興味がなかった。妹の遊びに付き合っている程度の感覚だ。
フレイたちは露とも知らない。
「やっぱりハルト様は魔王の生まれ変わりなんだね」
「うむ。記憶は失くされても、根底にあるものは変わらない。性格は大いに変わってしまったが……」
「フレイは魔王と仲が良かったの?」
「盟友だった。ただ理想を同じくしても方法論で次第に衝突するようになってな。一時期は離れていたが、閃光姫どもが侵攻してきて再び力を貸そうとした、のだがな……」
けっきょく魔王はみなを逃がし、一人ですべてを請け負ったのだ。
「正直なところ、私はハルト様と魔王は別物だとの感覚でいる。記憶を失くされたのは、もしかしたら非情になりきれなかった甘い部分を切り捨てるためかも、とな。ただ――」
フレイは懐かしむように微笑んだ。
「魔王はよく、我らの種族名を省略して呼んでいた。止めろと言っても聞かなくてな」
「もしかして、『フレイ』?」
「ああ。だからハルト様がその名を私に付けてくれたとき、とても嬉しかった。思わず魔王時代の名を口にするところだったよ」
「もしハルト様が前世の記憶を思い出したら、どっちで呼べばいいのかな?」
「それはハルト様が決めることだ。まあ、以前の名は記憶とともに捨てられたと私は考えているがな」
「魔王の名前って、訊いたらダメ?」
「君はすでにハルト様に認められた存在だ。私から伝えても問題はないだろう。ただ軽々しく口にはするなよ?」
うん、と緊張した面持ちでリザがうなずくと。
「魔王の名は――」
フレイは懐かしむように、慈しむように告げた。
――イリスフィリア、と。
☆☆☆☆☆
「ふぅん、『イリスフィリア』ねえ……。長いな。『イリス』でいいか?」
白髪ポニー改めイリスフィリアはきょとんしたのち、なぜだかぷっと吹きだした。
「すまない。ボクも昔はよくみんなの名前を省略していたのを思い出したんだ」
お前友だちいなかったんちゃうの? まあ追及はせんけど。
「止めろと注意されていたのだけど、なるほど、自分がされて初めて気づくね。あまりいい気分ではない」
でも、と彼女は笑みを崩さず言った。
「いいさ。キミが呼びやすいように呼んでくれて構わない」
とりあえずこいつに初めてのお友だちができたと同時に、俺にも初めてのお友だちができてしまった。
俺が退学してもズッ友だょ、とは言わないでおいた――。