偽物の矜持
痛がる場面だと察知したハルトCこと俺は、演技を始める。
「うっ! 遅ればせながら痛みが……。ぐわー、痛い。痛すぎるぅ。具体的には骨にヒビが入ったっぽい痛みだー」
苦悩の表情を作り、体をぐにゃぐにゃさせる。どうかな? 痛そうかな?
「バカな……立ち上がれるはずがない。私の魔法を受けて、なぜ……?」
演技以前の問題だった。
でも動揺している今がチャンス。踵を返してダッシュでゴー、と考えたときだ。
視界の端に、貴公子に歩み寄ろうとして止まり、俺に向こうとしてしばし考える挙動不審のお嬢さんが映った。
事の元凶である男装のお嬢さん、何やってんだ?
目が合う。
迷ったように眉を八の字にしてのち、真っ白なポニーテールを揺らしてすたすた寄ってきた。
「状況を自分なりに整理して、ボクが何をなすべきか考えてみた。この場合、キミをトラブルに巻きこんでしまったことを詫びるのが第一だと思うのだけど、どうだろうか?」
こいつ、今さらなに言ってんだ?
「第二候補として、あちらの彼の怒りを鎮める案が浮かんだ。けれど、ボクには彼が何に怒っているのかいまだ理解が及ばない。これでは彼の怒りが増すばかりだと考えたのだけど、合っているかな?」
それを俺に聞かれましても困ります。
「もちろん、キミに『大丈夫か?』と声をかける行動も脳裏をよぎった。同時に治療をしなくては、と。けれどキミはケガをした様子がない。だから不適切な気がしたんだ」
俺は他人とコミュニケーションを取るのが苦手だとの自覚があるが、こいつ、俺以上に空気が読めないぞ、きっと。
「やはり、まずはキミに謝罪をすべきだな。本当に、申し訳なかった」
だからさあ、今はご丁寧に頭を下げるタイミングじゃないんだってば。
などと口に出して言えない俺。
「おのれ、おのれおのれおのれぇ! 私を、コケにしたなあ!」
ほら、お前のせいで逃げ遅れちゃったじゃないか。
キレまくった貴公子が口を素早く動かした。
幾重にも浮かぶ魔法陣。
その中央が輝きを増す。
「いけませんシュナイダル様! その威力では殺してしまいます!」
よくわからんが、殺傷能力が極めて高い魔法らしい。
これだから学校は嫌なんだ。
意思疎通できない奴らばかりで、俺だけを攻撃してくる。
ああ、クソだな。
本当にクソだ。
あいつはもう魔法を撃っちゃいそうだし、自己強化できない偽物じゃあ逃げられない。
ここは俺が俺を守るために、思わず魔法を使ってしまう場面と考えていい。
頼むぜ本物。しっかり守ってくれよ?
俺はボロボロになった上着に手を突っこむ。ホルスターから魔法銃を抜いた。ポニーの女を押し退け、構える。
「くらえぇぇえ!」
貴公子の甲高い叫びとともに引き金を引いた。
ドンッ、と衝撃を受けたのは俺。
銃を持ってないほうの腕が弾かれ、体がそれに引きずられてぐるぐる回っていく。
でも、痛くない。
服の左腕部分は跡形もないが、腕自体は無傷にしてノーダメージだ。さすが本体。
ちょうどいい具合に植え込みを越えて飛ばされたので、俺はすぐさま起き上がって猛ダッシュ。貴公子やその取り巻きに見つかる前に戦線からの離脱を計る。
そういや、俺の攻撃はどうなったんだろう?
ま、さすがにエリート様には効かんだろう。でも目くらましくらいにはなったはず、と思いたい。
ポニーちゃんは放置。貴公子さんにお仕置きされてしまうがいいさ。
「やあ、ようやく見つけたよハルト君」
げえっ、ちびっ子メガネ。
「今忙しいんでまた後ほど」
「ふむ。何やら植え込みの向こうが騒がしいね。興味はそそられるが、今はキミ以上に面白いものはない。さあ、ワタシの研究室に案内しよう」
「嫌です」
しかし魔法で自己強化できないコピーの俺はあっさりちびっ子に捕まった。
「どうしたんだい? 今日は調子が悪いのかな? 前はワタシでも追いつけないほど逃げ足が速かったのに」
そっちは本体のほうなので。コピーは弱っちいのですよ。
てなわけで、逃亡は失敗。諦めよう。むしろ教師と一緒ならこれ以上絡まれないと肯定的に捉えたほうが気が楽だ。
「うぎゃぁーっ! 肩が、私の腕がぁあ!?」
遠くから何やら絶叫が届いてきたが、俺はずりずり引きずられていった――。
★★★★★
シュナイダル・ハーフェンは侯爵家の長男である。
四年生だがひとつ年下の王女マリアンヌに後れを取り、副会長に甘んじているのを忌々しく思っていた。
だから年下に舐められるのが何より許せない。
「おのれ、おのれおのれおのれぇ! 私を、コケにしたなあ!」
事前に防御魔法を展開していたのだろう、黒髪の新入生はピンピンして、しかもバカにしたように痛がる演技をしていた。
(殺してやる)
理性が殺意に染まっていく。
「いけませんシュナイダル様! その威力では殺してしまいます!」
だが取り巻きの言葉で我に返った。しかし魔法を止めるつもりはない。
(腕のひとつは消し飛ばしてやる)
すぐに治癒魔法を施せば一命を取り留めるくらいはできるだろう。いや、たとえ死んでも構わなかった。
貴族がプライドを傷つけられたのだ。相応の報いは受けて当然。
今年の新入生で注意すべきはライアス王子ただ一人で、他は侯爵たる父に頼ればどうとでも言い訳が立つ相手ばかり。
一人、辺境伯の息子がゴリ押し入学したそうだが、言動からして育ちの悪そうな黒髪が貴族であるとは思えなかった。
平民なら、その家族にいくばくか渡せばそれで事足りる。
(運試しといこうじゃないか。お前自身のなあ!)
にぃっとシュナイダルは口角を持ち上げ、
「くらえぇぇえ!」
魔法を放つ。【火】と【風】を主属性とする彼の最大魔法。猛スピードで相手に逃げる隙を与えず、衝突の瞬間に爆散する。その破壊力は、学生レベルでは圧巻のランクBに相当する。
黒髪は見慣れぬ何かを取り出してこちらへ向けたが、詠唱していない彼が魔法を撃てるとは思えなかった。
もっとも攻撃の際は防御も構築するのが魔法戦の鉄則。
同時に展開した防御魔法陣を突破できるのは、マリアンヌを含め学内で数人しかいない。
パリン、と涼やかな音がした。
刹那ののち、ぐしゃりと鈍い音。同時に強烈な痛みが右肩からほとばしった。
骨が、砕けた。
肉が、つぶれた。
シュナイダルは吹っ飛ばされ、後ろにいた取り巻きたちを薙ぎ倒していった。
「うぎゃぁーっ! 肩が、私の腕がぁあ!?」
つながっているのが奇跡に思えた。
それほどの衝撃が右肩に襲いかかったのだ。
「シュナイダル様、お気を確かに! 今すぐ治療いたします!」
必死の叫びが遠くに聞こえる。
治すなら早くしろ、この愚図どもが!
怒りとともに、疑問が浮かぶ。なぜ、自分はこんな大ケガを負ってしまったのか?
(あいつは今、何をした……?)
いや、何もしていない。できるはずがなかった。
(あの、白い髪の女か……?)
それも違う。
彼女が何かしようとすれば、取り巻きの誰かが気づくはずだ。
シュナイダルは薄れゆく意識の中で懸命に頭を働かせ、結論を出す。
(誰かが、隠れて援護した。それ以外に考えられない)
一対一なら、確実に自分が勝っていた。
黒髪に攻撃が当たったかは確認できていないが、もしまだ生きているのなら、このままにはしておけない。
(私は、〝神〟に選ばれた男だ。次こそは! 必ず!)
心の中の叫びは声にならず、シュナイダルは意識を失った――。




