猛る刺客
ユリヤとヴァジムの前に、突如として〝聖なる器〟が現れた。
「マズいわ」
器から黒い霧がにじみ出る。
ユリヤは異空間から金のブレスレットを取り出すと、すぐさま変身を完了。ヴァジムへと手を伸ばす。
ヴァジムの服の袖をつかんだのと、黒い霧の先がヴァジムの額に触れたのは同時だった。
次の瞬間、ズビュン。
ユリヤはヴァジムともども大きく後退していた。ヴァジム目がけて進んでいた彼女が、一切の予備動作なしで反対方向へ大きく移動したのだ。
そこには銀狼が待ち構えていた。
「ユリヤ、どうにも様子がおかしい。あの黒い霧からは何かしらの『意思』を感じる。醜悪にして悪辣に極まるものだ」
「そういうことらしいけど、あなた大丈夫?」
余裕が生まれたのかユリヤは笑みを取り戻していた。
ヴァジムは頭を振る。
「猛烈な吐き気を催したが、それだけだ」
苦悶の表情から、今も気持ち悪さは治まっていないようだ。
「それでウラニス、どうするの? 〝聖なる器〟はまだやる気みたいだけど」
黒い霧は触手のようにいくつかに枝分かれしてうねっている。
「回収したいところだが、あの黒い霧は危険だ。なんというか……そうだな、『自身が定まる場所を探している』ような……」
「誰かに乗り移ろうとしているの?」
「わからない。そんな気がしただけだ。どうやらアレは、オレと似た性質を持っている」
どういうこと? と首をかしげたそのとき。
一瞬だった。
現れたときと同じく、瞬きの間に〝聖なる器〟は消え去ったのだ。直後、
「見つけたぞ!」
頭上から大音声が降ってきた。
赤いぴっちりスーツに同色のパピヨンマスク。小脇に抱えたウサギが目を回している。
「あら、イレギュラーの八人目さんね。いちおう訊くけど、どうしてここに?」
「ふっ、乱戦に突撃して引っかき回そうと思ったら間に合わず、しょんぼりしていたところ近くで魔法少女の反応が現れたからな。残る二人のうち倒すべきは一人。ここで決着をつけてやろう!」
あからさまにピンクを援護すると言っているようなものだった。
(てことは彼女の存在って、やっぱりハルトの仕業ね)
監督役自らがレギュレーション違反をして可愛い妹を勝たせようとするその姿勢は褒められたものではないが、ユリヤにとっては些末なこと。
要は楽しめればそれでいいのだ。
「いいわ。あなたが誰だかなんとなく想像できるし、感情を排して事実のみを並べて精査したら確定しちゃった。相手にとって不足はないわね」
ユリヤの両手に見慣れぬ武器が現れる。
棒に垂直の持ち手がついた、打突型武器の旋棍だ。とあるアニメに出てきたのを見た彼女が気に入り、魔法のステッキとしてハルトに作らせたものだった。
「ふっ、貴様もなかなかの手練とみた。では全力をもって燃やし尽くす!」
「お願いですから私を巻きこまないでわひゃぁ!?」
レッドがウサギを放り投げ、鋭く爪を立ててその身に炎をまとった。
「さっそく特殊能力を使うのね。それじゃあ、わたしも――」
「なっ!? よせ! まずは状況を正しく把握してから――」
銀狼の制止をまるっと無視して、ユリヤは片手を突き上げた。
その間にもレッドの炎は勢いを増し、それでも余裕の笑みでユリヤの言葉を「待たなくていいから早くやっちゃってくださいーっ!」とのサポーターの言葉を無視して待っている。
ユリヤは心底楽しそうに笑いながら、
「『最っ高に楽しむぜぇ』!」
高らかに自身の特殊能力名を告げると、
バシュワーッ! どこからともなくピンク色の粉がレッドにぶちまけられた。
「ふぅん、火を消すのに水じゃないんだ。面白いわね」
「けほっこほがはっ、き、さまげほっ、なにをくちゅんっ!」
「知らないわ。完全にランダムだもの。でもさっきはあなたが有利だったみたいね。だからバランスを取ってわたしに有利なものが出てきたの」
ユリヤはころころ笑うと、
「それじゃあ続きをしましょうか」
最大速度でレッドに迫る。
空中で咳きこんでいたレッドはどうにか迎え撃った。
激しい衝突音が広場に響く。
下では見物人がどんどん集まってきて、銀狼とウサギが整理に追われていた。
足場のない接近戦。
しかし二人はむしろ立体的な動きで腕を振るい、避け、蹴り、躱す。
レッドの右爪が空を斬った。
すかさずユリヤが下に回って拳を突き上げる。
受け止めようとしたものの、ユリヤがトンファーをくるりと回して先端をレッドのみぞおちに叩きこんだ。
「ごふっ、おのれ!」
もう片方の手が迫るも、レッドはあえて後退しなかった。
「ふんっ!」
ガンッ! 同じくみぞおちに入ったトンファーの先を、レッドは気合で受け止めた。
「あははは、冗談みたいに硬いわね。わたしじゃあなたを倒しきるのは無理かしら」
「ほざけ。全力を出さずにその力量。貴様、純粋な戦闘能力なら変身後のシャルロッテを上回るほどか」
「あの子とわたしではタイプが違うもの。『得意分野』という意味で、さすがに殴り合いで負けては立つ瀬がないわ」
ユリヤは左右のトンファーをくるくる回してシュバババッとポーズを決める。
「……どうにもおかしな気配だ。貴様、ヒトならざるものか?」
「あなたってその手の感覚が鋭いわよね。というかわたし自身が成長しているのもあるのかしら。まいったなあ、このままだとアイツに気づかれちゃう」
まったく困った風でもなく、ユリヤはくすくす笑う。
「貴様がナニモノだろうとやることに変わりはない。いざ……、燃えろ!」
レッドは再び全身に炎をまとった。
「ええ、そうね。それじゃあわたしも、全力を出すわね」
ユリヤの瞳が輝きを放った、次の瞬間。
「消え――ッ!?」
レッドの目から、彼女の姿が消え去った――。




