流れつく〝聖なる器〟
ヴァジム・ズメイは王都暮らしを満喫していた。
帝国では『皇帝が病魔に侵され絶対安静にして面会謝絶』と大騒ぎだが、究極の願望機が手に入ればなんら支障はない。仮に手に入らなくても王国の内情が多く知れた今、その攻略にも自信を漲らせていた。
王都の北側エリアは大街道に面しており、商業が盛んな地域だ。
旅商人で賑わうこの地区には露店も多く、珍しい食べ物や工芸品を扱っている。
「そこの厳つい兄ちゃん、ついさっきいいモンが手に入ったんだ、見てかないか?」
ヴァジムがあちこち回っていると、そう声をかけられた。
見るからに自分より年下の男だが、ヴァジムは二十代と見紛う若々しい風体をしているため誤解したのだろう。
とくに気にせず、冷やかすつもりで覗いてみた。
とたん、ひとつの魔法具に目を奪われる。
「……これは、なんだ?」
「なかなかの逸品だろう? この神々しい光沢を見ろよ」
巨大な杯、あるいは水瓶。煌めく黄金に褪せた箇所はなく、傷のひとつも見当たらない。
「手に取っても?」
「よしてくれよ、そのごっつい手で油が付いちまったら価値が落ちちまう」
触らせたくないのか、店主は身を乗り出して拒否を示す。
「では銘は? 出所はどこで、どういう経緯で其方が扱うに至ったのだ」
「ぇ、ぃゃ、それは……」
しどろもどろになった男の背後に視線を巡らせる。
並ぶ商品はお粗末なもの。左右の店と比して明らかに客足が鈍い。客とのやり取りも三流のそれ。数日中には店を畳むのが容易に想像できた。
ヴァジムは懐をまさぐる。厚手の革袋を取り出すと、店主に放り投げた。
「これで買おう。文句があるなら力づくで奪うが、どうするか」
慌てて受け取った店主はその重さに思わず「ひっ」と声が出た。
「兄ちゃ、いや、旦那。これ……、こんなに……?」
中身は王国金貨がぎっしり。店主は訝る。たしかに高貴な雰囲気をまとってはいた。けれど身なりはむしろ庶民に近い男が、なぜこれほどの金を? そもそも明らかに魔法的処理で見た目を煌びやかにしているだけのガラクタになぜ?
「詮索はするな。あと其方に商売は向いていない。魔力も知れたものか。雇われるのが嫌ならば、嗜好から一芸を磨いて生業とするのだな。まだ間に合う歳であろうよ」
ヴァジムはむんずと商品をつかむ。
「ぁ、その……、毎度あり……」
そのまま振り返りもせず人波に消えていった――。
またも一人で出かけた自身の相方に、ヴィーイはすくなからずイラついていた。
だが戻ってきたヴァジムが無造作に手にしたモノを見て絶句する。
「ふむ、〝神〟を名乗る其方のその反応。やはり並々ならぬモノであったか。して? これはなんだ?」
「わからずに持ってきたのですか?」
「わかるはずもない。が、ワシもいまだ儀式とつながりがあるゆえな、コレが関係するモノとは肌で感じておる。もったいぶらず、知っているなら言の葉にせよ」
ヴィーイは半ば呆れながらも告げた。
「これこそ大魔法儀式の中枢、究極の願望機そのものですよ」
「……中枢?」
ヴァジムは怪訝に眉をひそめる。
その意図をヴィーイもすぐさま見抜いた。
「ええ、本来の儀式では、ね。これはそう創られていながら不完全なもの――貴方が想像する究極の願望機とは似ても似つかぬものですよ。おそらく実態を模したレプリカでしょう。ただ儀式そのものにはつながっています。どうしてこんなものが……」
思案するヴィーイを意に介さず、ヴァジムはずいっと手にしたモノをテーブルに置いた。
「偽物であれ其方には必要なものであろう?」
「それはまあ、ここから儀式の内部に干渉できるかもしれませんから」
「ならば好きに使え」
ヴァジムは踵を返して玄関へと向かう。
「待ってください。また一人で出かけるつもりですか?」
「生の情報は足で稼ぐものだ。ワシが皇帝の座を得たのはユリヤたちの働きだけではない。こうして自ら足を運び、人に会い、話をして理解したがゆえ。そもワシが出歩こうが危険はあるまい? 儀式が守ってくれる」
「貴方に危険はありません。しかしなんらかの方法で自分と引き離されてしまえば、自分に不都合が生じるのです」
「……ふむ。たしか他の魔法少女を感知できるのはサポーターのみであったか。にしても、うむ。それはそれで使い道もあろう」
「ちょ、何を?」
呼び止めにも歩を止めず、ヴァジムは再び街へと繰り出してしまった。
(まったく……、これほど考えなしとは思わなかったですね。国を束ねる立場であっても高が知れます。しょせんは下等な人という生き物ですか)
ヴィーイはため息を吐き出すも、目の前に置かれた黄金の〝器〟を見てほくそ笑む。
儀式への介入がうまくいかず焦っていたが、まさかこんな幸運が訪れるとは。
(これが最後の希望。儀式がこれほどまでに進んだ以上、絶対に成功させなければ)
ヴィーイは〝聖なる器〟に魔力を通す。この〝器〟はあくまで表面的なもの。ここからつながる先に、本当の願望機が存在するはずなのだ。
息を細く。
意識を深く。
魔力を長く。
いくつもの道から最適な道筋を探り当て、さらに奥へと進む最中。
パチン……。脳の奥底が弾けた、気がした。
(今、のは……)
儀式の中枢、その確信がありながらも、ヴィーイは疑問符を浮かべる。
(ルシファイラの残滓が、どうして? いえ、アレの執念深さはよく知っています。多少の未練を残していても不思議ではありません。不思議なのは――)
〝魔神〟だけではない。
直近で誰か、おそらく人族がなんらかの干渉を行った。その『意志』をも儀式中枢は取りこんでいる。否――
(違う! これは人ではない、まして〝神〟でもない。こんな……こんな化け物の『欠片』が儀式中枢に根を張っているなど、これでは――ッ!?)
バキンッ! 脳の奥底で、今度は何かが砕けた。
膝を折る。四つん這いの姿勢になったと気づいたとき、体中から汗が噴き出してぽたぽたと床に落ちていた。
「は、ははは……、――?」
乾いた笑いがのどから出た。それが不思議だった。だって今、自分は笑うつもりなど微塵もなかったのだから。
「は、へ……?」
声を出そうとした。けれどまともに口が動いてくれない。身体もそうだ。立ち上がろうとしているのに、四つん這いから逃れられない。
(ま、ずい……、この肉体では、もたない……)
いかに〝神〟の肉体といえど、容量を超える魔力は扱えない。このままではいずれ弾けて消えてしまう。ひとまず儀式中枢からの魔力流入を防がなければ。
思考が混濁しながらも、ヴィーイは必死に抵抗する。
そんなときだった。
「まさか貴方が奪っていたとは」
涼やかでありながらも怒気を孕んだ声音。
振り向く。振り向くことができた。
窓の外に、魔法少女パープルが浮いているのが見える。
違和感があった。自分の意思で振り向いたはずなのに、別の誰かが身体を動かしたような奇妙な感覚。
ヴィーイは目の前の脅威に竦みはしなかったが、自らの変調に慄いていた。
「どうやら一人のようですね。本来ならばこの場で抹殺するところですが、儀式が終わらなければそれも叶いません。ですから今はまず――」
パープルは異空間から大弓を取り出し、構えると。
「私の魔力体を返してもらいます」
有無を言わさず飛びかかってきた――。
一方そのころ、王宮の執務室に。
「出撃だ! 三秒で準備しろ!」
バーンと扉が開かれ、赤髪ケモミミのメイドが現れた。
「王宮の警備ってわりと厳重なんですけどぉ!?」
溜まりに溜まった執務をせっせとこなしていたマリアンヌは涙目になって叫んだ。
「ふん、この程度の結界など、ハルト様の前では児戯に等しい。それより、ゆくぞ」
「ど、どこへですか? ハルト君からはとくに何も言われていませんけれど……」
「ふっ、ハルト様の指示をいちいち仰いでどうする。このようなときこそ独自の判断で最良の結果を得るのだ。すると褒められる。私は嬉しい。完璧ではないか!」
具体性皆無な独断専行、というものではないだろうか。マリアンヌは訝ったが指摘しないでおいた。
「ともかく! どうにもキナ臭い。なにかこう……、私の尻尾がむずむずするのだ! この儀式に妙なことが起こっているに違いない。だから行くぞ! すぐにだ!」
フレイはいつの間にかブレスレットを装着し、赤い光に包まれた。
「行くなら一人で行ってくださいーっ!」
「何を言っている。貴様がいなければ他の魔法少女の居どころが知れぬではないか。そら、今のうちに他の魔法少女を見つけてつぶして回るぞ! あ、シャルロッテとイリス以外のな」
ウサギに変じたマリアンヌを小脇に抱え、窓を突き破って空高く舞い上がる。
「もうどうにでもしてください……」
諦めに沈むマリアンヌは、超スピードで滑空するレッドに連れ回されるのだった――。




