聖なる器は誰のもの?
残念ながら究極の願望機を巡る『魔法少女戦争(仮)』には敗北した。
ティアリエッタは予想だにしなかった事態に地団太を踏む。
まさか寝ている間にメルが一人で戦って、同盟関係にあったはずのパープルにメルの黒い宝石を破壊されてしまうとは、考えもしなかった。
いやホントになんで?
メルが深夜に起きているのも稀なら、自分にひと声もかけずに出歩くのも初めてだった。
成長した、ということなのかもしれないが、自分はそんな不良娘に育てた覚えはない。そもそも子育てした気はまったくないし。
ただメルの様子がすこしおかしくなった契機には覚えがある。
「コレをワタシがいじくってから、だよねえ?」
ティアリエッタはソファーに座って足をぶらぶらさせながら、ローテーブルに置かれた金ぴかの『杯』を眺める。
メルの黒い宝石が破壊されたのち、ティアリエッタのタヌキ姿も解除され、続けてメル専用の異空間に保管されていたものが彼女ともどもこの部屋にぼとぼと落ちてきた。
そのうちのひとつがこの〝聖なる器〟だ。
ちなみにメルは戻ってからベッドに直行。おそらく疲れがどっと出たのだろう、今は夢の中である。
「ハルト君が取りに来ないってことは、きっと預けたことすら忘れてるね」
もともと儀式には直接関係ない、カタチだけのものらしいのだ。
しかし超々高密度魔力体を収めて儀式の根幹部分につなげ、システムと一体化しているのは明確だ。
ただ解析したかぎり、儀式そのものの術式はほぼ刻まれていなかった。今のところはただの優勝トロフィーだ。
「でもなあ、いじくったっていってもちょっとだけだし、でも明らかに変な音を出したからなあ……壊れて、ないよね?」
おっかなびっくりで置いたまま横から上から斜めから観察する。
とくに異常は見当たらない。
「これは仕方ないな」
ティアリエッタはふんすと鼻息を荒くした。
「もう一度調べてみよう! もっと深く、もっと詳しく!」
両手をわきわきさながら〝聖なる器〟に伸ばしていたら。
「いいえ、それは返してもらいます」
何奴!? と開かれた窓を見れば、月夜を背に魔法少女パープルが浮いていた。仮面越しでもはっきりと呆れ顔なのがわかる。
「返す、とはどういう意味かな? まさか自分が勝者に決まっているから、あらかじめ商品を手元に置いておく、なんて言わないよね?」
「そこまで傲慢ではありません。私が欲しいのはその中身。地下に隠していた魔力体は本来、私が所有していました」
「へえ、つまりキミ、神代から生き残った神様だとでも言うの?」
パープルの目つきが険しくなるも、小さく息を吐いて答える。
「自らを〝神〟などと呼ぶ傲慢、だからこそ神代の者たちは滅んだのでしょうね。答えは『いいえ』です。私はこの時代に生きる〝人〟ですよ。貴女となんら変わらない、ね」
どこか自嘲ぎみに映る笑みながら、物言いは穏やかだ。ただ、話を広げようにも『これ以上は何も答えてなるものか』との並々ならぬ決意を感じる。
「ていうか、これは預かったものだからね。ワタシの一存では返せないよ。仮にこれがキミのだという決定的な証拠を提示してくれたとしてもね」
パープルが表情を一瞬だけ引きつらせた。
さすがに挑発しすぎたかな、とティアリエッタは内心で恐々とする。
が、やはりパープルは人格者らしい。
「わかりました。ではこの儀式を管理・監督するシヴァに会わせてください。彼に直接、話をしたいと思います」
真っ当な提案だ。あとはシヴァであるハルトが『儀式と一体化しているから終わるまでは分離できない』とかテキトーぶっこいて交渉を伸ばせばいい。
だがティアリエッタの直感が告げる。
(ハルト君はこの手のタイプに正論で押し負ける。ぜったいに)
だから会わせて交渉、という選択を取ると儀式そのものが破綻しかねなかった。
すでに脱落した身ではあるが、結末は見届けたいのが研究者というもの。
さてどうするか? そんな下心を、どうやらパープルは見逃さないらしい。
「シヴァと直接会わせるのに、どんな不都合があるのですか?」
「は、はあ? まだ何も言ってないよお?」
「会わせないためにはどうするか、あれこれ考えていたのでは?」
「ま、まさかぁ……。ちょっと失礼じゃないかなあ、そんな言いがかりを……」
「では会わせてくださいますね?」
にっこり笑顔がなんだか怖い。
(な、なんだこの……、学生時代に何度も経験したことがあるような威圧感は? いや教職に就いてからも似たようなことは多々あったような……?)
はっきりと思い出せない不思議。それはそれとして、似たような窮地は(数は少ないけど)何度か突破できていたはずでもあるのだ。
「そもそも! ワタシがお気軽に呼びつけて出てくるような男じゃないよ、シヴァ君は」
ある意味では事実であり、そうでない場合もある。ぐうたらな理由で呼び出しに応じないのがあの男だが、言葉巧みに誘えばのこのこ現れるのもまた彼の気質でもあった。
「そうでしょうか? 彼は正義の体現者。誰であれ真摯に願えば姿を現す方だと思います」
「いやそれはない」
「え」
おっと今シヴァの幻想を破壊しては元も子もない。彼が誠実な男だと誤解しているなら、そこにこそ突破口があるかもしれないからだ。
「シヴァ君は切に正義を求める者に寄り添う男だ。多忙の最中に儀式の管理までやっている以上、極々個人的な事情に立ち入ろうとはしないよ」
「……」
仮面の下で苦々しく表情を歪ませるパープル。
ティアリエッタは彼女が揺らいだのを見逃さず、畳みかける。
「キミの事情は理解できるさ。妙な儀式に巻きこまれて気の毒だとも思う。でも他の参加者からすればキミの話はただのわがままにしか映らないよ。すくなくとも〝聖なる器〟には正当な入手ルートがあるのにもかかわらず、横から掻っ攫おうとしているのだからね」
パープルが目を閉じる。
これで諦めてくれるなら楽なんだけどな、と考えたものの。
「ふだんの私ならば、その言葉にうなずいていたでしょう。けれどやはり、魔力体は私にとって大切なモノ。誰かの手に渡るというのなら、いっそ――」
強引に奪うつもりか。思いつめたように俯くパープルに、ティアリエッタは戦慄する。
現状、パープルが〝聖なる器〟を奪うのを阻止する術が自分にはない。
奪われれば当然超々密度魔力体が抜かれ、儀式における究極の願望機の機能が失われる危険があった。状況を打破するにはシヴァ(ハルト)を呼び出すしかないが、そうするとその場で『交渉』が始まってしまう。
(詰んでるじゃん!)
パープルってば誠実に見えてけっこう策士なのね、と感心している場合ではない。
(こうなったらワタシが抱えて逃げるしか!)
ふだんなら打開策を即座に考えてあれこれ試しつつ、いつの間にか状況を好転させるティアリエッタだが、なぜだかパープルの前だと正常な思考に切り替えられない。
(くっ、なぜだ? まるであの人……えっと、誰だっけ? パープルにすごく似てる人を前にしているイヤ~な感じ。なんで思い出せないんだ?)
この不可解な記憶の混乱もまた自身の困惑に拍車をかける。
ともかく! ティアリエッタは小躯を投げ出すように〝聖なる器〟に飛びかかった。
あっ、と声を上げてパープルが阻止に入る。
二人、同時に〝器〟に触れた、そのとき。
ぴかーっ!
「うおっ眩しっ!」
「なにがっ!?」
強烈な光が部屋を満たす。
数秒、視界が完全にホワイトアウトした。
光が消える。
視界は瞬時に元へと戻り、先ほどまであったはずのものもまた、消え去っていた。
「どこに隠したのです!」
「ワタシじゃないよおおおおお!」
肩をつかまれがっくんがっくん揺さぶられるティアリエッタ。
必死の形相のパープルは仮面越しでもわかるほど泣きそうだった。
はたして、〝聖なる器〟はどこに消えたのか? それは――。
「ふにゃ……?」
メルは夢の中から戻ってくる。いや、突如彼女の真上に現れたモノに、半ば強制的に起こされたのだ。
ぼんやり光るそれは暗闇ではひと際映える。
起き上がり、目をこすった。それでも眩しくて目を細めながら、メルはそれを認識する。
「……聖なる、器、だっけ?」
自身がデザインした優勝トロフィー。
どんな願いも叶えるという究極の願望機――その末端だ。
大魔法儀式の根幹に通じるソレは、この儀式を企てたモノ――魔神ルシファイラの〝讐念〟とも呼ぶべき遺志にもまたつながっていた。
行き場のなかった〝讐念〟はしかし、ついに〝器〟を見つける。
かつて魔神がその精神を受け継がせようとした〝器〟。
これ以上ない〝器〟でありながら、儀式参加者であるがゆえ縛られていた〝器〟。
しかして今、その枷は外されていた。
今度こそ、その中に〝讐念〟を移して究極の願望機を完全なる支配下に――。
「メル、もうこれ、いらない」
メルの中に入ろうとしたのに『パチン』と弾かれた。
この事態を想定していたわけではないが、テレジアは再び魔神ルシファイラの影響がメルに及ばぬよう、今度はその精神に防護魔法をかけていたのだ。
メルはぱたんと倒れ、再び夢の中に帰っていった。
心なしか光が弱くなった〝聖なる器〟はしばらく虚空に佇んでのち、不思議な力で窓を開け放って月へ向かい、ふよふよ流れていくのだった――。




