緑とタヌキと黒と鷹
「姉貴! 出撃するぜ!」
王宮にある、国王代理専用の執務室のドアが乱暴に開かれた。
机でペンを走らせていたマリアンヌは、唐突な弟ライアスの登場をあからさまに嫌な顔をして迎える。
「わ、悪いとは思ってるんだぜ? けどよぉ、あの姿になっても姉貴は仕事できるんだし、ただ僕は『その間、誰もここに近づけるな』って注意喚起も含めて知らせにきてるだけで……」
「わかっています。けれど頻度があまりにも多いと言っているのです。〝聖なる器〟をめぐる大魔法儀式が正式に始まった今、貴方の体力がもたないでしょう?」
「へ、この程度の疲れなんて一時間も寝れば吹っ飛ぶぜ」
実際ライアスは見た目とても元気に見える。
しかし疲労とは目に見えないかたちで蓄積するもの。十分な休息は必須と言えた。
「また正義の執行中に他の魔法少女に襲われたらどうするのです? さすがにこれ以上、執務を滞らせるわけにはいきません。今回、私は同行できませんよ」
「べつに姉貴はいてもいなくても変わらねえよ」
「むぅ、前回は私の忠告がなければ早々にイリスさんに倒されていましたよね?」
「あ、あれは相手の出方がわからなかっただけで、次はヘマしねえよ!」
「魔法少女はイリスさんだけではありません。前回は味方してくれましたけど、〝黒〟の魔法少女が襲ってきたらどうするのですか」
「それは……。けど、ブラックとなら僕は相性いい方だと思うぞ? あいつ、見るからに薄幸そうだったからな。僕の特殊能力でさらに運が悪くなったら致命的だろうぜ」
ライアス――魔法少女グリーンの特殊能力は『俺様が主人公だぜぇ』。
三分間すべてのステータスを向上させて幸運を呼びこむ。逆に相手のステータスや特殊能力の効果を減じ不運を見舞わせる。インターバルタイムも三分だ。
幸運値の増減は具体的効果が起こってみなければ不明なため、状況次第では相手にとって極悪な効果に映るだろう。
「またそんな不確実要素に頼って……。いいですか、ライアス。たとえブラックに優位を取れたとしても安心はできません。いまだ姿を見せていない三組は貴方への対策をして臨んでくるでしょう。分が悪い戦場へあえて赴くつもりなら、サポーターとして、家族として、止めさせてもらいます」
ふだんは温和なマリアンヌだが、このところの激務が堪えているのか目の下にクマができていて、半眼で圧をかけられると反論が出てこない。
こうなったら仕方ない、と。
「ともかく僕は正義の味方をやめない。行ってくるぜ!」
言いながらぴゅーっと部屋を後にした。
「あっ! 待ちなさいライアス!」
立ち上がって後を追おうとするも、ぴかーっと自らの身体が緑に輝いて。
「まったく……。仕方のない子ですね」
呆れ顔のウサギさんはしかし、
「今夜はまた徹夜になりそうです」
書き置きを残すその表情は苦笑いでありながら、ぬくもりがこもっていた――。
一方、学院の奥深くにある研究棟では。
ばさりと心地よい羽音が鳴る。開け放たれた窓に、秋の香とともに一羽の鷹が舞い降りた。
「やあやあ、どうも。悪いねえ、呼び出したりして」
部屋で待ち構えていたのは二人だ。
まんまるにデフォルメされたタヌキ。短い腕をぶんぶん降り、これまた短い足でちょこちょこ寄ってくる。
「じーーぃ……」
もう一人、白い絹糸のような美しい髪をツインテールにした〝黒〟の魔法少女が、ソファーに座って物珍しそうに来訪者――鷹の姿に変じたアレクセイを眺めていた。
アレクセイは猛禽類特有の鋭い眼光をデフォルメタヌキに向ける。
「手紙は受け取りました。しかし貴女も強かですね。このタイミングで同盟を持ちかけてくるなんて」
「儀式が始まる前は断られてしまったからね。こちらの実力を見せてからお誘いするのが筋かなーと思ってさ」
たしかに効果的ではあった。完全に姿を消す特殊能力で、聖武具を操る〝青〟の魔法少女を窮地に追いこんだのを見せられては。
もっとも今回の話に乗ったのは、別のひと押しがあったからだ。
「実は私のパートナーもそちらの魔法少女には好感を持っていましてね。まだ事前交渉の段階なので同盟に関する話はしていませんが、条件次第ではすんなり通ると思いますよ」
「そうかいそうかい、なら話は決まったも同然だね」
あっはっは、と陽気なタヌキには悪いが、実のところアレクセイはすんなり決まるとは考えていなかった。
(さすがにサポーターがルセイヤンネル教授だとは伏せる必要がある)
学院長が嫌っているわけではないが、相手がティアリエッタだと彼女は正常な判断力を失ってしまう。いや、ある意味で正常ではある。ただ教育者としての悪い側面が出てしまうのだ。
(〝黒〟の魔法少女には保護欲を掻き立てられてもいるようだし、条件次第というより慎重にやらなければこちらが自壊しかねない)
また学院長は儀式そのものよりも〝聖なる器〟――その中身として取りこまれた、かつて自身の権能の大半を隔離して隠した超々高密度魔力体の奪還を最優先している。
儀式の勝者に与えられるものだから勝ち残ればよいと説得をしてみたが、
『不確実要素に左右されたくはありません。早急に取り戻せないならば多少の減衰は許容してでも魔力体を崩壊させて魔力を回収する必要もあるでしょう』
あくまで自力で取り戻す気でいる。儀式に非協力的な陣営を、はたして同盟相手が許すかどうか。仮に許すとして、その理由を明かせと言われかねない。
ぼやかそうにも限界があり、些細な取っかかりで〝紫〟の魔法少女の真の目的と正体を看破してしまうのがティアリエッタという奇才なのだ。
「ちなみにそちらの魔法少女の正体は教えていただけるのですか?」
「いいよ」
あっさりしたものだが、次の言葉からやはりティアリエッタは侮れない。
「その代わりキミのパートナーの正体も教えてもらうことになるけど?」
こちらの思惑を見透かしたように、ニヤニヤしている。
仕方がない、とアレクセイは腹をくくった。
「白状しますと、私のパートナー、〝紫〟の彼女は儀式そのものに積極的ではありません。不本意にも参加させられてしまったようで、それゆえ正体をひた隠しにしたがっています」
「え、そうなの? それって戦闘自体を嫌がっているとか? それだとキミたちと同盟を組むうま味がなくなっちゃうんだけど」
「戦い自体、というよりも姿を晒して行動することが、ですね」
「同じことじゃないか」
不服そうに腕を組もうとして、短すぎて断念するティアリエッタ。
「いえ、要は姿を晒さなければ協力はできます。幸い彼女が扱う武器は遠距離からの攻撃に適したモノ――『弓』ですから」
「あー、なるほど。遠方からサポートしてくれるってわけか」
「そちらの魔法少女――ブラックが姿を消している際には密に連絡を取り合う必要がありますがね。誤って同士討ちになるのは本意ではありません」
「たしかにね。その辺りはうまいことやるしかないかな」
うんうん、とデフォルメタヌキが首を振ろうとして、体全体を前後に揺らす。
「思うところはあるけど今はいいや。互いに正体を明かさない条件で協力しようじゃないか」
「ありがとうございます。では、私はパートナーに同盟の件を伝えてきます」
「ああ、ちょっと待って。これを渡しておくよ」
ティアリエッタはお腹のあたりをごそごそまさぐる。ふわふわの体毛から出てきたのは、小さな耳飾りだ。
「ワタシとキミとの連絡用さ。シヴァに借りたものだけど、また貸しするなとは言われてないからね」
にししと笑うデフォルメタヌキ。
アレクセイはくちばしで受け取ると、首筋に押しこんだ。
帰るつもりだったがせっかくだ、と疑問をぶつける。
「ところでルセイヤンネル教授、貴女はまず誰を標的にするのがよいと考えていますか?」
「最初は正直、誰でもいいんだけど」
ティアリエッタは屈託なく言う。
「まずは〝青〟。彼女の正体はキミも気づいているだろうけど、その背後には〝彼〟がいるはずだからね」
具体名が出なくても、ティアリエッタの言葉で確信した。
「あのクマは、やはり――」
「うん、十中八九ハルト君だ。彼はシャル君を勝たせるために、イリス君を説き伏せて儀式に参加したみたいだね」
ハルトから直接聞いてはいないようだが、ティアリエッタのこの手の考察はまず外れない。
「イリス君の役割は威力偵察と見て間違いないだろうね。当然シャル君と手を結んでいるだろうけど、しばらくは見た目上、一人で活動するはずだ」
その隙を討つ、とティアリエッタは考えているらしい。
「しかし当然、彼女もそれを覚悟で動いているでしょう。『隙』があるものですか?」
「隙っていうのはね。作るものさ。より狡猾な手段を用いるなら――」
ティアリエッタはまたもにししと笑う。
「作らせるのさ、誰か――具体的には〝緑〟君を使ってね」