〝紫〟の陣営
学院長室の執務机について、テレジア・モンペリエは静かに報告を聞いていた。
薄ピンクでゆるふわウェーブの長い髪。目鼻立ちが整っていて肌艶若々しい彼女はスーツスタイルで豊満な胸を押さえつけている。
開け放たれた窓から心地よい風が吹きこんできて、机の上に置かれた一輪の花が揺らめく。
「――以上です、学院長。脱落者は出ませんでしたが、我々としては収穫が多かった。今後の対策を立てる上でもね」
彼女の前で滔々と語っていたのは学院の四年生、アレクセイ・グーベルクだ。
端正な顔つきをした銀髪の彼は、その首に紫色のチョーカーが巻かれている。
テレジアはまぶたこそ開いているものの、視線はアレクセイに合っていない。真剣な面持ちで思案している様子だ。
しかし話を聞いていないはずはないと、アレクセイは構わず続ける。
「まず〝ピンク〟の魔法少女の正体ですが、途中から参戦した動機や話ぶりから考えてシャルロッテ・ゼンフィスでしょうね」
いまだに記憶にある彼女と一致しない不思議な気分であるものの、あの少女が参戦していないはずがない、との確信によってどうにか結びつけられた。
「特殊能力は使用に致命的な制限があるものの、強力なものだと考えます」
両手で指差したモノ同士をくっつける。実にシンプルな特殊能力だ。
使用時には完全に両手が塞がり、おそらく新たな魔法行使は行えない。視界から外れれば効果も解除される。
これほどの制限がある以上、効果がただ『動きを封じる』だけだとは考えにくい。
グリーンの言葉から特殊能力はもちろん、魔法行使そのものができなくなるようだ。
つまり、囚われたら最後、シャルロッテが特殊能力を解除するまで何もできなくなる。
テレジアが顔を上げた。
「およそ一対一の戦いには向きませんね。いえ、やりようはあるのでしょうし、逆に同盟を組む相手がいれば実に強力と言えるでしょう」
「その同盟相手は〝青〟の魔法少女に決まったようなものでは? 彼女は彼女で相当厄介ですよ。〝ピンク〟同様、かすっただけで相手の動きを封じる特殊能力がありますからね」
しかも聖武具を持ってもいるのだ。純粋な攻撃力では突出していると考えていい。
アレクセイは肩を竦めて続ける。
「もっとも正体が知れたのは幸運でした。まず間違いなくイリスフィリアでしょう。彼女にしかあの聖武具は使えないはずですから」
「そうでしょうか」
テレジアは眉根を寄せる。
「そう思わせて別の人物、との線は排除すべきではありません。もちろんイリスフィリアさんの可能性がもっとも高いのは否定しませんけれど、決め打ちして動けば足元を掬われかねませんから」
なるほど、とアレクセイは首肯する。
「それよりもグーベルク君、私にはすこし気になることがあります」
「なんでしょう?」
「話を聞く限り、誰かがシャルロッテさん――魔法少女ピンクの防御を一時的に高めたように感じました。状況からして魔法少女ブラックが混乱に陥った元凶……クマのぬいぐるみじみた姿をしていたのでしたか、その人物の可能性があります」
「たしかアレは直前まで姿を消していましたね。そういった芸当ができる人物と言えば……」
二人、目を合わせずにげんなりした。
テレジアは肩を落としたまま言う。
「まさか儀式の監督役がプレイヤーになるとは思えませんけれど……」
「シヴァならやりかねない、との評価は横に置くとして、彼と懇意であるハルト・ゼンフィスならどうです?」
今度は二人で視線を合わせ、はあぁ……と深いため息をついた。
「あり得ますね。だとすればシャルロッテさんのサポーターでしょうか」
「その線も有力ですが、仮に〝青〟の魔法少女がイリスフィリアであり、そのサポーターがハルトならば、彼女ともどもシャルロッテの勝利に加担する意図があるかもしれませんね」
「さすがにそれは……」
テレジアは懐疑的だが、アレクセイはその可能性の方がむしろ高いと考えている。
(なにせ妹のこととなれば魔神とも敵対する男だからな。彼ならシヴァをも上手く動かして……いや、むしろいよいよシヴァとハルトが同一人物である線が高まってきたか)
ハルトとシヴァ。
二人を知る者なら誰しも同一人物の可能性を考えるが、二人が同時に存在する場面が多々ある以上、排除せざるを得ない難問だ。
が、それもシヴァの突拍子もない魔法力を見ればどうとでもなりそうな気がしてくる。
(もっとも二人が同一人物だろうとさして問題はない。この大魔法儀式に勝利するための情報要素としての価値しかないさ)
アレクセイのまっすぐな視線を、テレジアはわずかに躱した。
「残る〝黒〟と〝緑〟……後者の正体を測る有力な要素は『聖剣』ですね。王妃の失脚で混乱しているとはいえ、王宮から盗み出すのは至難。だとすれば、王家の者である可能性がとても高い」
「そもそもグリーンは『少女』ではありませんね。仮に王家の者であれば――」
テレジアは確信じみて告げる。
「やはりライアス王子でしょう」
「王妃の件でふさぎこんでいると聞きましたが?」
「あの子は横柄な言動がありますけれど、繊細で優しく、なにより努力家です。この儀式に参加することでなにか吹っ切れてくれたのなら喜ばしいですね」
穏やかな笑みに、教育者の一面を垣間見るも、
(さすがに吹っ切れすぎでは?)
アレクセイは訝った。が、あえてツッコまずに話を戻す。
「あの場には他にウサギのような姿の誰かがいました。おそらくグリーン――ライアス王子のサポーターでしょうね。グリーンに防御魔法を展開するなどあからさまに援護していました」
儀式の規定には『魔法少女から魔法少女への攻撃のみ有効』とあるだけで、『サポーターが戦闘に参加してはならない』とは記されてはいない。すくなくともサポーターが魔法で防御を担当するといった行為が有効だと示してくれたのは助かった。
そもそも特殊能力の発動や停止が行える立場だ。
「なるべくその実力を知るうえで正体を探っておきたいものの、姿かたちから推測は難しいですね」
「ライアス王子を御する人物、となれば一人しかいませんよ」
正確には二人いますけれど、と補足してテレジアは告げる。
「マリアンヌ王女でしょう」
今度もまた確信をもっているように見えた。
「となれば王女には失礼ながら、直接的な脅威とは言えませんね。王子の特殊能力も強力なようでいて時間に縛られていると考えられますから、放っておいても脱落していくでしょう」
テレジアの表情がわずかに険しくなる。
教育者の彼女からすれば教え子を貶められたと感じたのだろう。
アレクセイは気にせず続けた。
「私は現時点での最大の脅威は〝黒〟の魔法少女だと考えています。ただ姿を消すだけではない、何か底知れぬ力を感じました。なにせサポーターに備わった『近くの魔法少女を感知する能力』にも引っかかりませんでしたから。しかも正体を探る要素がまったくありません」
ただクマ型サポーターに異常な恐怖を感じていた節がある。付け入る隙があるとすれば、その原因を明らかにすることだろう。
と、テレジアが困ったように眉尻を下げた。
「直接見ていないのではっきりとは言えませんけれど……」
しばらく言葉を選ぶようにして、
「無邪気な子ども、のように感じます」
「子ども、ですか?」
見た目は十代半ばの、『少女』と呼ぶべき容姿をしていた。だがクマ型サポーターとのやり取りで再び姿を現したとき、その容姿は十歳にも満たない子どもに成り変わっていた。
登場時には『一緒に遊ぼう』などと楽しそうだったのを思い出す。『戦おう』の比喩に受け取っていたが、言葉のとおりに受け止めれば確かに子どもじみている。
「となれば見ず知らずの一般参加者の可能性があるか……。ますます厄介ですね」
肩を竦めてみせるも、テレジアは困惑した様子を残したまま席を立った。
「いずれにせよしばらくブラックと戦うことはありませんから保留にしましょう。仮に戦闘となっても私なら対処可能です。今までどおりグーベルク君は偵察しつつ、各陣営の注意を引きつけてください」
学院長室のドアまで歩いていく。
「方針は変わらず、ですか?」
その背に問うと、
「ええ、私は儀式そのものに興味はありませんから」
テレジアのすぐ横に、どこからともなく紫の宝石がはめられたブレスレットが現れる。
眩いばかりの光があふれた。部屋全体が紫の光粒に埋め尽くされる。同時に長身のアレクセイがみるみる縮んでいった。その姿も人ではなくなり、やがて。
ばさり。羽音をひとつ、ふわりと体が浮かび上がった。
ばたんとドアが閉まる直前、
「ただ大切なものを取り返す、それだけのために行動するのみです」
テレジアはそんなつぶやきを残して部屋を出ていった。
「ええ、そうですね。その並々ならぬ執着ゆえの、貴女の特殊能力でしょうから」
開け放たれた窓から、穏やかな風が忍び入る。
それを断ち切るように、銀の鷹が蒼天へ飛び立った――。




