ドラゴン先生は物静か
俺が王都に出発するまで、一週間を切った。
準備はほとんど済ませているのだが、ひとつだけ忘れていたことがある。
ので、俺はひきこもりハウスでその機会を窺っていた。
静かな湖畔に建つログハウス。平屋で間取りは1DK。メインルームは三十畳で、ひと続きのダイニングも十畳はある。
俺が快適なひきこもりライフを送るために造った、俺の城だ。
結界魔法を使えば材料なしで簡単に造れてしまうのだけど、そこはこだわった。領内で伐採した最高級の木材をふんだんに使ってうんぬんかんぬん。
ここでダラダラしたり結界魔法の研究をしたりぐうたらしたりアニメを見たりして過ごす。
ちょうど今、壁に貼り付けた専用結界では女児向けアニメが再生されていた。
俺は、ついに現代日本との接続に成功したのだ! つい半年前にね。
二点間を転移する『どこまでもドア』と違い、こっちから向こうに人体が送れるかは怖くて試せない。下手すれば次元の狭間に囚われて、餓死するのを待つかもしれんしね。
そもそも俺は現代日本に未練はない。帰りたいとも思わない。転生だから住民票とかないし。
ただ、魔法の研究は楽しいのだけど、やっぱり他の娯楽も必要だ。
ここでは釣りをしたりバーベキューをしたりとアウトドアな娯楽が主流で、ひきこもり属性の俺にはなかなか辛かった。
で、なんとかならんもんかとあーだこーだするうち、現代日本のネット環境へアクセスできてしまったのだ。
不思議にも接続したあっちは俺が死んだ直後くらいだった。俺が個人で契約していた動画配信サービスのアカウントは生きていて、こっそり作ったネット口座も健在だ。
前世の俺の両親はその辺り疎いからな。俺が死んでからも気づかず放置しているのだろう。
口座にはそこそこの金額が残っているので、向こう十年は現サービスを受けられるのだ。理論上は。
てなわけで、俺がハラハラどきどきしながらアニメを視聴していると、いきなり目の前が遮られた。
「昇天しちゃいませ♪ マーベラス☆プリティ☆ラブアンドピース★デス★エクスプロージョン!」
ピンクのふりふり衣装を着た魔法少女が、マジカルステッキっぽいのを振り回して決めポーズ。
我が妹、シャルロッテである。
同年代に比べると成長がやや足りない感じだが、長い髪はつやつやで顔立ちはとても愛らしい。ちなみに衣装と小物は俺のお手製だ。
アニメでのセリフは当然のごとく日本語なのだが、シャルは猛勉強して日本語を理解するに至っていた。
しかし幼少のころから中二病を罹患していた彼女が、まさかこんな風になるなんて。まあ、今も『悪の組織』だの言ってますけどね。
「ふぅ……。兄上さま、今週の『ぷちっと☆ラブキュア』も神回でした」
シャルはうっとりしつつも、そわそわと落ち着かない様子で振り向いた。
「あの女幹部さん、自身の行いに迷ってました。もしかして、改心してラブキュアたちの仲間になるのでは?」
「そうだね」
ド定番ゆえに可能性は極めて高い。そしてクールビューティーを気取るその女幹部が仲間になったとたんポンコツ化するところまでが様式美。
「うぅ、早く続きが見たいのです。一週間が待ち遠しい……」
「完結したやつを一気見するのもいいぞ」
「いくつかチェックはしてますけど、夜更かしすると次の日に響いちゃうので我慢してます」
シャルは一日のほとんどを習い事で費やしている。魔法の理論や実技はもちろん、歴史や礼儀作法など貴族に必須の教養を身につける時期だ。
だから城から遠いこのひきこもりハウスにはなかなか訪れる機会がなかったのだが、『どこまでもドア』を開発初日に知られてしまい、そこから頻繁に訪れるようになった。
「習い事が多くて大変だよな」
「いいえ、今のわたくしはまだまだひよっこ。蛹にもなれてない青虫さんなのです。早く兄上さまの――いえ、『黒い戦士』のお力になれるよう、がんばります!」
あー、うん。ドイツ語、カッコいいよね。
「長くないかな? その名前」
「では『シヴァ』で。〝いんたーねっと〟で調べました。破壊と創造を司るどこかの最高神なのです。兄上さまにぴったりです!」
もうどうにでもしてくれ。
しかしこの子、この世界ではオーパーツ的なツールを使いこなしてやがる。恐ろしい子。
「あ、そろそろ休憩時間が終わっちゃいます。急がないとです。リザ」
シャルが声をかけると、部屋の隅っこでぼけーっと突っ立っていた少女がこちらを見た。
青髪ショートの小柄な美少女。しかし左右の側頭部からは雄々しい角がにょっきり生え、メイド服のお尻付近からはトカゲの尻尾みたいなのが伸びていた。
彼女は魔族である。
元は体長五十メートルはあろうかという巨大竜で、ブリザード・ドラゴンという種族らしい。
俺が保護した経緯はフレイとほぼ同じなので省略。しかし治療して適当な名前で呼んだらご主人認定って、この世界の魔族は大丈夫か?
そういえば俺(黒のアレ姿のときね)が巨大竜を仕留めたとか噂になっているが、まったくの逆だ。
とりま巨大ドラゴンのままだといろいろアレなので、人型になってもらってシャルの護衛をお願いしている。
「着替えのお手伝いをお願いします」
「うん、わかった」
ぶっきらぼうな口調ながら、かいがいしく世話するリザ。
「って、なんでここで着替えてんの?」
シャルはパンツ一丁になってしまったぞ。まだ十一歳のお子様だから、あちこちがつるんぺたん。
「この衣装だとちょっと肌の露出が多いので、父上さまや母上さまがびっくりしちゃうです。なので、ここで着替えて部屋に戻ります」
その常識的道徳観をなぜ俺の前では封印してしまうのか。
「リザ、次は魔法の講義でした?」
「【水】属性系統基礎魔法のおさらい。でもシャルロッテ様はほとんど覚えているから、応用魔法の理論にも入る予定」
「それでも遅れちゃってますね。わたくし、【水】属性は持ってないですから」
「それはこれまでの教師が悪い。自身の属性にかかわらなくても、敵や仲間の特性を知るのはあらゆる面で己が利になる。自身の属性にしか関心のない者は、弱者に足を掬われる。フレイみたいに」
そういや、前にリザとフレイが模擬戦っぽいことをやってたな。そのときはリザが勝った。
曰く、『わたしは竜種でも弱いほう。単純な魔力ではフレイが上。でも、何度やってもわたしが勝つ』。
魔力量ではなく、技術で勝つ。
うん。いいね。憧れる。俺が目指すのはそういうところだ。
せっせと服を着せるリザに声をかけた。
「リザって今、シャルの先生をしてるんだっけか?」
リザはこくりとうなずく。え? それだけ?
俺に対しては言葉少なな彼女に代わり、シャルが得意げに答える。
「リザはとても優秀な先生なのです。魔法にも詳しくて、たくさんの魔法を操れますから、とても勉強になります」
「シャルロッテ様は教えがいがある。毎回わたしは、わくわくしている」
この子を拾ってきたフレイには初めて『グッジョブ』と言ってやりたい。
「悪いな。世話ばかりかけて」
「はっ! わたくし、リザに迷惑をかけてますか!?」
慌ててシャルは自分で上着に袖を通そうとする。
それをリザはさっと奪ってシャルに腕を伸ばすよう促した。
「迷惑じゃない。これは、わたしに与えられた仕事。なにより、楽しい」
「そう言ってもらえると嬉しいです。けど、嫌なことはちゃんと話してくださいね? わたくし、リザとはお友だちのように接してもらいたいです」
シャルは城内で英才教育を受けている関係上、めったに外には出られない。必然、同年代のお友だちはいなかった。
でもリザって、見た目はシャルと同じ小学校高学年女児なんだけど、話によると百七十五歳くらいのフレイよりずっと年上らしいよ?
当のリザはなぜだか俺をじっと見ている。
「何かな?」
「……命令を。わたしは、どうすればいい?」
「え? 友だちになるかどうかってこと?」
リザはこくりとうなずく。
「そういうのは自分で……あー、そうね。んじゃ、命令。自分で決めて」
きょとんとしたリザの表情が緩む。ふだんは無表情なのだが、はにかんだような笑みは不意打ちでびびる。
「うん、ハルト様は、やっぱりいい主様だ」
なんか言って、リザは不安そうなシャルに向いた。
「じゃあ、お友だちに……なる」
「ありがとうございます、リザ♪」
シャルがぎゅっと抱きしめると、リザは控えめにシャルの背に手を回した。尊み。
「あ、でも授業中は厳しく指導してくださいね? わたくしも早く兄上さまのお力になりたいので、遠慮も容赦もいらないです!」
「うん。ハルト様に追いつくのは無理でも、シャルロッテ様なら近づくことはできる。がんばって」
「はい♪」
女児の友情。二次元好きの俺でもご飯が三杯いける。そういや米食ってないな。和食が恋しい。
さて、いそいそと帰り支度をしている我が妹に、そろそろ打ち明けねばなるまい。
「あー、シャル。実はさ――」
俺は来週にも王都に赴き、学園生活を送ると告げた。
目を見開いて固まるシャルロッテちゃん。
「あ、でも俺は」
コピーにすべてを任せ、父さんたちには隠れてこのログハウスにひきこもると説明する前に。
「学校……裏生徒会……テロリスト……魔法バトル……」
「今なんて?」
不穏な言葉を連ねていたシャルは、くわっと可愛い顔を険しくすると。
「リザ、今日の予定はぜんぶキャンセルします」
「わかった」
「臨時の〝円卓会議〟を、執り行います!」
「了解」
……君らちょっと待ってくれる? 知らん単語が出てきたのだが? 意味自体は知っているが、何事?
「リザは〝騎士〟たちに召集を。わたくしは父上さまと母上さまに急用で今日は夜までいなくなるって、伝えてきます!」
リザは俺にぺこりとお辞儀して、外へ駆けていった。
そしてシャルは『どこまでもドア』で城内へ。
俺はしばらく立ち尽くし、
「アニメでも見るか」
お気に入り登録している異世界モノアニメを視聴するのだった――。




