いざ尋常に騙し討ち
帝国軍先遣隊三万は、領内最後の峠を越えた。
ここから先は開けた盆地になっていて、さらに進めば険しい山地に行き当たり、そこがちょうど王国との国境に当たる。
天然の要害に加え、相手は守りに長けた『地鳴りの戦鎚』ゴルド・ゼンフィス辺境伯だ。
真っ向勝負で突破するのは至難の業。
「全隊、止まれーっ!」
先遣隊を指揮する細身の司令官が号令すると、部隊は盆地の中程で停止した。
斥候が戻ってきて報告する。
「敵はいまだ陣を敷いておらず、敵兵は影もかたちも見当たりません。山道沿いの検問所も通常と変わらぬ様子でした」
先遣隊の司令官は馬上で顎鬚を撫でながら応じる。
「ふうむ、ならば情報は漏れておらんな。よし! 予定通り山道を一気に駆け上がって検問所を突破する。誰一人として逃すな。山を越えたらふもとの村を制圧して陣を敷くぞ」
彼に油断はなかった。伏兵を隠せぬ開けた場所からぐるりと見回し、望遠鏡で自ら山の中腹をじっくり観察する。
大胆な行軍をしつつも、これまでけっして警戒は緩めなかった。
兵士たちも彼に倣い、緊張感を保ち続けている。
「進めぇっ!!」
司令官は自ら先陣を切って吠えた。
複数の属性を持ち、攻防に優れた魔法を操る彼は当然、腕に覚えがある。ただ武力でのし上がっても慢心はなかった。
皇帝ヴァジム・ズメイの信頼を勝ち取り、さらなる上を目指す。
(そのためにもゼンフィス辺境伯の首を必ず我が手「にびぃぇっ!?」
ばっちーん、と。
透明な何かにぶち当たった。
「ぶべっ!」「ぐわっ!」「な、なんだ!?」「どうなってる!」
あちこちでも怒号や悲鳴が上がる。
不思議なことに、みな落馬して透明な壁に阻まれているのに、馬はそれをすり抜けて先へと走っていた。
「くそっ! なんだこれは!?」
司令官はあちこちに魔法を放つも、すべてが透明な壁に弾かれていた。
(バカな……、かなりの高さまであるぞ。それに、左右も……)
兵士たちに命じて試した限り、魔法が届く範囲に見えない壁はそびえているらしい。
しかし壁の向こうでは、軍馬がのん気に草を喰んでいた。
ここで時間を食っては王国の国境警備に気取られてしまう。こちらが時間をかければかけるほど、相手に守りを固める時間を与えかねないのだ。悠長にはしていられない。
焦りが浮かぶも、ともかく一度態勢を整えようと、後ろから走ってくる歩兵がすぐそばまで迫っているのを見て、そう考えた矢先だった。
「ふはははははっ! 奇遇だな、帝国の諸君。我らは君たちを歓迎する!」
耳障りな声は上空から。
しかし見上げても曇天が広がるのみだ。
「ふははははっ! どこを見ている!」
今度は後ろから。
振り向くも、歩兵がいまだ迫っているだけ――「て待て、止まれぇ!!」
叫ぶもなぜか、声は届いていない。いや、むしろこれは!
『進め進めぇっ!! すすすすめ、メェすす進めぇっえ、ええ、え、えぇっ!』
歩兵部隊は前進せよとの命令を聞かされていた。
間違いなく司令官の声であるため、独自の判断では止まれない。それでも異常を感じて先頭は足を止めかける。
だが、時すでに遅し。
「ぐわーっ!」
歩兵の先頭は止まりかけたものの、後方から押し出される。
そうして馬を失った騎馬隊三千は、自軍の歩兵の波に飲まれていった――。




