ティア教授は選ばれたい
ティアリエッタはソファーの上で胡坐をかいて目をつぶった。
今この瞬間、自身の飾らぬ無垢な思いを心で叫ぶ。
(ワタシも魔法少女戦争に参加したい!)
自分は古代魔法の探究者。
神代の大規模魔法儀式と聞いて、参加を切望するのは当然だ。
ただ自分は最前線で戦うのに慣れていないしそもそも嫌すぎる。
そして残念なことに、その儀式を管理・監督する立場にある人物からの覚えがよくないとの自覚があった。
ハルトは『参加者を選定できるまでの介入は無理がある』とうそぶいていたが、参加者は彼が厳選に厳選を重ねて選ぶに決まっている。
だから自分が儀式に参加するには彼の了承が必要なのだ。
(まあ、ハルト君は上手いこと言えばなんとかなる気がしてはいるんだよね)
彼の思考は実にシンプルだ。
まずもって最優先されるのは妹のシャルロッテ。彼女を喜ばせたり楽しませたりするのが存在理由と言っても過言ではなかった。
となれば、すでに儀式に(というか管理・監督役のハルトに)選ばれたシャルロッテのサポーターになるのが最良、ではあるのだが。
(さすがに許してくれないだろうなあ。シャル君のサポーターはハルト君自身がやるか、そうでないならもっとも信頼できる人物を充てるに決まっている)
いずれにせよ、自分が入りこむ余地はないだろう。
(うーん、どうしようかなあ?)
乱雑な研究室の中、ソファーの上で唸っていると。
「できた」
愛らしい声音に続いて、何かが目の前をふさいだ。
一枚の紙だ。
性格だろうか、紙面全体をくまなく使ってひとつの絵が描かれている。
「なにこれ? トロフィー?」
紙面が横にずれ、向こう側にあった褐色の小顔が現れた。少女が小首を傾げている。
彼女は以前、太古の遺跡の奥深くで保護された迷子だ。
今のところメルと名乗った以外、素性の手掛かりは何もない。テレジア学院長の医療処置で記憶も失ったらしく、救出したハルトを『ママ』と呼んで慕っている。
さっきまで彼女が熱心に作業していたローテーブルにはハルトが貸し与えた板状の結界(と呼んでいいものか疑問はある)があって、そこに実物のトロフィーが映っている。デフォルメされているがそれを見ながら書き写したらしい。
「相変わらず絵が上手いね。素朴ではあるけど細部まできっちり描かれている」
褒められて嬉しいのか、メルはにぱっと笑った。
「でもなんでこんなの描いてたの?」
「ママがでざいん? してって言った。これを参考に、自由に描いていいよって」
「ハルト君が? あ、もしかしてこれ、例の儀式の……」
あらゆる願いを叶える究極の願望機。たしか〝聖なる器〟だったか。
「彼、ふだんはぐうたらしたがっているのに、この手のイベントになると手を抜かないっていうか妥協しないっていうか、変なこだわりを発揮するよね」
それもまた妹のためなのか、はたまた彼自身の性質なのか。
「ねえ、これなに? とろふぃーって?」
「知らずに描いていたのかい? 何かしらの競技で優勝した人に送る賞品のひとつさ。大きな杯だね」
「優勝? また何か楽しいことが始まるの?」
メルの赤い瞳がらんらんと輝く。
これ、言い方を誤れば『メルもやりたい』と張り切る流れでは?
(ハルト君が立ち回るから殺し合いにはならないにしても、危険ではあるからなあ)
なにせメルの魔法レベルは一般人でも下の方である【3】だ。最大魔法レベルですら【6】しかない。
参加したところですぐに退場は目に見えている。
(この年ごろの子には成功体験を積み上げるのがいいって話だし)
近年まれに見る教育者らしい考えを発揮したティアリエッタは、
「ああ、実はね――」
かいつまんで、幼女が理解できるよう簡単に説明した。もちろん端々に危険を伴うことや相当な実力者でなければ選ばれない旨を散りばめる。
メルはふんふんとお行儀よく集中して聞いていた。ティアリエッタの説明が終わってようやく口を開いたかと思ったら。
「メルもやりたい」
唐突にぶっこんできた。
「え、話聞いてた? すっごく危険だし、キミにはまだ早いって言うか……」
「優勝したら、ママに褒められるよね?」
「へ? まあ、優勝したらそうだけど、そもそもキミじゃ――」
「シャルともいっぱい遊べるよね!」
「はえ? そりゃ彼女も参加者だから絡みはあるだろうけど基本は戦うことに――」
「じゃあ、やっぱりメルもやる。やりたい!」
メルはウッキウキで鼻息も荒い。
(おかしいな。この子はふだん心配になるくらい聞き分けがいいはずなんだけど……)
不意に違和感を覚える。
やりたい、との希望を伝えてはいるが、これはどちらかといえば――
(決定事項であると知っているような?)
言うなれば友人に遊びにいくのに誘われて、親に許可を求めるような。
「ダメ……?」
両の眉尻を下げて上目に伺うメルを、哀れと思ったわけではないが。
「まあ、ワタシはいいと思うよ」
どうせハルトが参加者を選ぶのだから、最終的には彼の判断に委ねればいい。
そんな軽い気持ちで答えた、直後。
音もなく。
前兆もなければその瞬間すら認識できなかった。
「は? え? これって……」
メタリックでシンプルな意匠のブレスレット。
ルシフェル・カードが変じて生まれた――ハルトが作った儀式の魔法具が、虚空に現れた。
(いやなんで? ハルト君の演出なのかな?)
だとすればメルを喜ばせるためだろうが、なぜ自分になんの連絡もなく?
ティアリエッタの疑問をよそに、ブレスレットはメルの眼前に向かう。
目をぱちくりさせていたメルは誘われるように片手でブレスレットを手にしようと――。
ぴかーっと。
メルの小躯が眩い光に包まれる。ブレスレットがその手首に装着された、との認識をティアリエッタはするも、さらなる変化に口をあんぐり開けて眺めるしかできない。
やがてメルを包んでいた光が弾けた。
そこに、メルの姿はない。
否。より正確に言えば、幼い少女の姿をしたメルはいなかった、だ。
目の前の現実をただありのまま、ティアリエッタは言葉にして叫んだ。
「なんでおっきくなってるの!?」
一桁年齢だった幼な子はどこへやら、十代後半と思しき黒ギャル風の魔法少女に成り代わっている。
髪は長くなって左右で束ね、黒を基調としたシャルロッテが好みそうなフリフリの衣装。胸元含めてスレンダーな体躯からは、色とは真逆の清らかさを醸していた。
(あれ? でも彼女、ふつうの人のサイズよりも体が大きくなっているような?)
いや、これは自身の目線が下がっているのか? 不思議に思うも、まずは実際に変容したメルに意識を向ける。
「? メル、なんか変になった」
どうやらメル本人にも自身の肉体の変化に対する自覚はあるようだ。そして精神はさっきまでのメルのままらしい。
「おそらく……いや、キミは魔法少女に選ばれたんだよ」
ティアリエッタの言葉に、メルは自らの手を、腰を、足先に至るまで眺め見て。
「ティアも、そう思う?」
「ああ、その姿を目の当りにしたら認めざるを得ないね」
どうせハルトのサプライズ演出だろう。
やれやれと肩を竦めると、なんだか違和感を覚えた。体が、すこし窮屈になったような?
褐色の美少女はくすりと愛らしく笑って指を差す。
「じゃあ、ティアもだね」
ここに至り、ようやくティアリエッタは自身の身体に目を向けた。
(毛むくじゃら……)
茶色の体毛に短い手足。跳ねるようにソファーを飛び出し、姿見の前に躍り出た。
「な、ななな……」
鏡に映る自身のものらしき姿に驚愕する。
「なんだコレぇーーーっ!?」
絶叫した姿はおそらくタヌキ。
しかも野山に潜む実際の彼らとは異なり、妙に丸っこくデフォルメされていた。
そしてその首には、黒いチョーカーが嵌められていたのだった――。
タヌキ……異世界にタヌキ……いや、いてもいい。いてもいいが、ヨーロッパ的風土にタヌキ……(ここで考えるのをやめた)