警告、首輪
意識が途切れていたのは、一瞬だったらしい。
闇から一転、ギーゼロッテの視覚が戻った。
どうやら自分は、倒れている最中のようだ。現実感が乏しい中、男の声が聞こえた。
「いくら攻撃がやんだからって、いきなり防御を解くかね? 油断しすぎだろ。ま、結果オーライってやつだな。侮ったな、俺を! とか言ってみちゃったり」
油断? 侮る? そんな無駄を許さなかった者が、よくも言う。こちらは魔力が尽きたのだ。仮に攻撃が続くと知っていても、防ぎようがなかった。
ただギーゼロッテは憤懣をぶちまける以前に、現在進行形の〝異常〟が気になって仕方がなかった。
後頭部を強く打った。天井が見える。
なのに、体は前のめりに倒れた。
矛盾する感覚に戸惑いながらも、視覚情報を優先して仰向けだと判断し、体を起こそうとする。けれど床につこうとした手は空を切り、胸は床に遮られて腰が浮くような格好になる。
仕方なく、うつ伏せと考えて起き上がる。視界に、頭のない体が四つん這いの姿勢で現れた。
(なによ、これ……)
常識的な思考を極力抑え、ただ現状把握できる事実だけを元に推測を試みる。
導き出した答えは、とてもシンプルなものだ。
目の前にある首なしの体は、自分のものである。
「いったいなんなのよ、これはぁ!?」
だが理解はまったく及ばない。
なぜ、頭と体が分かたれてなお、自分は生きているのか? 息ができ、体を動かすこともできるのに、なぜ頭と体がつながっていないのか?
「頭と体を物理的に切り離した。でも切断面は謎時空を通して互いにつながってるから、死んでない」
これで説明したつもりなのが不思議であり、癇に障った。
「知らないわ……。わたくしはそんな魔法、知らない……」
「ま、そういうもんだと思ってくれ。で、だ。話がしたいんだが、いつまでも転がってるのは失礼だと思うんだよ」
嘲笑されたかのような不快感を抱き、ギーゼロッテは嫌悪を露わにする。
だがこのままでいることもまた屈辱だ。
懸命に体を動かそうとするも、
(く、この……右、そっちではないわ。ええい、もどかしい!)
自分の体と向かい合っていると、どうしても逆に動かしてしまう。ようやくコツをつかみ、どうにか頭に手を伸ばすも、鼻の穴に指を突っこんでしまった。なんて無様。
どうにか頭を持ち上げ、体の向きと同じにする。恐る恐る慎重に、頭を首の上に乗せようと――。
「なっ!?」
不思議な力が作用し、切断面を合わせられない。危うくまた落としそうになった。
「切断面は磁石の同極みたいに反発するんだ。針も通せないから、縫い合わせるのも無理だよ」
「おのれぇ! かような屈辱を与え、わたくしに何を求めるのですか!」
頭を持ち上げたまま、怒りの形相で男を睨みつける。
「ゴルド・ゼンフィス辺境伯、およびその家族。さらにはその領内」
「ッ!?」
「今後いっさい手を出すな」
「やはり貴方は、ゼンフィスの手の者なのね」
「違うね。俺は陰から世の悪を誅する、正義のヒーロー。名前はまだない」
「悪? 世に謳われし閃光姫を、悪と断じるの!」
「俺が決めた。世間の評判とか関係ないし、自薦他薦も受け付けない」
黒い男は続ける。
「そう恐い顔するなよ。お前が王宮で何を企んで何をやろうと、ぶっちゃけ俺にはどうでもいい。王を蹴落として女王になるのも自由だ。今はな」
含みのある言い方だった。
「ただし辺境伯やその関係各所には、未来永劫ちょっかいを出すな。簡単だろ?」
「……このような不自由な姿では、わたくしに反発する勢力を抑えられないわ。結果としてゼンフィス卿が不利な状況に陥ることもあるでしょうね」
今できる精一杯の脅し文句だったが、効果はあったようだ。
男はふむ、としばらく考えてから。
何かを放り投げた。つい今しがたまで何も手にしていなかったのに。
ごとりと落ちた金属製のそれは――。
「首、輪……? しかも、それはまさか……」
「〝不自由の首輪〟だっけ? まあ、そいつは特別製だ。替えはきかない。でもそれを嵌めていれば、お前は今まで通り『自由』に動ける。ずっと頭を支えてなくても済むってことだ」
王国では、軽犯罪を起こした者は一定期間の奉仕活動を科せられる。その間は行動を制限され、通常の生活から離れなくてはならなかった。
その印が、鉄製の粗末な首輪――通称〝不自由の首輪〟を嵌めること。
「王妃であり閃光姫であるこのわたくしに、罪人と同じ恥辱を味わえと!?」
「お前にはお似合いだ」
あまりに強く奥歯を噛みしめたため、彼女の唇の隙間からつぅっと血が流れ落ちた。
「返答はいらない。行動で示せ。もし俺の気に食わないことをしでかしたら、その魔法はすぐに解く。首を刎ねたあとに施した魔法だ。それを解いたら……わかるよな?」
――死。
切断面から血が噴き出し、ただちに命はついえるだろう。最高レベルの治癒魔法をすぐさま行使しても、間に合うかどうか……。
「話は終わりだ。そんじゃあな」
告げて、男は実にあっさりと、闇に溶けこむように姿を消した――。
時が止まったかのような静寂の中、ギーゼロッテはよろよろと歩を進める。膝を折り、頭部を片手で支え、もう一方の手を伸ばした。
鉄製の冷たい感触に、思わず手が止まる。
言いなりになる屈辱もあるが、はたして男の言葉を信用してよいものだろうか?
(殺すつもりなら、すでに殺しているはず……)
殺さない理由があるに違いない。
自分が死ねば、『次の座』を狙う者たちで国内は荒れるだろう。それを嫌ったのか?
もしそうだとしても、あれほどの実力があれば単身で国を奪うことも可能。むしろ荒れたほうが男には都合がよいとも思えた。
王妃は、考えるのをやめた。
かちり。
首輪を嵌めた。不思議なことに、反発しあっていた頭部と体は、逆に引き合うようにして貼りついた。
よろよろと立ち上がり、鏡台の前へ。
艶やかだった黒髪はぼさぼさで、憔悴しきった顔。そして罪人の首輪。実に情けない姿をしていた。
ギーゼロッテは凋落真っ只中の貴族家に生まれるも、その素質の高さから国を挙げての英才教育を受け、期待に違わず成長した。
まさに天賦の才を得て、エリートコースのトップをひた走ってきたのだ。
栄光の歴史に、一点の曇りもなく。
いや、ただひとつ、極めて出来の悪い子を授かったことくらいか。
まだこれから先、さらなる高みへ駆け上っている途中で。
自ら膝を折って立ち止まるなど許されない!
「こんな、もの!」
衝動的に首輪に手をかけた。錠のない首輪は留め金をカチリと外せば簡単に取れ、
「わ、わわっ!」
瞬間、頭が天井へと弾き飛んだ。
懸命に落下地点を予測して受け止めようとするも、するりと手から零れ落ちた頭部は、ゴンと床に落ちた。顔面を強打し、自慢の高い鼻から血が滴る。
手探りで首輪を付け、見えない中でようやく再び頭をあるべき場所に戻した。
床を舐めるような四つ這いの姿勢は、どれほど無様であろうか。
閃光姫ともてはやされ、すぐそこに国の最高位が手の届く場所にあった、はずなのに。
「ふは、ははははは、は……ぐ、く……ぅ、ぅぅぅ…………」
声を押し殺し、光を浴び続けてきた女は、生涯で初めて涙を流した――。
その日を境に、王妃は公式の場に滅多に現れなくなった。
首輪姿は当初こそ『奇抜なファッション』と捉えられていたが、『誤って嵌めたら外れなくなったのでは?』との憶測が飛ぶようになる。
しばらくして罪人の印が首輪ではなく、腕輪に変えられたことが後押しともなり、憶測は失笑を呼ぶ。王をないがしろにする彼女の振舞いに怒る者たちの、格好の攻撃材料となった。
王妃の威光はじわじわと、そして確実に失墜していく。
内乱が起こらないギリギリのラインを保ちつつ。
首筋に張り付く『死』の恐怖に彼女は怯えながら。
五年が経った――。
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