はじめてのおでかけ
がらごろと馬車が行く。豪奢な王家用の箱馬車の中で、俺は揺られていた。
「おうじ、らくたんすることは、ありません。あにうえさまに、かてるはずないのですから!」
俺の隣では、さっきから絶賛俺を持ち上げ中の幼女がいる。
「いっきうちをいどんだゆうきを、ほこるべきです!」
幼女の正面では、頭を掻きむしりながらギリギリ歯ぎしりしている男児がいた。
本人は王子をディスってる自覚はないのだろうが、俺を持ち上げれば結果として、彼の耳には皮肉に聞こえる。幼女恐るべし。
「おいシャル、もうやめて差し上げろ」
「うるさいな! お前に同情されるほうが僕には屈辱だ!」
ライアス君、幼女にはいっさい反論しなかった(できなかった?)のに、俺には突っかかってくるのね。
「だいたい、なんでお前まで付いてきてるんだよ。僕が誘ったのはシャルロッテだけだぞ」
「え、今さらじゃない?」
出発してから三十分は経ってますよ?
まあ、俺だって来るつもりはなかった。正確には、光学迷彩結界で誰にも気づかれないよう、こっそり後をつけるつもりだったのだ。
けど出発直前に父さんから一緒に行ってほしいとお願いされ、渋々承諾した次第。
「よいではありませんか、ライアス。この機会に、ハルト君からいろいろお話を伺いましょう」
「ふん。こいつから何を訊くってんだよ」
「敗北は恥ではありません。勝者から真摯に敗因を受け止めてこそ成長があるのですよ?」
「僕は負けてない!」
「いえ、まけてました」
「そうですね。明らかな敗北です」
このお姉ちゃんも幼女に負けず劣らず容赦がない。
「ぐ、ぬぬぬ……。だいたいお前! あのとき何をやったんだよ? 魔法なんて使ってなかったろ?」
「私も不思議に思いました。魔法を使った形跡がないのに、あれだけの運動能力を引き出せたのはなぜですか?」
ここまでシャルの一人舞台だったが、話題の中心が俺になってしまう。
「魔法は使ってましたよ。王子と対峙したときに。こう、『強くなーれ』って感じの詠唱をしたら、自己強化できるんですよね。なんの魔法かは自分でもちょっとわからないですけど」
「なんだよそれ!?」
「なんですかそれ!?」
おかしいな。父さんは『なるほど……』って納得してくれたし、フレイやシャルは『さすがハルト様!』って言ってくれたのに。
「お前、詠唱なんてしてなかっただろ?」
「まったく口が動いた様子がありませんでした」
「俺、腹話術が得意なんですよね」
「ふくわじゅつ?」
「どのような魔法技能でしょうか?」
「こんな感じです」と俺は口を閉じたまま、鼻から息を出すと声が出る結界を作って披露した。
「気持ちわる!」
「ぇぇ……」
おかしいな。これは家族みんなに大ウケだったんだが。解せぬ。
「お前、もしかして『魔族返り』じゃないのか?」
「ッ!? ライアス、言ってよいことと悪いことがありますよ!」
「でもそう考えないとおかしいだろ。こいつの場合」
「ですが、それは……」
よくわからんことを言う二人。知ってるか? とシャルに問うも、ふるふると首を横に振る。可愛い。
「祖先が魔族と、その……交わって、数代後に突如として魔族の特徴が表に出ることが極々稀にあるのです。常人を超える運動能力や、高い魔力といった特徴を備えている場合もあります」
一般にはおとぎ話レベルだが、実際に過去、そういう事例があったらしい。機密事項とか。
「で、身体的特徴もはっきり現れる。お前、角はないし耳や目も変じゃないけど、体に鱗とか尻尾とか生えてないか?」
「あにうえさまのおからだは、つるつるすべすべで、そういったものはありません。いっしょにおふろにはいっている、わたくしがいうのですから、まちがいないです」
俺は背中とか注意して見たことない。でもシャルが言うなら大丈夫っぽいな。まあ、生活に支障ないならどっちでもいいけど。
ん? 二人ともどうしたの? 顔を真っ赤にして――。
「いいいい妹と一緒に風呂だと!?」
「どどどどどういうことですか!?」
わお。びっくりした。
「お、男と女でなんて、ありえん!」
「そんな破廉恥なことを、どうして……」
いや、俺が誘ったわけじゃないよ?
シャルは俺がどこにいようがお構いなしで接近してくる。風呂も例外ではない。むしろ服を着て突撃してこないだけ良識があると思うのだけど。
だいたい、俺らまだ子どもだぞ? 俺の中身はまあアレだけど、生まれたころから知ってる妹だし、俺自身も肉体が第二次性徴を迎えていないから、いやらしい気持ちには一切ならない。これホント。
などと饒舌に語れず黙っていると、
「いけない、ですか……?」
我が妹が、この世の終わりみたいな表情をしていた。
「あにうえさまと、おふろをごいっしょしては、ダメ、ですか……?」
「え、いや、ダメって言うか、ふつうは誰もしないっていうか……」
「そもそも男女がお互いに肌を晒すというのはとても特別な意味合いがあって、ですね。そのなんと言いますか子孫繁栄のための崇高な試みが――」
お姉ちゃんはちょっと落ち着こう?
まあ、こんな感じで。
賑やかに時間は過ぎていき――。
「あにうえさま、すごいです。はたけに、くさがたくさん。すごいです!」
我が妹の語彙力。興奮しすぎて『すごい』を連呼している。
春の終わり。小高い丘の上から見下ろす景色は、一面の麦っぽい何かの畑。黄金色に輝くそれが、視界を塗りつぶしていた。
日本人の俺感覚では、今の季節は田植え時期だから不思議な感じだ。
シャルはあっちに行ってはぴょんぴょん跳ね、こっちへ来てはじっと畑を眺めている。
ひとまずここで休憩し、丘を下って農家のみなさんにご挨拶するのがこれからの予定だ。
護衛の兵士さんたちは二手に分かれ、警戒に当たる部隊と食事をする部隊とでそれぞれ行動に移った。
「ねえ父さん、ちょっといいかな?」
俺はゴルド・ゼンフィス辺境伯に近寄って声をかけた。
「ハルトか。今日はすまんな。無理を言って連れ出してしまって」
「いや、それはいいんだけどさ。ちょっと訊きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
俺はどう尋ねるかすこし考えてから、まとまらないのでストレートに質問した。
「もし、仮にだよ? 王妃がシャルの命を狙う、なんてことがあったら、どうする?」
父さんは目を丸くして固まった。
「あ、ゴメン。変なこと訊いて」
「……いや、そうか。お前もなんとなく危機感を抱いていたのだな。どうりで滅多に外どころか部屋からも出てこないお前が、やたら素直に同行を承諾したわけだ」
父さんは何やら納得顔で言った。俺は渋々だったけどね。
「儂は、今がまさにそのときではないかと危惧しておる。急遽ライアス王子が視察団に参加した。あの女の子飼い連中を引き連れてな」
おお、父さんは気づいていたのか。
「そして昨日、晩餐会の席で王子がシャルロッテを農地視察に誘った。この機に何か仕掛けてくると考え、お前を連れ出したのだ。黙っていて、すまなかったな」
「ん? 俺を? なんで?」
父さんは、はしゃぎ回るシャルを眺める。
「儂が同時に守りきれるのは二人までだ。そして立場上の優先順位からすれば、王子と王女に限られる」
つまり、わかっていても愛娘を放棄する選択しかない、ということか。
「だから、お前に託そうとした」
「え、俺まだ十歳のガキだけど?」
「相変わらず自覚の足りん奴だな。すくなくともお前の身体能力ならば、シャルロッテ一人を抱えて城まで逃げおおせるとの判断だ」
あの召喚士たち、けっこう弱かったけどな。召喚魔法に特化してたんだろう。あ、召喚獣はそれ以上だった。たまたま支配下に置けたけど、襲われてたらどうなってたかな? 実際やってみないとわかんないな。
うーん、いろいろ面倒くさいなあ。
「いっそ王妃がいなくなればいいのに」
「滅多なことは言うな。王妃が儂を敵視しているのは明らかだが、こちらから手を出すわけにはいかん。出したところで、敗北が濃厚だ」
もうあっちが先に仕掛けてきてるんだけどなあ。
父さんは「それに」と意外な言葉を続けた。
「今、王妃にいなくなられると困るのだ」
「ん? どうして?」
「情けない話だが、ジルク国王陛下の権威は失墜して久しい。『次』を狙わんとする貴族どもは、中央にも地方にも大勢いる。連中が大人しくしているのは、王妃の存在が絶対であるがゆえだ」
「王妃が死ぬと、内乱が起こるってこと?」
「さすがに聡いな。その通りだ」
「……父さんが王様になっちゃえば?」
抵抗勢力も『地鳴りの戦鎚』がぶっとばすのだ。
俺が思いつきを口にすると、父さんは苦笑した。
「儂はその〝器〟ではない。だが、そうだな……」
父さんはじっと俺を見つめ、言った。
「当てはある。しかし時期尚早だ。まだ幼すぎる。せめて成人までは待ちたい」
なるほど、俺、誰だかわかっちゃったぞ。
シャルロッテだな!
「聡い子だ。いずれ国を動かすほどの傑物に成長するだろう」
あいつ、ちょっとアホっぽいけど頭はいいんだよな。問題は中二病からくる妄想癖だが、大人になれば治るさ。
「実力の底が知れん。いずれ閃光姫をも超える資質を持っていると、儂は思っている」
あいつの最大魔法レベルは王妃を超える。魔法の訓練を本格的に始めれば、すぐ追いつくだろうね。
「ここまで言えばわかるな? 儂がお前に何を期待しているかを」
ああ、いくら察しの悪い俺でもわかるよ。
俺がやるべきは、シャルが立派な女王になるまで守ること。そうすれば、俺は安心して異世界生活をエンジョイできるしね。
「やってくれるか?」
「もちろんだよ」
やるべきことが決まれば即行動。前世の俺からは考えられないが、今はそんな気分だ。
俺は視線を横に移す。
ライアスの護衛騎士たちが、数人集まってひそひそ話していた。
父さんは知らないけど、奴らはもう、シャルの暗殺を実行に移している。そして命じたのは閃光姫――ギーゼロッテ王妃だ。
あの女は、絶対に今後もちょっかいを出してくる。
確証はないが、そんな気がする。
なら、守ってばかりを考えるのではなく――。
「殺さなければ、何をしてもいいんだろ?」
十年ぶりの、母子再会といこうじゃないか。
俺の小さなつぶやきは、誰にも拾われることがなかった――。