用意周到
この体は実に馴染みがいい。
ルシファイラは王妃の腕をもう一方の腕で、うっとりと撫でつけた。
完全復活には程遠いものの、制限されていた機能をひとつ、またひとつと取り戻せている。
かつてお試しにと切り捨てた自身の欠片を再びこの手にするのも容易かった。
アレクセイ・グーベルクは、すでに掌握した。
本人の人格を奥へ押しやり、魔神ルシファイラに従う人格を植えつけたので眷属たる魔人と同等になっている。
彼の頭の中を覗いて得られた情報は実に貴重であり、神経を逆撫でするものだった。
(まさか、カード集めが連中の仕組んだ茶番だったなんてね)
時間稼ぎ、とシヴァは言った。その真意はアレクセイに伝えられてはいない。
(言葉通りには受け取れないわね。ただの時間稼ぎにしては遊びがすぎるのよ)
なにせ魔神本体であるはずの、シャルロッテ・ゼンフィスを前面に押し出してまでの茶番劇。
おそらく、いやきっと、こちらの目を逸らす意図がある。
では、何から目を逸らさせようというのか?
(ゴルド・ゼンフィスが王妃を糾弾せんと貴族連中をまとめ上げていることから?)
いや、それはない。
魔神の復活が完全に果たされれば、もはや王国などという小さな枠組みに固執する意味などないのだ。
そも神話時代に猛威を振るったかつての力を取り戻したなら、その力で押さえつけてやればいい。
(待って。そもそもカード集めが茶番劇だというのが、フェイクだとしたら?)
アレクセイがいつ寝返るとも知れないのだ。むしろ彼が寝返るとの想定であったなら。
(やはり、カード集めには意味がある……って、堂々巡りね、コレ)
こうやってこちらを混乱させる意図もあるのだとしたら、忌々しいほどに効果的だ。
手のひらの上で踊らされるのはまっぴら御免。
どのみちやるべきは『シャルロッテの抹殺』であり、カードはひとまず集めてから状況を見定めればいい。
そしてその間にこちらが完全復活を果たせば勝ちがぐっと近づくのだ。
あれこれ考えても仕方がない。
(ふん、せいぜい笑っていなさい。最後に勝つのはわたくしよ)
鋭い目つきで見上げる先。
大空洞の天井にまで届きそうな巨大な魔物がいた。
人の胴体を持ちながら、二本の角を生やした獅子の頭部、鱗のある竜種の尾に、巨馬の後脚が地をつかむ。
見た目の特徴以外にもいくつか魔物を組み合わせ、個々の力を極限にまで伸ばして創り上げた巨大合成魔獣が、ついに完成したのだ。
(これを王都に送りこみ、多くの市民を蹂躙すれば――)
行き場のない怨念は渦を巻き、王都の各所に仕込んだ魔法術式に吸い寄せられる。
新たに得たこの肉体への接続も済んでいるので、復活どころか全盛期を超えた魔力が得られるだろう。
もっとも、合成魔獣を使うのはそのためではない。
(シヴァのことだもの、コレが完成したのは把握しているでしょうね。そしてわたくしが王都に攻め入ろうとしていることも)
ルシファイラはシヴァの行動を分析し、ひとつの結論に至っていた。
(アレがどういったタイプの魔人かはまだ掴みかねてはいるけれど、少なくとも〝天眼〟を持っているのは確実よね)
天眼とは通信魔法の応用系、その通称だ。天から俯瞰するがごとく遠方を見通せる。空間を操る術にも長けていなければ扱えない。
(となるとやはり、その本体は三主神のひと柱である〝奴〟の可能性が高いわね……)
正直なところ、戦うには厄介な相手だ。
けれど正体が知れているなら戦いようはある。
(そのための仕込みも、順調だしね)
ルシファイラはゆっくりと瞼を閉じ、はるか王都へと意識を飛ばした――。
王都の繁華街は多くの人で賑わっている。とはいえ一本道を外れると、夕方には酔い潰れて転がる者を目にすることも珍しくはない。
真っ当な職に就く者たちにとっては、これからが楽しい時間。男たちが談笑しながら大通りを目指して歩いていると、痩せた男がやってきた。
ふらふら、ふらふら。
身なりは普通ながら、明らかに正常ではない。
しかし男たちの一人は気づかず、肩と肩がぶつかった。
「おっと、悪いな」
酔っ払いなら変に絡まれるかも、と身構えつつ謝罪する。
が、痩せた男は目を向けるでもなく、何も応じず歩いていく。
「な、なんだ? あいつ……」
「そういや、こないだもあんな奴がいたなあ」
「俺が見たのは婆さんだったな。最近ああいうの、多くねえか?」
事実、そこかしこに無気力に歩く老若男女が目立つようになってきた。多くが気づいているものの、実害がまるでないので問題にはなっていない。
だが一般市民はもちろん、ハルトもまだ気づいていない。
王都に潜む無気力な者たち。
その正体が力で人に大きく劣るものの、たったひとつの機能に特化した、魔人であることに――。