召喚士の受難
(何が、起こったのだ……)
召喚部隊を指揮する隊長――ケイリー・ゾフは黒一色の人物を凝視している。
「お、いたいた。なるほど、小川の側を拠点にしてたのか。水場は必要だもんな」
黒い男は眼前に浮いた板状の何かを見ながら楽しげに言う。
見れば見るほど異様な出で立ちだ。
つるつるして光沢のあるヘルムは、視界確保の隙間が見当たらない。首から下はなめし革のような素材のぴっちりした衣服だった。
彼の後ろには、本来なら自分たちが使役するはずの巨大な石人――ギガント・ゴーレムが大人しく控えている。
また、だ。
ナイト・スケルトンの軍勢のみならず、ギガント・ゴーレムまで奪われた。特に後者は男がやって来るまでは、こちらの命令に従っていたのに。
「こっちの異常には気づいてないし、拠点の奴らは後回しでいいかな。そんじゃ――」
詠唱もなく、見えない何かで次々に仲間を沈黙させた。逃げようにも透明な壁に阻まれて、蹂躙されるがままだった。拠点の位置が知られたのは、乱戦の最中に朦朧とした部下の一人が口を滑らせたのだ。
いや、そんなことよりも。
「尋問を始めるか」
ゆっくりと近づいてくる男に、ゾフは震える声を投げかけた。
「今、何が起こっているんだ……?」
ゾフの首から上だけが、大岩の上に置かれている。
「私たちはどうして、生きている……?」
眼下には、地面に転がる人の頭、頭、頭……。ある者は恐怖に引きつり、ある者は目が虚ろ、ある者は現実を受け止められずに薄ら笑いを浮かべていた。
みな、生きている。
首から上だけ、残された状態で。
「ああ、それですか? 前に盗賊相手に思わず首を刎ねちゃって、血を止めるついでに切断面を離れたままつなげてみたら、死ななかったんですよね」
男は奇妙な声音で、慇懃とも軽薄ともとれる言葉を連ねる。しかし何を言っているのかまったく理解できなかった。
「いやあ、あのときは焦りましたよ。連中のアジトを訊かなきゃいけないのに、殺しかけたから。でもケガの功名って言うんですかね? 摩訶不思議な自分の状態に、こっちが訊いてもないことをゲロってくれました。だから――」
男はやたらと饒舌にまくし立て、
「尋問するには、これがいいのかなって」
ぞわりと、ゾフの背に怖気が走った。
体の感覚はある。しかし首から下を何かですっぽり覆われているようで、力は入るが動かせなかった。
息もできる。声も出せる。ドクンドクンと、忙しない鼓動も感じられる。
頭と体が、分かたれているのに……。
「あ、すみません。さっきから俺、馴れ馴れしいですかね? 知らない人と話すのが苦手で、相手が黙ってると間を持たせるのに一方的にしゃべっちゃうんですよね。えっと……貴方のは、どれだっけな?」
男が、足元を物色し始めた。そこには、ゾフたちの体が横たわっている。
「あ、これかな? ローブの胸のとこに紋章みたいな刺繍が入ってますね。隊長っぽい」
たしかに、あれは自分の体だ。
「よっ、と」
「ひぃ!?」
「大丈夫ですよ。持ち上げただけですから」
そんなのは見ればわかる。だが数メートル離れたところにある体に触れられた感覚が、確かに感じられたのだ。
これから、どれほどの苦痛が与えられるのか。
ゾフはただただ恐怖した。
「じゃあさっそく、貴方の名前を教えてください」
「……」
「所属は言えますか? 俺が知ってるかは別にして」
「……」
「どうして召喚魔法を? 目的はなんですか?」
「……」
言いたくないのは事実だが、嘘をつこうにも恐怖のあまり口がうまく動いてくれなかった。
このまま黙っていれば、当然の結果として自分は死ぬ。男の気分次第で、いつでも、確実に。
正直に話したところで、命を助けてくれる保証はどこにもない。
そもそも、これだけ見事に任務を失敗したとあっては、閃光姫が許してはくれないだろう。
話しても、話さなくても、死はもはや決定事項だ。
ならば――。
「……私は、何も話さない」
せめて死に際だけは、無様でありたくなかった。
「ふ、ははは……、我が忠義を見せてやろう。たとえどれほどの苦痛を受けようと、何も答えるつもりはない!」
「えっ、さっきは部下を置いて逃げたくせに?」
「言い訳はしない。だが異常をこちらの部隊に伝える必要があった。負傷し、隊長である私が率先してあの場を離脱すれば、部下たちも後に続いて――」
どさり。
「ぎゃわぁ!?」
「あ、すみません。落っことしちゃった。わざとじゃないです。ホントですよ? でも、今のって言い訳ですよね? カッコよくないと思います、そういうの」
ゾフは涙と鼻水と涎で、顔中を濡らしていた。
(無理、無理無理無理無理無理だぁ……。拷問なんて、耐えられない……)
今の痛みはそれほどでもなかった。しかし痛みは確実に伝わってくると、思い知らされた。
(私は、どうすれば……)
仮にこの場をやり過ごせても、閃光姫の責め苦はこの黒い男以上かもしれない。
もう、いっそ殺してくれ。
(待てよ? 気が触れた演技をすれば……)
拷問する相手は他にもいる。正気でない者に自白を強要させはしないだろう。
自分が話さなければ、王妃の叱責も免れるかもしれない。
タイミングを見計らっていると、男はゾフの体を拾い上げようとして、止まった。
しばらく何かを考える素振りを見せたあと、ゾフたちのほうへ近寄ってくる。
ゾフではなく、地面に置かれた部下の一人に手を伸ばし、
「ひっ、なんだよ!? やめて、助けてください!」
髪をつかんで持ち上げた。
「ごめんなさい、持つとこ他にないんで。でも頭だけの重さだから、そんなに痛くはないでしょ?」
男は再びいくつもの体が横たわるところへ戻る。
「いやこれ、ホントわかんないな……。あ、そうか。〝つながり〟を意識すれば……あった、これだな」
「いやだ、やめて……。たす、けて……」
男は空いた腕で体をひとつ持ち上げる。軽々と担いで歩き出し、木々の中に隠れてしまった。
悲鳴はない。
重苦しい静寂が、どれほど続いただろうか。
やがて、二人が姿を現した。
部下は、体の上に頭がのっかっている。
それこそ正常な状態なのに、ゾフの目には異様なものに映った。
部下は安堵しつつも困惑したような、複雑な表情だ。
だがしっかりと自分の足で歩いていた。
男に促され、ゴーレムが薙ぎ倒した木に腰かける。何事か話しているが、ゾフには聞き取れなかった。
「次は……貴方かな」
男は再び、別の部下の頭をつかんだ。
「まさか……」
ゾフは、男の意図を読む。
一人一人連れ出して、元の姿に戻す代わりに洗いざらい白状させるつもりなのか。そうして嘘を言っていないか、それぞれの証言を突き合わせて確認するのだ。
三人目が連れていかれ、頭と体がつながった状態で現れる。三人は並んで木に腰かけ、互いに言葉を交わさないどころか、目も合わせずうつむいていた。
(後ろめたいのか? おい、こっちを向けよ。裏切り者どもが!)
ふつふつと怒りが湧くと同時に、してやったりとほくそ笑む。
拷問の恐怖に耐えていた自分がバカに思えるが、これでもう、心おきなく――。
「……私の名は、ケイリー・ゾフ。王妃様直轄の、召喚士部隊の隊長だ」
「た、隊長?」
「何を……」
地面に並んだ部下たちが困惑する中、ゾフは淡々と続ける。
「明日、農地の視察へ向かう一行を召喚獣に襲わせるため、ここで準備していた。王妃様の命令だ」
「どうして王妃が自分の子どもたちを襲うんですか?」
「目的はシャルロッテ・ゼンフィスの抹殺だ」
わずかな沈黙。
「なんで王妃が、シャル……ロッテちゃんを狙うんだよ?」
初めて男が感情を露わにしたと感じ、ゾフは恐怖よりも高揚が先に立ち、饒舌になる。
「彼女の素質は閃光姫をも超える。辺境伯の後ろ盾があれば、いずれ国が二つに分かれると危惧してのことだ。その意味で、領内に魔物の侵攻を許した咎でゼンフィス卿の発言力を低下させる狙いもある」
けっきょく彼は襲撃計画の全容を余すところなく語った。
遠く、三人の部下が非難するような眼差しを寄越している。
(ふん、お前たちが先に語ったくせに、なんて目をしているのだ)
と、男が振り返り、その三人に顔を向けた。ゾフと三人を、交互に見る。
そして――。
「うん、嘘は言ってないっぽいね。ありがとう、話してくれて。けど酷い話だなあ。あわよくば王女に罪をなすりつけて、場合によっては王子が負傷してもいい、とかさ。ま、あの女ならやりかねないか」
「へ?」
この男は、何を言っている? まさか……。
「私が話した内容のほとんどは、あの三人も言っていたのだろう?」
「ん? 言ってないよ?」
「……なん、だと?」
「あの人たちには『大人しくしてたら元に戻すよ』って言っただけ。バラバラなことを話されたら、どれがホントでどれがウソかわかんないしね」
男はあっけらかんと言い放つ。
「あーあ、そんな絶望したような顔しちゃダメでしょ。『本当のことを言ってしまった』って、これまた白状してるようなもんだよ」
「は――、ぅ、ぁ……」
声がうまく出せない。呼吸のやり方すら忘れ、心臓が激しく跳ね踊った。
「ま、いちおう拠点にいる奴らや、骨骨軍団が捕まえた連中にも訊いてみるけどさ」
さて、と男は軽い口調から一転、冷淡な声音に変わる。
「お前らって、上からの命令だから仕方なく従ってたのか?」
質問に、一人が叫ぶ。
「そ、そうです!」
続けて方々から、堰を切ったように声が上がった。
「王妃の命令には逆らえません!」
「本当は嫌だったんだ!」
「だから助けてください!」
背後の三人もそれぞれ命乞いをする。
ゾフの怒りが爆発した。
「貴様ら、よくもぬけぬけと。貴様らも私と変わらない。楽な生活のため、王妃に媚びを売っている浅ましい連中だろうが! ここにいる全員がそうだ!」
「うるさい!」
「アンタにはもう従わない」
「せいぜい一人で殺されていろ」
嘲りの表情が物語る。
彼らは解放されたのち、ゾフ一人に罪を被せて王妃に報告するつもりだ。口裏を合わせ、全員が。
「あーもー、うるさいなあ」
ぴたりと、怒声が止まった。
「てかさ、嫌ならなんで、お前らはここにいるんだ?」
「そ、それは……王妃には逆らえないから……」
「ふうん、王妃ってそんなに怖いんだ。でもさ、やっぱり小さい子を殺そうとするなんて、よくないと思うよ? うん、お前らは生かして辺境伯に引き渡すつもりだったけど――」
男が、ゆっくりと片手を持ち上げる。
「気が変わった。俺の可愛い妹の命を狙ったんだ、許してやらない」
男が自らの正体につながる言葉を告げた瞬間、ゾフたちは自らの運命を悟った。
「運が悪かったな。いや、お前らは仕える主を間違えた」
パチン、と。
男が指を鳴らす。
――じゃあな。
最後の言葉は、誰一人の耳に届くことなく。
元の姿に戻ったはずの三人も含め、黒い男以外全員の意識が、ぷっつりと途切れた――。