やっぱり弱い魔人さん
妙なドアをくぐったら、そこは雲の上だった。
さらに奇妙なことに、
(あれは……床?)
訝るムルザラの視線の先には、格子状の模様が入った白く円形の巨大な床が浮いている。
そこにぽつんと置かれたひとつのドアから、ひょいと全身黒ずくめの人物が姿を現した。
「けっ、転移魔法かよ。妙な魔法具を使いやがって」
同じく転移させられたウリムが、空中で体勢を整えぎろりと睨む。
「けど場所を移したからなんだってんだ。オレらを一人で相手するつもりか? 舐められたもんだぜ!」
そう、舐めている。
転移に困惑するその隙をつきもせず、あえて正々堂々と戦いの場を設けたのだから。
「なに、君たちと戦う様を楽しみに待っているちびっ子がいるのでね。ちょっと卑怯なとこ見せられないんだよなぁ……」
後半は小声になったものの、ムルザラは聞き逃さなかった。しかし意味はわからないし、真面目には受け取れない。
(あのオルセが簡単に倒された。うん、アレは無理。勝てない)
かつて音信不通となったメルキュメーネスを始末するため派遣された魔人、オルセ。
強襲・殲滅に特化した彼が為す術なくやられた相手。
けれど――。
(黒い戦士、シヴァ……。その力を、すべて暴いてやる)
ムルザラは長く伸ばした四つの腕の手のひらに魔力を集める。黒い霧上のものが渦を巻き、球形に収束した。
めきめきと腕に力をこめ、思いきり投げつける。
黒い球体はうなりをあげてシヴァへと襲いかかった。
「ほう? 面白い。野球はやったことないが、その剛速球を打ち砕く!」
何やら意味不明なことを言って、シヴァは半身に構えた。
その手に、木の棒らしきを握りしめ、
カキーンッ!
あり得ない音が鳴った。
棒を振ったと思ったら、これまたあり得ない感じで黒弾のひとつが弾き飛ばされる。
「まだまだぁ!」
ささっと移動し、黒弾のひとつを待ち受ける。
またもカキーンッと心地よい音色を響かせて、黒弾は空高く舞い上がった。
(接触した瞬間の音を消し、別の音を発生させた。あたしの魔法球が破壊されないよう結界で保護して飛ばしてる、か)
ムルザラは彼が持つ木の棒にも注目する。
(あれも結界で作ったものか。床もそうだけど、なんの意味が?)
わざわざ形状を棒型にする必要性が見えてこない。互いに空を飛べるのに床を用意した意図も。
けっきょく四つの黒弾は空の彼方へ飛んでいく途中で消え去った。保護するための結界が弾けたのだ。
「ふっ、おぼろげな記憶だったが様にはなっていたはず。たぶん」
木の棒を肩に担ぎ、満足げなシヴァを注視する。
(さっきあいつは言ってた。『ちびっ子』とか、『卑怯なとこは見せられない』とか…………………………っ!?)
まさか、とムルザラはひとつの可能性に思い至る。
が、思考を邪魔するようにウリムが叫んだ。
「これならどうよ!」
無数の黒弾を撃ち放った。
「む? さすがにそれは打ち返せないな」
シヴァは慌てる様子もなく、
(うそ……)
背後にあちらも無数の小さな光輝く球体を生み出す。
(あれも結界? なのに……)
光弾が飛び出す。まるでそれぞれ意思でもあるかのように、黒弾をひとつひとつ丁寧に砕いて消した。
オルセが死の間際に上位存在――魔神ルシファイラへ伝えたとおり、シヴァは結界を自由自在に生み出し動かせるようだ。
とはいえあれだけの数を作り、黒弾の軌道を捉え、正確に撃ち砕いていく。
(魔力の、桁が違う……)
正確には測れない。しかし少なくとも魔神クラスの魔力量だとムルザラはおののいた。
「くそっ! なんだってんだよ、こりゃあ……」
さすがのウリムも戦意が喪失しかけている。
「ふっ、やはりお前たちはあの……ええっと、名前なんだっけ? 狼だか豹だかに変身した奴」
「オルセのことかよ」
「たぶんそれ。そいつと同じで弱っちい魔人だろ? あいつは見掛け倒しだったなあ」
ハッタリとは思えない。
ルシファイラの使徒でも最強を誇るオルセを『弱い』と断じたシヴァの実力は、おそらく魔神が生み出す中で最強にして最高クラスだ。
「もう打ち止めか? ならば、こちらから行かせてもらう!」
シヴァは木の棒を消し去ると、両手にそれぞれ妙な武器を生み出してつかんだ。
(たしか、『魔法銃』とかいうんだったかな)
彼に近しい存在、ハルトと呼ばれる少年が学院で使っていたものだ。
シヴァは魔法銃を乱射する。
ムルザラは四本腕で必死に叩き落とそうとするも、魔弾の数が多くていくつも体に食らった。
ウリムは抗う間もなく翻弄され、空中で魔弾を浴びまくっている。
(やっぱり、アレには勝てない)
ムルザラは諦念に染まるも、口元はわずかに綻んでいた。
(でもわかった。あいつは魔人だ。そしてあいつを作った魔神は、その力のほとんどをアレに移してる。なら――)
上位存在たるシヴァを創りし魔神を探し、倒せばいい。
(きっと、あのウザいチビだ。人に成りすましてる意味はわかんないけど、きっと……)
シャルロッテの顔を思い浮かべたころには、体中が鈍い痛みに包まれて指先ひとつ動かせなかった。
ウリムはすでに意識がない。まだ死んではいないが抵抗はできないし、意味はない。
「こんなもんか。ちょっと一方的過ぎたかな。まあ、そこは編集でうまいことやろう」
またも意味不明につぶやいたシヴァから、禍々しいほどの魔力を感じた。
「さて、ちびっ子に見せる手前、血がどばーっと吹き出したりするのはマズかったんだが……こっからは容赦しない」
本当に意味がわからないが、どうやらようやく殺してくれるらしい。
(でも、いい。役割はこなした。ウリムのバカは知らなかったけど、あたしたちの役割はただの調査。こいつの本質を知り、ルシファイラ様に伝えるだけの存在なんだから……)
ここでの情報はすべて、リアルタイムでルシファイラへ送っていた。
(だからもう、いいよね、ルシファイラ様……………………あれ?)
おかしい。何かがおかしい。
「どうして、何も応えてくれないの……?」
「なんだよお前? 俺に何か質問があるのか?」
「違う! 応えて! 応えてよぉ!」
首をひねるシヴァが、ぽんと手のひらを叩いた。
「お前もしかして、念話的な感じで魔神とかいうのとやり取りしようとしてた?」
この際バレても構わない。
「そうだよ! でも、どうして……」
「できないってか? うーん、たぶんだけど、ここを囲ってる結界のせいじゃないか?」
「……は?」
「人里からは離れてるけど、流れ弾とかが誰かに当たったらマズいからな。ここを中心にした半径一キロの球形結界を張っておいたんだ。外から光とか空気は入ってこれるけど、外へは光すら通さない。見られても困るんでね」
「うそ……うそだよ、それじゃあ……」
「ああ、念話的な何かも、通さないと思うよ?」
絶望に、押しつぶされる。
「んじゃ、余計なことされる前に」
自身とウリムの体がふわりと浮いた。球体の中に閉じこめられ、その球体が徐々に小さくなっていく。
(せめて、なにかひとつでも情報を……)
どうやって伝えようかと思案する間もなく。
ぷち。
二人は点となって消え去った――。