王女、戦慄
(いったい、何が起きたと言うの……?)
マリアンヌは我が目を疑った。
起こった事実は、彼女にもはっきりと認識できている。
ライアスが自己と武器を強化し、常人を超えるスピードでハルトを襲った。ハルトはその突進を上に飛んで避け、木刀の先でライアスの後頭部を軽く突いたのだ。
だがこれはあくまで表面上のこと。今の一連の流れには、不可解な点がいくつもあった。
まずもって不可解なのは実力差。
ライアスの現在魔法レベルは9で、ハルトとの魔力量はおよそ二十倍に及ぶ。
魔法の力は魔力量に直結する。魔力量は、魔法の発動時間、威力、持続時間、並行発動など、魔法に関するあらゆることに影響するのだ。
ゆえに魔法レベルで大きく上回るライアスが、不覚を取るなどあり得なかった。
油断はあったろう。侮っていたのは確かだ。
しかしライアスは筋力強化、俊敏上昇、自己軽量化、反応速度上昇。さらには武装強化を、詠唱最適化でほぼ同時に重ね掛けした。
わずか九歳で恐ろしい才能の片鱗を見せつけ、圧倒的な力でねじ伏せるつもりだったのだ。
魔法レベル2のハルトでは、防御系魔法で対抗しようとしても発動が間に合わず、反応すらできずに片足を折られていたに違いない。
だが現実は、真逆に進んでいた。
「だから言ったではありませんか、王子殿下。『実力が違い過ぎます』、と」
すぐ隣からのつぶやきを拾う。
「ゴルドおじ様、彼はいったい……」
マリアンヌは動揺のあまり公私の区別を忘れる。
ゴルドもそれに応じる。
「驚くのも無理はない。あやつが何をしているか、儂にもさっぱりわからぬ」
「は?」
「魔法を使った形跡は見当たらぬのに、魔法で自己強化した以上に体を動かしおる」
魔法レベルが極端に低いハルトが、将来すこしでも活躍できるようにと剣の稽古をつけているものの、この城でまともに剣を交えられるのはゴルド以外にはいなかった。
「形跡……そ、そうです。彼は、いつ魔法を発動したのでしょうか?」
事前に自己強化系魔法をかけていたとしても、魔法レベル2の彼では一分も持たない。そも複数を重ね掛けは不可能だ。
対峙してのち、ライアスより先に? それはあり得ない。彼は詠唱をしていなかった。無詠唱発動は、魔法レベル一桁では行えない。魔法の種類にもよるが、最低でも30は必要だ。
「わからん」
「ぇぇ……」
十年を共に過ごしてきた父親がわからないのに、自分がいくら考えても無駄に思える。
だが、魔法でなければ彼の動きは説明できないのも事実。
「彼、飛んで避けましたよね? そのあと、空中で停止しませんでしたか?」
予備動作はまったくなかった。飛翔魔法? これまたあり得ない。魔法レベル30以上でしか使えない、Bランクの魔法なのだから。
「あれも、魔法ではない、と?」
「どうだろう?」
「ですが、何かしらの魔法は行使しているはずです。でなければ……」
マリアンヌは視線をハルトへ移した。
ちょうどライアスが立ち上がり、彼に木刀を振るったところだ。大人顔負けの剣速で何度も何度も剣を振り、そのたびに風を切り裂いた。
「く、くそ! どうして! 当たらないんだ!」
今にも泣きそうな顔で剣を振り回すライアス。
対するハルトは、ひらりひらりと、実につまらなさそうに躱している。あくびでもしそうなほど、やる気がなかった。
「あっ! ほらおじ様、今の動きも不自然でした。空中で移動方向が変わりましたよ? というか、さっきからほぼ浮いてますよね? 足を動かしてもいないのに、地面を滑るように移動していますよ!」
「ああ、そう見えなくもないな」
「いえ確実に。おかしい、ですよね?」
「おかしい、よなあ」
「不思議には、思われないのですか?」
「不思議ではある。稽古中に何度か指摘し、何をしたのか問うたが、本人もわかっていない風だった。だからあやつは〝そういうもの〟だと思うことにした」
ゴルド・ゼンフィス辺境伯といえば、土属性魔法では国内で右に出る者がいないとされる強者だ。『地鳴りの戦鎚』の異名は伊達ではない。
閃光姫と魔王討伐の特殊部隊を組んだ彼を、マリアンヌは尊敬している。
(尊敬は、今でもしているのだけど……)
わりと大雑把なところが玉に瑕でもあった。
「見ろ、マリアンヌ。ハルトが足を動かしている。見事な足捌きだ」
「……私たちの会話が聞こえているのでは?」
「……そうかもしれん」
よほどの聴覚でなければ、聞こえない距離と声量だ。もうわけがわからない。
(いったい、なんだと言うの……?)
秘密を探りたいが、方法は思いつかない。
「くっそぉおおぉぉ!」
ライアスが苦し紛れの大振りを敢行。ものの見事に躱された。勢い余った彼は、バランスを崩して盛大にすっころぶ。高級な服も端正な顔も土にまみれ、『無様』以外のなにものでもなかった。
と、ライアスは地面に突っ伏したまま、小さく口を動かした。
詠唱だ。
剣での勝負であるのに、あれは――。
「ライアス、おやめなさい!」
ゴルドも気づいて飛び出そうとした。しかし、間に合わない。
「これでも、食らえ。ファイヤーボール!」
突き出したライアスの右手が、すぐ側にいるハルトへ向けられた――。
☆☆☆☆☆
さて、さっきからお姫様と父さんの会話は筒抜けなわけだが。
体を動かすのが面倒くさくてこっそり飛び回っていたが、やっぱり見る人が見るとわかっちゃうのね。父さんはいろいろ諦めてくれてたけど、知らん人たちの前でやるんじゃなかったな。
魔法で強化したライアス以上に俺が動けているのは、当然、結界魔法のおかげである。俺の体を覆う結界が、パワーアシストスーツみたいに機能しているのだ。
ただこれ、ちょっと大雑把にしか動かせないので、面倒くさくなって宙に浮きたくなる。そのうち細胞単位で強化するようにグレードアップしたいと思う。
まあ、べつに俺が変な魔法使ってるのを知られてもいいんだけど、そこから調べられて『こいつ十年前に捨てた王子じゃね?』と疑われては困る。
せいぜい身体能力が高いね、すごいね、くらいの認識に留めておくか。
仕方なく俺は地に足をつけ、一生懸命避けてますよと演技してみた。
ていうか、早く終わらないかな?
今さらクソガキの攻撃を受けてやられたフリをするのもなあ。ま、向こうの魔力が尽きて諦めるのを待つか。
「くっそぉおおぉぉ!」
ライアス君、最後の力を振り絞った感じで大上段から木刀を振り下ろす。
避けたらすっころびやがった。
無様。あまりに無様。
きんもちいいぃ! ぷぎゃーm9(^Д^)って実際にはやらんけどね。父さんの立場ってのがあるから。
おや? ライアス君が突っ伏したままぶつぶつ言っている。
ああ、詠唱か。
自分で決めたルールなのに、飛び道具で一矢報いようってことね。呪文からしてファイヤーボールの模様。
「ライアス、おやめなさい!」
この角度だと、避けたら城の壁に当たりそう。ふつうに受けて防いでもいいんだけど……。
「これでも、食らえ。ファイヤーボール! …………あれ?」
しん、と。
中庭が静寂に包まれる。
「な、なんで? ファイヤーボール! ファイヤーボールぅううぅ!」
魔法名を連呼するライアスが伸ばした手には、見た目何も変化がなかった。
「ライアス、貴方の魔力はもう尽きたのです」
マリアンヌ姉ちゃんがやってきた。
「ち、違う! 僕はまだ――ひっ!?」
ライアスが俺の目を見て、変な声を出した。
さすがにお前はわかってるよな。自分が、ちゃんと魔法を発動したってことに。
俺はライアスの右手のすぐ前に、平面結界を作っていた。奴が放った火の玉は、そこに吸いこまれて消えたのだ。
ここではないどこか。
次元を越えていったいどこへ行ったのかは、俺にもわからん。
「次は、僕だって言いたいのか……?」
怯え切ったライアスは意味不明なことを口にする。
「マリアンヌ、こいつは――」
「いい加減になさい! 自ら課したルールを破り、さらに醜態を晒すというのですか」
「ぐ、ぅぅぅ……」
ライアスは父さんの案内で、護衛の騎士さんたちに付き添われて客間でお休み、という流れになった。
これにて終了。無駄な時間を過ごしたものだ。
俺も部屋に戻るか、と踵を返したところで呼び止められる。
「弟が失礼しました。ところで、貴方は本当に魔法レベルが……2、なのですか?」
「……そうですよ?」
初めて交わした姉との会話は、たったそれだけだった――。