少年の現状。
少年はまた困っていた。良く困っていると自分でも理解しているらしいが困っていた。
だが今回は少女関連ではなく仕事の悩み事で、それなりに切実な悩みである。
少年はこの屋敷に来てからそこそこたつのだが、本来の目的を果たせていないのではと思い悩んでいるのだ。
何故なら少年は元々この屋敷には「執事」の勉強の為に来たはずなのだから。
だが実際は何の仕事をしているかと言えば、屋敷の掃除や食事の手伝いはまだともかく、偶に犬の散歩だったり、何故か主人のゲームの練習に付き合ったりと、どう考えても何かがおかしい。
今も何故か凄まじく広大になってきている屋敷の裏手の畑で収穫の手伝いなぞしている。
そもそも何故使用人が畑の面倒を見て、尚且つ総出で収穫しているのかと。
フリーダムな使用人や主人に振り回されて感覚がマヒしかけていたが、少年はふと正気に戻ってしまったのだ。
とはいえ籠にどっさりと野菜が乗っている時点で少々遅い気はする。
「何でこの屋敷に送られたんだろう・・・」
収穫した野菜を見つめながらポソリと呟く少年。
少年が元々居た屋敷はもっと堅苦しい空気のある家だった。
それなりの家柄の本家のお屋敷で、そこに勤める執事が祖父なのだ。
少年が執事を目指した理由は、執事として働く祖父が格好良く見えたからという可愛らしい理由だった。
小さい頃は祖父に懐いて仕事場にお邪魔し、若干この屋敷の少女の様な扱いをされていた。
その後数年を経て祖父と同じ仕事がしたいと言い、多少厳しめの指導を受けている。
だが少年は祖父の指導で学んだ事の殆どはこの屋敷では使っていない。
それがまた何とも少年の悩みを加速させていた。
「もしかして、体のいい厄介払いをされたのかなぁ・・・」
少年は肩を落として溜め息を吐き、俯きながらそんな事を呟いてしまう。
それも仕方のない事であり、少年が元居た屋敷では特に新しく人を雇う必要が無かったどころか、むしろ溢れている程だった。
そして祖父は執事として働いてはいたが、屋敷の主人が何やら祖父自身に恩が有るから雇っている様子だったのだ。
それを知ったのは祖父の口からであったが、その孫を能力も無いのに雇いはしないだろうと少年は思っている。主人が許しても祖父が許さないであろうと。
祖父は恩が有って雇って貰っているとはいえ、その仕事はきっちりとこなしているのだから。
それでも祖父を格好良いと思ったいつかの自分は嘘ではない。
だからこそこのお屋敷に勉強に来たのだ。元の屋敷の主人と祖父の言葉に従って。
「もし厄介払いされたのなら、余計に今のままじゃ不味い気がする」
少年は先の通り、自分は碌な仕事をしていないと思っている。
だがそれでも生活出来る程度の給金は貰っており、何だかんだと待遇も良い。
これに甘えていては何か足を掬われる事態が待っているのではと少年は思い始めた。
「うっす、頑張ってるな少年」
「あ、はい、旦那様」
そこに女を後ろに連れた男が少年に声をかけに来た。
少年は即座に背筋を伸ばして男に頭を下げる。
「少なくとも彼は旦那様よりはよっぽど頑張っていますね。何を上から目線で偉そうに言っているんですか。汚らわしい」
「何で雇っている側が頑張っている事を認めるとそうなるんですかね。つーかお前こそ何でぼーっと突っ立ってんだよ。働けよ。あと最後の言葉は一切関係ない悪口だよな」
男の言葉に女が文句を言いはじめ、男も同じ様に女に言葉を返す。
二人共普段通りの表情で言い始めているが、どうせ最後は殴り合いになるのは目に見えている。
少年は「また始まった」と思いながら少々距離をとった。
「働かない主人に働けと尻を叩くのも使用人の役目ですので」
「逆だろうが。主人が働かない使用人に今文句言ってんだよ」
「あら、そんな使用人が何処に――――ああ、申し訳ありません、とうとう見えてはいけない物が見える様に・・・」
「哀れんだ眼を向けんな。お前だよお前。どこぞの認知症の始まった年増だよ」
二人はその後じーっとお互いを見つめ合い、何を合図としたのか交差される拳。
綺麗なカウンターが男に突き刺さり、ばたりと地面に倒れ伏した。
結構な音が響いたにもかかわらず、誰も驚く様子を見せない辺り皆マヒしている。
何せ既に少女すら全く気にしていないどころか、むしろ最近は殴り合いが無いと調子が悪いのではと心配する始末だ。
「邪魔をしたな」
女は倒れた男の襟首を掴み、ズルズルと引きずりながら屋敷に戻って行った。
少年は何をしに来たんだろうと思いつつも、考えても無駄だと思い至って溜め息を吐く。
そして少年は後ろを振り向くと、少女がすぐ傍で首を傾げている事に気が付いた。
「え、な、何ですか、どうしました!?」
少女が自分を覗き込む様に見ている事に驚き、少年は声を上ずらせながら一歩後ずさる。
だが少女はその一歩を詰め、少年との距離を空けようとしない。
少年は戸惑いつつも少女の行動を待つと、少女は少年の頭を優しく撫で始めた。
少女は何となくだが、少年の気分が落ち込んでいる事だけは察したのだ。
そしていつもの「頭を撫でて元気を出して貰おう」を実行したわけである。
最近実績が多いので少女は自信満々に撫でている。
「あ、あの、へ?」
少年は何故撫でられているのか解らず呆けた声を上げ、どうしたら良いのか解らずに固まってしまう。
その上少女の顔が物凄く間近にあるせいで、少年の顔は真っ赤になっていた。
少女は少年の反応が少し予想と違ったので首を傾げたが、嫌がっていない事は何となく解ったのでそのまま撫で続ける。
そして少女はニコニコ笑顔を更に近づけ、少年は湯気が上がりそうな様子で固まるしか出来なかった。
「こういうのも微笑ましくて良いわねー。天使には劣るけど少年も可愛いわぁ」
「アンタ本格的に隠し撮りが様になってるね。お願いだから犯罪とかやめてよ」
「以前なら笑い飛ばしたけど今なら本当に有りそうで怖い。ちみっこには悪いけどこいつが犯罪者にならない様に標的になって貰おう」
「それだとおチビちゃんだけが被害にいつまでも遭うから、おチビちゃんが大きくなった時に訴えられるんじゃ・・・」
使用人達はそんな二人の様子を微笑ましく思いながら眺めている。
勿論一名はカメラを片手にであり、少年が困っている事は全員解っていながらだが。
この通り誰も介入しないので、少年は嬉しいのか恥ずかしいのかよく解らない感情のまま、少女が満足するまで撫で続けられる。
そのせいかそのおかげか、少年は屋敷に戻る際には無意識に笑顔を浮かべていた。
もしこれでまだ少年が気落ちしている様であったならハグが待っていたのだが、実行されなかった事は少年にとって幸せだったのか不幸だったのか。
なお、男と女は少年本人が思っているより少年の事を買っている。
出来れば元の家に戻さず、このまま屋敷で働かせたいなーと思っている程に。
少年の未来は実は本人が思っているほど暗くは無いのであった。