体調不良。
その日の少女は何だか体が重かった。
頭がガンガンと痛み、足取りは重く、腕に上手く力が入らない。
普段無意識にしている呼吸がとても辛い。そう気が付いたのは夕方頃の事であった。
余りの調子の悪さにふらつき、目も虚ろな状態になっている。
「角っこちゃん、熱出てない!?」
何だか様子がおかしい事に気が付いた彼女が少女に触れると、少女の体温は余りに高かった。
手に触れただけで熱いと解る程の体温で、どう考えても異常事態な事が見て取れる。
ただ周りが気が付けなかった事には少女にも原因があった。
少女は少し調子がおかしい気がすると気が付いていながら、心配かけまいと普段通りに振舞っていたのだ。いや、むしろ普段より機嫌が良さそうに終始ニコニコしていた。
それは朝の時点では本当に「何かいつもと少し違う」程度だったせいもあるが、やはり原因は少女が調子の悪さを隠したせいだろう。
「馬鹿者が、何で早く――――ああもう!」
女は少女に何故すぐ言わなかったと怒鳴ろうとして、それどころではないと少女を抱える。
少女は怒る女を見てポロポロと涙を流し、顔を隠す様に体を丸めた。
その様子を見て女は胸の奥がずきりと痛むのを感じながら他の使用人に指示を出し、少女を寝かせる為にベッドへと運ぶ。
「泣くな、怒っていない。心配になって強く言ってしまっただけだ」
女は泣き止ませようと思っての言葉だったのだが、少女は先程よりもいっそう涙を流し始めた。その様子に女は驚いてしまい、珍しくオロオロとしながら手が空を舞う。
だがすぐに自分の焦りをぐっと抑え、静かに少女に状態を訊ねた。
少女は泣きながらも女の質問に首を振って答えたので、そこに関してはほっと息を吐いた。
これで訊ねた事にも答えて貰えなければ、今度は女が泣きそうになっていたかもしれない。
「せんぱーい、とりあえず冷やすもの持って来ましたよー。医者は呼びましたー」
「あ、ああ、そうか。悪い、ここを頼んで良いか?」
「へ? 良いんですか?」
彼女が氷嚢の類を持って少女の部屋に来ると、女は少女の事を任せようとした。
彼女はてっきり女がつきっきりで看病すると思っていたので聞き返してしまう。
女が少女の事を大好きで大事にしている事は周知の事実なのだから。
「ああ、すまん、頼む」
だが女は顔を俯かせながら、彼女に視線を合わせずに部屋から出て行った。
その様子に首を傾げながら見送って、視線を少女に向ける。
すると少女は扉を見つめてボロボロと泣いていた。
その顔は余りに悲愴で、捨てられた子犬の様だった。
「え? え!? な、なにこれ、え、どうしたの!?」
彼女は慌てて少女の下へ寄り、少女の熱い頭を撫でながら訊ねる。
だが少女は熱のせいなのか思考が上手く回っておらず、ただ悲しいという想いが先行し過ぎてただただ泣き続けていた。彼女の疑問にも応える様子は無い。
彼女はよく解らずに混乱しつつも、とりあえず泣き止まない少女を抱きしめて頭をポンポンと軽く叩く。先ずは落ち着かせようと思った様だ。
暫く少女は泣き続けていたが、彼女のおかげで少しだけ気分が落ち着いた様だ。
まだ泣き止んだわけではないが、わんわんと鳴く様子は無くなった。
「とりあえず転がろうか。ね?」
彼女は落ち着いて来た少女をベッドに寝かせ、持って来た氷嚢を少女の頭に乗せる。
「ほら、ヒヤッとして気持ちいでしょ?」
彼女の言葉に小さくコクンと頷く少女。そこには何時もの元気の良さは欠片もない。
だが彼女は心配そうな顔は一切見せずに笑顔で少女の看病を続ける。
そうして少女が大分落ち着き、涙目ではあるが泣き止み始めた所で色々と訊ねた。
勿論少女を刺激しない様にゆっくりと、遠回りに聞き出して行く。
その結果わかった事は、少女が泣いていた理由は女が原因だという事だ。
女がおかしな様子で部屋を出て行ったのはそのせいかと彼女は納得した。
「お、角っこちゃん、お医者さん来たみたい」
窓の外を眺めながら雑談していたので訪問者に気が付き、それが医者な事も気が付く。
田舎町の医者なので訪問診療など良くある事なのだ。
とはいえ屋敷の住人達は基本健康体なので滅多にお世話にならないのだが。
「少し待っててね」
彼女はそう言うと部屋を出て良く。
少女は小さくコクンと頷くと掛け布団の中に顔を埋める。
このまま消えてしまいたい等と思いながら、少女は布団の中で体を丸めるのであった。
「先輩、ちょっと良いですか?」
「・・・なんだ?」
彼女は部屋から出て医者の下に向かわず、女に声をかけた。
女は一見いつも通りの様子で返事をしたが、反応が鈍かったことを彼女は見逃していない。
「角っこちゃんに付いてあげてください。先輩か旦那様じゃないと駄目ですよ、あれは」
「・・・私では駄目だろう」
「泣かせちゃうからですか?」
「っ、そうだ」
彼女の容赦の無なさに、言葉を詰まらせながら応える女。
女は先程反射的に怒鳴ってしまい、更に少女を泣かせてしまった事に心を痛めていた。
これ以上自分が傍に居てはもっと泣かせてしまうと思い、彼女にその場を任せたのだ。
「まあ角っこちゃんが泣いてるのは確かに先輩のせいですよ」
「言われなくても解っている!」
「怒鳴んないで下さいよ。別に咎めてるわけじゃないんですから」
彼女の言葉に女は思わず怒鳴り返してしまった。
少し怯みながらも彼女はいつもの様子で飄々と返し、女はしまったと顔を背ける。
「まああれだけ正面から泣かれちゃ焦るのも解りますけど、角っこちゃんは別に先輩に怒られたから泣いてるわけじゃないですよ」
「どう考えてもそんなわけ無いだろう」
「解って無いですねぇ。あの子先輩の事大好きじゃないですか。屋敷に来たばかりの頃ならともかく、ただ怒られただけであんなに泣き崩れませんよ」
「じゃ、じゃあ何だというんだ」
不安そうに聞き返す女に少し苦笑しながら彼女は話を続ける。
内心「今なら揶揄えるなー」等と考えていたが、後の仕返しが怖いので止めておいた。
「自分は元気で頑張らなければいけないのに、体調を崩してしまった。申し訳ない。心配させてしまった。大好きな人に迷惑をかけてしまった。だから自分が許せない」
彼女は静かに、そう語った。それは先程彼女が訪ねた少女の心情。
少女は女に怒られたから泣いていたわけではない。
いや、勿論怒られたという事がどういう意味なのかを理解して泣いてはいた。
だからこそ、とても申し訳なかった。
自分は元気で健康体で恩返しをしなければいけない身なのにという想いが暴走し、弱った体と心のせいで余計に感情の制御がきかず、ボロボロと泣きだしてしまったのだ。
そしてそんな自分を見られたくないと、見せたくないと、女から顔を隠した。
その結果女は自分が怒鳴ったせいで泣かせたと思ったのだが、中身の意味は全く違う物なのだ。
「あの子は先輩が大好きですよ。誰に一番世話になっているか、助けて貰っているか、良く解ってます。旦那様には勿論でしょうけど、先輩が嫌で泣き出すなんて絶対に無いですよ」
彼女の言葉に女は何も返せなかった。今言葉を発せば柄にもなく泣いてしまいそうだった。
なので一度深く深呼吸をして女は後ろを向く。
「私はあの子の所に居る。任せて良いか」
「らじゃーっす!」
そうして女はいつも通りに指示を出し、彼女もいつも通りに返事をする。
彼女が鼻歌交じりに医者を迎えに行くのをちらっと見て、後で礼をせねばなと思いながら女は少女の下へ向った。
「調子はど―――」
女は声をかけようとして、布団の中で丸まっている物体に気が付く。
氷嚢は枕の横に落ちているし、山になっている布団は微かに震えている。
少女は一人で待っているうちにまた悲しくなって泣いていた様だ。
「・・・まったく、こら、顔を出せ。熱があるのに頭まで布団をかぶってどうする」
女は少し間を置き心を落ち着け、いつも通りに少女に接する。
少女はそんな女に驚きつつも、少しだけホッとするものを感じていた。
だがそれでも泣き止む事は出来ず、ヒックと体を震わせている。
そんな少女を見て、女は優しく語りかけた。
「心配ぐらいさせろ。お前だって私が倒れた時心配してくれただろう。今日体調が悪くても別に構わん。またちゃんと元気になるならそれで良い。むしろ心配させて貰えない方が困る」
そう言って優しく頭を撫でる女を見上げ、少女はまた少し泣きだしてしまう。
女はこれでも駄目かと困り始めていたが、ふと手に暖かい物を感じる。
少女は確かに泣いていた。それでも女の手をぎゅっと握っていたのだ。
それだけで、女は少女の縋る気持ちが解った様な気がした。
「ああ、しっかり握ってろ。今日はずっと傍に居てやる」
縋りつく様なその手を握り返し、女は優しく少女に応える。
少女はまたボロボロと泣き出してしまうが、それは先程とは違う安堵の涙だった。
「え、まじで? あの先輩が泣きそうにしてたの? ちみっこに泣かれたから?」
「マジマジ、もうボロ泣きしそうな顔してた」
「先輩おチビちゃんの事大好きだもんね」
「でも気持ちは解るかなぁ。天使に泣かれたら私も泣いちゃいそう」
女が少女との関係修復を図っている間、他の使用人達はこんな会話をしていた。
彼女の口の軽さは留まる事を知らない。
「まじか、後で揶揄ってやろ」
「旦那様、また殴られますよ・・・」
その会話を仕事帰りで聞いていた男の呟きに、少年は呆れた様に応える。
相変わらずこの屋敷の住人は騒がしいなと思いながら、少女の下へ案内される医者であった。