お菓子作り。
「ちみっこ、これ混ぜて。クリーム状になるまでね」
複眼の使用人の指示に従い、少女はボールに入っているバターを混ぜる。
気合いを入れてバターを練り混ぜている様子を眺めてから、複眼も自分の分を混ぜ始めた。
今日の少女は複眼と一緒にお菓子作りに励んでいる。
例によって行動理由は男の発言から来る物なのだが、周囲の者達は微笑ましく想いながら少女に協力している。
フンスと鼻息荒く気合いを入れる少女が可愛くて仕方ない様だ。
複眼は普段から使用人達のお菓子を良く作っており、今日も作るついでに教える事になった。
一応屋敷の人間は全員料理が出来るし、お菓子作りも特に苦も無く出来る。
ただ頻度の高さから複眼が選ばれ、恨めしそうな眼というには余りにも見開かれた眼で女に見つめられていたが、複眼は怯える所かむしろ勝ち誇った様子で少女を連れて行った。
その腹いせに後で男が酷い目に遭うのだが、それは複眼には関係ない事である。
今日はとりあえず簡単なものからと、単純なクッキーを作る予定だ。
少女は真剣な様子でバターを練り混ぜているのだが、上手く混ぜられずに四苦八苦していた。
「あはは、ほらほら頑張れー」
複眼は手慣れた様子でバターを練り混ぜ、少女の様子に笑いながらも面倒を見ている。
その複数の目でもってバラバラの場所を見て、自分と少女の状況、そして道具の確認なども同時にやっていた。
普段から別々の場所を見ながら作業をする人間なので、料理などはお手の物である。
だからこそ少女の先生に選ばれた部分もあるのだが、女も普通の人間でありながら同じ事が出来るので、女の悔しさは半端な物ではないだろう。
「お、上手く混ぜれたね。んじゃグラニュー糖と塩入れてまた混ぜようねー」
少女はバターがクリーム状になった事をボールを天に掲げる様にして複眼に見せ、その愛らしさに思わずクスクスと笑いながら複眼は応える。
少女は何故笑われているのかと首を傾げたが、複眼が楽しそうなのでまあ良いかと思って次の作業に入った。
「白っぽくなるまでちょっと力強めに・・・あ、いや、ちみっこは力強いから普通で良いや」
複眼は小さい子供に教えるつもりで発言し、すぐに少女の力が自分より強い事を思い出した。
この子が力強くやっては器具が壊れると気が付いて指示を言い直す。
少女は指示通り素直にすり混ぜて行き、複眼はほっと息を吐く。
複眼の心配通り、もし少女が力強くやっていたら泡だて器が壊れていた事だろう。
「んじゃ今度は卵の黄身入れるんだけど・・・ちみっこ、自分で分けられる?」
複眼はお手本の様に目の前で白身と黄身を分け、少女が出来るかと問う。
少女も今まで料理を一度もした事が無いわけではなく、卵ぐらいは使った事がある。
だが白身と黄身を別々に使うような作業は一度もした事が無く、魔法を見るかのような目でその作業を見ていた。
「やった事無いか。うーん、どうする、やってみたい?」
少女は複眼の言葉にコクコクと頷き、卵を手に自分で挑戦してみる。
真剣な様子で手をプルプル震わせながら、ゆっくりと、ゆっくりと白身を切って行く。
そうして複眼と比べてかなり時間をかけながらも、何とか黄身だけを取り出す事が出来た。
「おー、上手い上手い。あっ」
出来た事が嬉しくてはしゃいで複眼に見せる少女だったが、勢い余って床に落としてしまう。
複眼も落ちるとは思ったのだが、止めるのが間に合わなかった。
少女は泣きそうになりながら卵を見つめた後、手で掬って若干涙目になりながら複眼に見せる。
「あー、うん、しょうがないしょうがない。今度から気を付けよう。とりあえずそれは捨てて手を洗おうか」
複眼は卵を生ごみ用のごみ箱に捨てさせ、少女は素直に手を洗う。
そして少女は卵を目の前にして、もう一度やって良いかと目で訴えた。
「へーきへーき。気にせずやりな」
複眼の使用人は笑顔でゴーサインを出す。
どれだけ失敗しようが代金は旦那様もちだとも考えている故だが、少女は知る由もない。
複眼もそれを言えば少女が恐縮するのを解っているので言う気は無かった。
そして今度こそ白身を切った黄身をボールに入れ、グルグルと混ぜる。とにかく混ぜる。
「まんべんなく混ぜてねー」
少女はコクコクと頷いて指示通りとにかく混ぜて行く。
子供なら腕がもう疲れるところではあるが、少女は一切疲れる様子を見せない。
その様子を見て案外この手の仕事が向いているかもしれないな、などと複眼は思っていた。
「んじゃ今度は薄力粉を一か所に纏まらない様にかけていくよー」
少女は複眼が手際よく薄力粉を加えて行く様を見つめ、自分も同じ様にやってみる。
だが初めてやる少女が複眼ほど綺麗に出来るはずもなく、まばらな状態になってしまった。
眉を八の字にして複眼に見せる少女だが、複眼は笑顔で応える。
「それぐらいなら平気平気。んじゃ次はまた混ぜるよ。ただし今度はこっちね」
複眼はゴムベラを少女に手渡し、少女に見える様にボールの中身を切るように混ぜて行く。
少女もそれを見ながら同じ様に混ぜ、暫くまた混ぜる時間が続く。
暫くしてしっとりとした状態になったのを見て、複眼はラップを取り出した。
「んじゃそれ纏めて、ラップに包んで、暫く冷蔵庫に寝かそうか」
複眼はまたも手慣れた様子で形を纏め上げ、綺麗な四角になった生地を冷蔵庫に突っ込む。
少女も頑張りはしたのだが、どうにも複眼ほど綺麗にはならなかった。
その事にまた少し気落ちしている少女に苦笑しながら複眼はお茶を用意する。
「んじゃちょっとお茶でも飲んで休憩にしようか」
作業に並行してお茶の用意をしていたので、すぐにお茶を出す複眼。
その手際の良さに先程までの気落ちした気持ちも忘れ、複眼を尊敬のまなざしで見つめる少女。
「ちみっこも何時かこれぐらい出来る様にならなきゃねー」
余りに素直過ぎる視線に少し照れ臭く思い、複眼はからかうような言葉を口にしてしまう。
だが少女はそれを真剣に受け止め、頑張ろうと気合いを入れるのだった。
複眼はそんな少女の反応に苦笑して、この子は可愛がられるわけだと改めて思っていた。
「そろそろ良いかな」
「お、型とっちゃう? とっちゃう?」
「煩いな、一番楽なとこだけやって来やがって」
「いいじゃん、ちょっとぐらい混ぜてよー」
お茶を飲んでのんびりしていると、手の空いたらしい彼女も台所にやって来た。
少女は笑顔で彼女を迎えたが、複眼は少し気に食わない様子だ。
だが少女の手前余り強く邪険にする気も起きず、彼女はそのまま台所に居座っている。
二人にとってはそれなりに長い付き合いの軽口なのだが、強く言いすぎると少女が本気にしてしまうが故の気遣いだ。
「じゃあほら、私はちみっこの面倒見てるから、あんたそっちやって」
「らじゃー!」
複眼は自分が作った生地を彼女に渡し、少女の面倒を見る事に専念する。
少女は生地を取り出して、その感触を少し楽しんでいた。
指先でプニプニつついてご満悦だ。
「ほらほらちみっこ、伸ばすよー」
複眼に言われて慌てて作業に入る少女。
その様子をクスクス笑いながら彼女は手慣れた様子で生地を伸ばして行く。
綿棒で軽く伸ばし、回転させてまた伸ばしと、彼女の手際に少女は驚いていた。
「これ位はあたしでも出来るもんねー」
少女の視線を感じ、鼻歌交じりに綺麗に生地を伸ばす彼女。
複眼は内心「調子に乗りやがって」と思っているが、口には出さずに少女に手を動かさせる。
少女もはっとした様子で手を動かし始め、生地を指示された通り伸ばして行く。
だがやはり今回も綺麗には伸びず、どうにも形が纏まっていない。
「へーきへーき。どうせ型とって焼くんだから厚ささえ均一なら大丈夫」
複眼は少し悲し気な様子の少女の頭を撫で、作業を続けるように促す。
少女もその言葉で気を取り直し、せっせと生地を伸ばしていく。
その間に生地を伸ばし終わった彼女は型をガチャガチャ鳴らしながら用意していた。
「何してんのよあんた」
「型抜くんでしょ?」
「私は全部丸にするつもりなの」
「えー、つまんなーい」
ブーブーと文句を言う彼女を無視して複眼はコップを片手に持ち、縁に薄力粉をつける。
少女が真剣な様子で生地が平らになったかと真横から見るのを眺めながら、彼女も複眼と同じ様にコップに粉を付けて型を抜いて行く。
「ほら、次はこれで型抜きして。横で馬鹿みたいにポンポンやってるからわかるでしょ」
「馬鹿って何よ馬鹿って。角っ子ちゃんも酷いと思うよねー」
「はいはい、いいからアンタはシートにとっと並べろ。オーブンはもうあっためてるから」
「冷たいなー。ちょっとぐらい構ってくれても良いじゃない」
彼女は複眼の言葉に文句を言いながらも、型どりした生地をシートに均一に並べて行く。
そしてすでに複眼が温めておいたオーブンに入れて焼き始めた。
少女はその手順をしっかりと見てから、自分も型抜きをして同じ様に並べて行く。
ただ少女はその作業がなんだかとても楽しく感じた様で、笑顔で型抜きをしていた。
「ねー、型抜き楽しいよねー」
彼女はそんな少女を見て声をかけ、少女はその言葉に笑顔でコクコクと頷く。
楽し気に型を取ってシートに並べて行く少女と、その横で楽しそうに少女と談笑する彼女。
そこまでの手順を教えたのは複眼なのだが、何故か彼女が教えたかのような空気感。
複眼は少しだけ気に食わない気分になり、少女には見えない位置から彼女を蹴る。
彼女は笑顔で少女に顔を向けた体制のまま、後ろに軽く蹴りを入れた。
少女の知らぬ間に二人の静かな戦いが巻き起こっており、少女の様子が気になって覗きに来た男はそのまま回れ右をして去っていった。触らぬ神に祟りなしである。
「それじゃオーブンに入れようか」
少女が型を抜き終わり、シートに並べたのを確認してから彼女が先に焼いた生地を取り出す。
そして複眼が少女の生地をオーブンに入れて火を入れる。
少女はその様子を、火の入るオーブンの中の光景をキラキラした瞳で見つめていた。
「ちみっこ、そんなに近づくと火傷するよ」
「そうそう、可愛い顔に火傷痕なんてもったいないよー?」
近づきすぎている少女を少しオーブンから離し、少女も素直に距離を取る。
だが視線は変わらずオーブンの中のままであり、二人はそんな少女に笑うしかなかった。
どうせ焼き上がるのにそこまで時間もかからないので少女の好きにさせておく事にし、複眼は既に焼いた分を冷ます為に網に乗せる。
そして少女のクッキーを乗せる分の網も用意して、お茶を飲んで一息つくのであった。
「お、焼けたね」
少女の生地のクッキーも焼き上がったのを確認し、彼女が少女に声をかける。
複眼は少女自身がやりたそうだったのを察して本人にやらせる事にし、少女は楽し気にシートを取り出してクッキーを網の上に乗せて行く。
出来上がった物を満足げに眺める少女の様子に、複眼も彼女も優しい笑みを見せていた。
そうして出来上がったクッキーを男の下へ真っ先に持って行く少女であったが、道中でふと気が付いた事があった。このクッキーは上手く出来ているだろうか、と。
出来た時はその事自体が嬉しくて忘れていたが、美味しくない物を男に渡せない。
そう思い男の事を一番よく知る女の下にクッキーを持って行った。
女は真っ先に頼られた事に内心喜びつつも表には出さず、少女の願いに応えてクッキーを一つ口にする。
それは単純な味であるが、単純であるが故に特に嫌う人間も居ないだろうと思う物だった。
何せ今回作ったのはごくごくシンプルなプレーンクッキーなのだから当然だろう。
「良く出来ている。大丈夫だ」
女が少女の頭を撫でてそう言うと、少女は笑顔を見せて頭を下げる。
そしてパタパタと男の下へ向かって行くのを見届け、後で男の下へ行って分けて貰う事を心に決めるのであった。