ふり。
「虎ちゃん、ちょっと良い?」
「はい、どうされました?」
複眼に声をかけられ、珍しいなと思いながら答える虎少年。
だが首を傾げつつも笑顔の虎少年とは違い、複眼は少し申し訳なさそうな様子だ。
二重の意味で珍しいと思い、虎少年は暫く言葉を待った。
ただ「この人にも虎ちゃんって呼ばれてるんだな」と思いながらだが。
「お願いが有るんだけど・・・私と付き合ってくれないかな」
「・・・は?」
虎少年は一瞬何を言われたのか良く解らず、目を見開いていた。
だが少しして屋敷では今まで見せた事の無い鋭い目を複眼に向ける。
一歩足を引き、明らかに複眼を警戒する態度だ。
「まさか、僕の事、聞いたんですか?」
「あ、違う、ごめん、ちょっと待って。結論から言い過ぎた。理由が有るの。虎ちゃんの身の上は少し旦那様から聞かされてお願いに来た訳だけど、ちゃんと理由が有っての事だから」
「・・・何ですか?」
複眼は虎少年の様子が変わった事にすぐ気が付き、失敗したと少し焦りながら謝る。
虎少年にこんな願いをしに来たのにはちゃんと理由が有り、虎少年だからこそ頼みに来た。
だけど余りに結論を先に言い過ぎたせいで完全に警戒されている。
謝罪をうけても虎少年は態度を崩さず、まだ少し警戒した様子で問い返す。
返答次第では今までとは違う対応をさせて貰うと、全身で見せつけながら。
「その、暫くしたら屋敷に面倒臭い男が来る事になってね。その時に婚約者のふりをして欲しいのよ。その時だけで良いの。本当に付き合って欲しい訳じゃないから」
「・・・ふり、ですか?」
そこでやっと虎少年は警戒を解き、普段の様子で首を傾げた。
複眼はほっと胸を撫で下ろし、少し動揺してるなと実感している様だ。
ともあれ態度を崩してくれた虎少年に詳しい事情を話そうと、少し心を落ち着けて続ける複眼。
「私の親父がね、近いうちに来るのよ。この歳になっても結婚してないどころか、男の気配もないなんて恥ずかしいとか、本当に迷惑で独りよがりな事言ってね」
先日の複眼の通話、あれは以前にもあった父からの電話だったのだ。
縁を切るとまで言われたので、通話はブロックしていた。
ならばと今度は適当な番号でかけて来たので、登録番号以外はブロックした。
すると先日は知人の電話を借りて電話をして、一方的に様子を見に来ると言って来たのだ。
それだけならばまだ良かったのだが、何やら見合い相手を連れてくる的な事も言われ、反論をしようとしたら切られてしまった。
その後かけ直して文句を言ったのだが、その際もまた口論になって意地でも行くと言われ、状況は悪化しただけである。
頭を抱える複眼であったが、これはもうどうしようもないと男に相談に行き、その結果虎少年に助けを求めようという話になったのだ。
恋人が居ないからという理由でやって来るなら、恋人が居れば良いんだろうと。
虎少年ならば、ふりをして貰うに適しているという情報を男に貰って。
「あー・・・それで、お父さんがいる間だけ、恋人のふりをして欲しいと」
「他の二人は少し無理が有るし、無茶を言ってる自覚は有るけど、助けて貰えないかな」
「一日だけですか?」
「ごめん、そこは解らない。帰るまでお願いしたいの。勿論無茶なお願いだと思うから、断られても仕方ないとは思ってる。嫌なら断ってくれて良いよ」
「でも一回騙しただけじゃ、解決にならないんじゃ」
「取り敢えず今凌げれば良いかな。あの人と真面に会話する意味無いし。帰れば良いの」
「は、はぁ・・・」
「駄目、かな?」
複眼が本当に申し訳なさそうに伝えると、ふむと考え込む虎少年。
少年が相手というのは色々と難しそうだというのは解る。
男が相手だとすると、それこそ何故結婚していないのかという話になりかねないだろう。
立場もある。稼ぎも有る。なのに使用人として雇い続けている理由は何なのかと。
対して虎少年なら、たとえ複眼と恋人でも結婚していない理由が作れる。
年齢の事も有るし、国籍の事も有る。
何より虎少年の身の上、色々と警戒してのこの関係だという事も言える。
なら少女がお世話になっている人達と考えれば、それぐらいは良いかなと結論を出した。
「いえ、良いですよ。でも、ふりですよ?」
「そこは勿論。流石に君の事情を知ったからって、目の色を変える人間とは思われたくないわ」
「はは、その、すみません」
複眼の言葉に虎少年は逆に申し訳なくなり、少し目を伏せる。
今まで自分の身の回りにあった事を思い出し、複眼の事を警戒してしまった。
それは複眼の事を信用していなかったという事であり、失礼な態度でもあったと。
「気にしないで。少し聞いてるって言ったでしょ。仕方ないわよ」
「・・・ありがとうございます。やっぱり、ここは、良いですね。来て、良かった」
複眼は優しく笑みを返し、虎少年の頭を撫でる。
虎少年は子供扱いなのが少し恥ずかしいが、それでも複眼の気遣いに悪い気分はしない。
だからこそ屋敷に来れて良かったと、本心からそう口にしていた。
少女の事も有るが、自分は屋敷自体の居心地が良いのだと、そう自覚しながら。
「じゃあ当日ふりをするとして、色々話したい事が有るけど・・・今構わない?」
「ええ、元よりやる事は殆どありませんし。いつでも」
「そ、ありがとう」
快く頷いてくれた虎少年を連れ、広めの客間で相談をする事に向かう。
とはいえ恋人など居た事の無い虎少年は、少々不安気ではあったが。
この件は、屋敷の住人全員の知る事となる。
そして恋人の振りをする指導が女性陣から行われ、虎少年は真っ白に燃え尽きていた。
何故なら「恋人ならもっとくっつく様に!」とか「もっと腰を抱いて! 引き寄せて!」とか「頬にキスぐらい普通だから!」等と言われ、良いおもちゃにされてしまったのだ。
そんな事が余裕で出来る訳もないので、虎少年は顔を真っ赤にしながら対応していた。
因みに説明するまでもない気がするが、言ったのは殆ど彼女である。
男は巻き込まれない様にそっと遠くから見守っていたが、虎少年に見つかり引きずり込まれた。
そして皆が楽しそうだと感じ、キャッキャと楽し気に混ざる少女。
おそらくだが、相変わらず恋人の意味はいまいち良く解っていない様子だ。
少女は単眼の頬にちゅっとキスをして、単眼も返してと、そこだけ違う空間が出来ていた。
女もしれっと少女側に混ざっており、状況は完全にカオスである。
彼女は遊び半分になっていたので、後半は殆ど目的を忘れていただろう。
虚ろな目をする虎少年を見て、複眼はとても申し訳ない気分でいっぱいになっている。
因みに今回、少年は気配を殺して巻き添えを避けており、珍しく良い動きだった。




